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最強魔王の番はひつじ~君を縛る薔薇の鎖  作者: 愛龍


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 青い月の下に、重い気配がもうひとつ落ちた。


「……黒黎」


 空から地へ静かな声が響く。

 青の外套を揺らしながら、アクアが塔の上へ姿を現した。


 その瞬間、咲彩が立ち上がる。


 ふらついた足で、まっすぐアクアに向かって歩き―


 胸ぐらをつかんだ。


「……光皇」


「光皇じゃねぇよ!!」


 怒鳴り声が、夜を裂く。


「“手を打つ”って言ったくせに、あんた何してたんだよ!ふざけんな!!」


 腕に込める力が震えている。

 涙で濡れた瞳が、真っ直ぐアクアを睨みつける。


「母さん、連れてかれて、一年も見つけられなくて……!今日だって、白鬼がここに来てもあんた何もしなかっただろ!!」


 アクアは、その怒りを正面から受け止めた。

 抵抗も、言い訳もせずに。


「……すまない」


 短く、それだけを言う。


「私が思っていたより、白鬼の動きが早かった。

 いや……言い訳だな」


 視線を落とし、握った拳に爪を立てる。


「ここまでやるとは思わなかった。

 “番の切断”だけでなく、“器”として使い潰すところまで―私の読みが甘かった」


「甘かった、で済むかよ!」


 咲彩がさらに掴む手に力をこめる。


「母さん、死んだんだぞ……!」


「分かっている」


 アクアは、静かに咲彩の手を外した。


 そして、センリを抱いている大地の前まで歩み寄る。


 そっと、膝をついた。


「黒黎」


 アクアは、センリの額の少し上に手をかざした。

 青い魔力が、静かに揺らめく。


「私は調停者だ。

 国と国の戦だけじゃない。時に“理不尽”そのものと向き合わねばならない立場だ」


 青い光が、かすかにセンリのまわりを包む。

 すでに途切れた命の流れを、じっと見つめながら。


「今回、お前と番を引き離したのは、ただの権力争いでも、戦の結果でもない。

 空の歪んだ理屈と、白鬼の“切断”が組んだ、あまりにも一方的な暴力だ」


 アクアは目を閉じた。


「調停者として―このまま“終わり”にするには、あまりにも理不尽だ」


 その言葉とともに、彼はゆっくりと宣言する。


「だから、天秤を少しだけ動かす。

 この魂を、“転生”させる」


 大地が顔を上げた。

 赤い瞳に、かすかな光が戻る。


「……転生」


「ああ」


 アクアは頷く。


「同じ魂を。同じ記憶を持つ者として。

 別の時代、別の器に生まれさせる」


 そこで、言葉を一度切る。


「ただし、時間がかかる。

 もしかしたら今すぐでも生まれ変わるかもしれない。

 でもそうではなく百年か、それ以上か―いつとは、言えない。」


 風が、塔の上を撫でる。

 大地は、腕の中のセンリを見下ろした。


 痩せた頬。

 眠るように閉じた瞳。


 青い月の光に照らされてもなお、彼女は彼の“センリ”だった。


「どうする?」


 アクアが問う。


「このまま、ここで安らかに眠らせることもできる。

 それが自然な流れだと、世界は言うだろう」


 けれど、と彼は続ける。


「番を奪われ、鎖を断たれたまま終わらせるのは、あまりにも不均衡だ。

 調停者として、私は“もう一度出会う道”を提示する」


 塔の上の空気が、静まり返った。


 咲彩も、煉獄も、桜鬼も桜炎も。

 みな、大地の答えを待っている。


 大地は、長く息を吐いた。


 震える指で、センリの髪を撫でる。

 頬に触れる。

 その感触を、ひとつ残らず刻みつけるように。


「……もう一度」


 かすれた声で、言葉を紡ぐ。


「もう一度……会えるなら」


 喉の奥で、何かがつかえる。

 それでも、言葉を止めない。


