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センリが案内された客室は、ひどく静かだった。
ふかふかのベッド。厚い絨毯。壁には見たこともない刺繍のタペストリー。
どれもこれも、ひつじ国の粗末な天幕とは違いすぎて、センリは座っていても落ち着かなかった。
「すっごい部屋だごど……」
ぽつりとこぼした声も、やけに広い部屋に吸い込まれていく。
窓の外には、さっきまで荒れ狂っていた雨が嘘みたいに空には星が瞬いていた。
お風呂に入れられて夜着に着替えて天制球をそっと枕元に置く。
金色の球は、嵐のときよりも柔らかな光を灯していて、心なしか安堵しているようにさえ見えた。
「……運命、って……なんのことなんだべ……」
あの魔王―黒黎の大地が呟いた言葉が、耳の奥に残っている。
『お前が……俺の、運命の相手……か?』
あんな真っ直ぐな目で見られたのは、生まれて初めてだった。
怖い、というよりも、胸の奥がじんと熱くなるような、不思議な感覚。
センリは、自分の胸を押さえ、それからそっと手を開いた。
嵐の中で握った、あの大きな手の感触がまだ残っている気がする。
ごつごつしているのに、びっくりするくらいあったかかった。
「魔王さまの“運命”て……わだしみたいなひつじ族の娘と、関係あるもんなんだべか……」
苦笑しながら、視線を落とす。
ふと。
手首のあたりが、じんわりと温かいことに気づいた。
「……あれ」
ゆっくりと袖をまくる。
そこには―さっきまで、何もなかったはずの場所に細くて淡い光が、ひとすじ、輪を描いていた。
薄い茜色。
水面に落ちた月光みたいに揺らぎながら、センリの手首をそっと包み込んでいる。
「……鎖……?」
思わず、息を呑んだ。
よく目を凝らすと、それは金属ではなく、光そのものが編まれた鎖のように見えた。
細かな棘のような飾りがところどころにあり、花弁にも見えるそれは、淡く薔薇の形をしている。
――薔薇の鎖。
昔、洞の奥で天制球を使う修行中に聞いた言葉が、ふっと頭をよぎる。
『魔王種には魂に鎖が刻まれでる。
一生に一度だけ、つながる相手を選ぶ、見えない鎖なんだとさ。』
おばあ様みたいな先々代の巫女が、焚き火の前でそう言って笑っていた。
あの時は、おとぎ話だと思っていた。
「……わだし、魔族でもなんでもねぇのに」
センリは、光の鎖にそっと指先を伸ばした。
触れると、ぬくもりのようなものが、じんわりと皮膚からしみ込んでくる。
ただの光じゃない。
誰かの体温にも似た、あたたかさ。
鎖は、彼女の手首から伸びて、部屋の外―遥か遠くへ続いているように見えた。
目では追いきれないけれど、確かに“どこか”につながっている。
(……魔王さまのとこ、に……?)
そんなことを考えた自分がおかしくて、センリは小さく首を振る。
「なに、考えてんだべ、わだし……」
けれど。
鎖は消えなかった。
むしろ、彼女がそう呟いた瞬間、ほんの少しだけ強く光った気がした。
胸の奥が、またじんと熱くなる。
運命なんて、信じたことはない。
ひつじ族に生まれたから、遊牧するのが当たり前で。
天気を読むから、村の空を守るのが当たり前で。
いつかどこかに嫁ぐんだろうと思ってはいたけれど――。
(“運命の相手”なんて、わだしには関係ねぇって、ずっと……)
手首の鎖が、カラン、と小さく鳴ったように思えた。
センリはその音に、思わず目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶのは、嵐の中で自分を見つめていた魔王の顔。
冷たそうな目なのに、どこか孤独そうで。
自分がそこに立った時、ほっとしたように揺れた、その赤い薔薇のような瞳。
「……もしも、もしも、ほんとうに……」
言葉の続きは、喉の奥で溶けた。
わからない。
怖い。
でも―ほんの少し、嬉しい。
そんな自分の感情が、一番やっかいだ。
「……寝ねぇど。明日になれば、なんかわかるかもしんねぇし」
センリは小さく伸びをして、天制球のそばに身を横たえた。
手首の鎖は、まだ淡く光を灯したまま、脈動のように彼女の鼓動と重なっている。
外では、雨上がりの風が静かに城壁を撫でていた。
ひつじ族の少女の手首に灯った一本の鎖は、もう、決して切れることのない運命を指し示していた。