「何年でも、何百年でも……待つさ」


 赤い瞳に、静かな決意が宿る。


「俺は……センリを“番”と呼んだ。

 なら、番のいない時間なんて……

 いくら長くても“つなぎ”みたいなもんだ」


 ほんの少しだけ、唇の端を歪める。


「もう一度会えるなら……何度でも、そこから始めればいい」


 アクアは、その答えを聞き、ゆっくりと目を細めた。


「そうか」


 青い光が、センリの身体を包み始める。


「なら―別れを告げてやれ。

 しばらく、会えないのだから」




 ひとりずつ、センリの側へ歩み寄る。


 煉獄が、最初だった。


「おい、センリ」


 いつもの威勢のいい声ではなく、かすれた低い声。


「お前の作った飯、また食わせろよ。

 泣きながら笑うみてぇな顔も、また見せろ」


 ごつい手で、そっと頭を撫でる。


「……だから、さっさと戻ってこい。黒の王国が冷めちまう」


 次に、桜鬼と桜炎。


「センリ様」


 桜鬼は、深く頭を垂れた。


「私の至らなさで、お守りできなかったこと……お詫びのしようもございません」


 桜炎がセンリの手を握る。

「戻っていらしたら、また一緒に畑の収支を計算しましょうね」


 少しだけ笑おうとして失敗する。


「今度は、赤字を出さないように努力しますから」


 咲彩が、ふらふらと歩み寄る。


 子どもの頃のように、センリの胸元に顔を寄せた。


「……母さん」


 ひとこと呼ぶだけで、喉がつまる。


「私、ちゃんと王やるから。

 父さんの暴走も、煉獄のバカも止めるから」


 声が震える。


「だから……早く戻ってきて。

 私、また“母さんのメロン”食べたい」


 涙がぽろぽろ落ちて、センリのドレスを濡らした。




 最後に、大地。


 大地は、ゆっくりとセンリを抱き直す。


 腕の中の重みが、もうすぐ消えることを、身体のどこかが理解していた。


「……センリ」


 名前を呼ぶ。


「約束を、守れなかったのは……俺の方だ」


 喉の奥で、苦い笑いがこぼれる。


「“守る”って、あの時言ったのに……

 お前を、一人にした」


 センリの指を、自分の指で包む。

 冷たくなりかけた指先が、小さく揺れた気がした。


「……帰ってこい」


 短く、しかし深く。


「待ってる」


 額と額を合わせる。

 青い月の光の中で、ゆっくりと唇を重ねた。


 熱のない、静かな口づけ。

 それでも、そこには確かな“誓い”があった。



「――始める」


 アクアが、両手を広げる。


 青い魔力が、塔の上に満ちていく。

 風が円を描き、センリの身体の周りに光の紋様が浮かび上がる。


 天制玉のネックレスが、胸元で淡く光った。


「あれは……」


「魂の“座標”だ」


 アクアが短く答える。


「この石がある限り、魂は迷わない。

 ――必ずここへ帰ってくる」


 彼は、指先でそっと印を結ぶ。


「今度は、世界の方に刻み込んでやる。

 “この魂は、黒黎の番だ”とな」


 光が強まる。


 センリの輪郭が、透けてゆく。

 抱いている大地の腕を、すり抜けるように薄れていく。


「……っ」


 思わず、力がこもる。

 それでも、もう掴めない。


 最後に、ひつじ耳がふるりと揺れた。

 風に囁くような声が、誰かの耳に届いたかもしれない。


 そして――


 センリの身体は、青い光に包まれ、そのまま空へと溶けていった。


 天制玉のネックレスもまた、同じ光に飲み込まれ、跡形もなく消える。


 腕の中には、何も残っていない。


 けれど。


 風が、確かにこう囁いた気がした。


(――また、会うべ)


 黒の王城の塔の上で、

 運命の鎖は一度、完全に途切れた。


 だが同時に。


 別の場所、別の時間へ向けて――

 新しい“座標”が、静かに描き込まれたのだった。

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