19
午後――
陽が少し傾きかけた頃、執務室には紙とインクの匂いがこもっていた。
書類の山を半分片づけたところで、咲彩がソファにどさっと腰を落とす。
「……いやぁ〜、それにしても効いたな、親父の一言」
机の向こうで、大地がペンを置いた。
赤い瞳を細めて、窓の外へ一瞬だけ視線をやる。
「そうだな。俺から“敵だ”と言われれば、あの場では黙るしかあるまい」
壁際の椅子にだらしなく座っていた煉獄が、ふんと鼻を鳴らす。
「……表向きはな」
その言い方に、咲彩が片眉を上げた。
「表向きは……ってことは、裏でまだ何かやってるってこと?」
大地は、すぐには答えなかった。
代わりに、机の横で控えていた桜鬼が、静かに一礼して口を開く。
「はい。あの貴族たちの“背後”で動いている連中がいます」
咲彩が身体を起こす。
「背後?」
「単に強欲なだけなら、あそこまで露骨に“センリ様を他国へ”とは言い出しません」
桜鬼は、書類の一枚を卓上に滑らせた。
そこには、貴族名と共に、最近やり取りされた書簡の記録や出入りの頻度が細かく記されている。
「ここ数ヶ月で、特定の貴族の屋敷に“ある客”が繰り返し出入りしている形跡があります。
出自不明、滞在は短期、移動手段は不自然なほど早い」
そこで一度区切って、はっきりと言う。
「おそらく―天空人が」
部屋の空気が、かすかに動いた。
咲彩は眉間に皺を寄せる。
「天空人?……空の上で城構えてる羽生えた人みたいなあの連中?」
「言い方」と桜炎が自分のデスクの椅子の背にもたれたまま小さく笑う。
「でもまあ、概ね合ってますね。空飛ぶ都市と、やたら高いところが好きな種族」
煉獄は片足を組み、腕を組んだ。
「大地。あいつら前からセンリに興味持ってたよな」
「ああ」
大地は椅子の背にもたれ、指先で机をとん、と軽く叩く。
「“天候を操るひつじ族”と、“魔王種を産んだ器”。―天空人の『天を制する高貴な者は天へ』という理屈からすれば、喉から手が出るほど欲しいだろう」
咲彩の猫耳が、ぴんと立つ。
「……つまり、“側室”とか“器”とか言ってた貴族共は、天空人に焚きつけられてた可能性が高いってことね?」
「焚きつけられたのか、乗っかったのかは微妙ですが」
桜鬼が淡々と補足する。
「少なくとも、“センリ様を他国へ嫁がせてはどうか”という案が出た頃から、彼らの屋敷には空からの訪問者が増えています」
桜炎が書類をぱらぱらとめくりながら、ぼそりと呟いた。
「“番を引きはがす”なんて話を、本気で思いつくのは、上から目線で他種族を駒扱いしてるところくらいですよねぇ」
「お前もだいぶ言うな」
「事実ですよ、陛下」
桜炎の視線が窓の外に流れる。
遠く、空の上―肉眼では見えない高度に、天空人の居城が浮かんでいるはずだった。
咲彩はテーブルに両肘をつき、顎に手を当てる。
「じゃあさ。あの会議で黙ったのは、“怖じ気づいた”っていうより―」
「“次の手を考える時間を稼いだ”だけ、って可能性だな」
煉獄が言葉を継いだ。
「大地に真正面から睨みつけられて、“敵だ”とまで言われたんだ。あの場でこれ以上食い下がるほど馬鹿じゃねぇよ、あいつら」
「けど、裏で何かしてくる。“番”を直接奪いに来る真似はしないだろうが……」
大地は短く息を吐いた。
「センリの評判を落とすだろうな……
黒の王国内での立場を揺らして、“自発的に離れさせる”よう仕向けるかもしれん」
「……最悪」
咲彩が眉をひそめソファーの前のテーブルを拳で叩く。
「母さんを“器”扱いした上に、追い出す流れまで作るとか、ほんっとに性格悪ぃな、天空人」
「おーこわ」
煉獄がぼそっと笑う。
「お前、今度天空の城に挨拶行くとき暴れるなよ?」
「やらないわよ。あいつらの出方次第だけど」
咲彩はソファに背を預け、天井を仰いだ。
「で、どうするの? 親父」
問いかけに、大地は即答しなかった。
代わりに視線を桜鬼へ送る。
「桜鬼」
「はい」
「天空人との接触記録、もう少し洗え。
“誰がどこまで繋がっているか”をはっきりさせる」
「承知しました。既にいくつか、怪しい金の流れも見つかりつつあります」
桜鬼は静かに頭を下げた。
「それと――センリを狙う動きは、すべて天空人絡みとみなしていい」
「かなり強気な線引きですね」
「実際、そのくらいでいい」
大地は机に肘をつき、指を組んだ。
「天空人が“天候を操る器”を欲しがっているなら、
それは、黒の王国の“空”に手を出そうとしているのと同じだ」
赤い瞳が、細く光る。
「空を奪われたら、畑も民も守れない。
センリを守るのは、黒の王国全体を守るのと同じことだ」
咲彩は、ふっと息を吐き出す。
「……あいつら、誰に喧嘩を売ったのか思い知らせてやるから」
「まぁあちらさんも五星の魔王三人に喧嘩売るなら、それくらいの覚悟はしてるだろうさ」
煉獄が肩をすくめる。
「だが、戦争する気はねぇだろう。
だからこそ、裏から“番”を引きはがそうとしてる」
しばし沈黙が落ちた後、桜炎がぽつりと口を開いた。
「センリ様には、どこまでお話しします?」
その問いに、咲彩がちらっと大地を見る。
「全部話しても、きっと“自分のせいだべ”って気にするだろ…母さん。」
「だろうな」
大地は苦い顔をする。
「……だが、何も言わんわけにもいかん」
彼は椅子から立ち上がった。
「センリには、“側室の話は一旦潰れた”ことだけ伝える。天空人の企みは、こっちで握っていると」
「つまり、“心配しなくていい”ってことだけはちゃんと言うわけだ」
咲彩が少しだけ表情を和らげる。
「その代わり、こっちはこっちで動くってことね」
「ああ」
大地は窓の外―高い空を見上げた。
「天空の調停者の青の魔王。
あいつがどう出るか、様子も見ないとな」
ぽつりと漏らした“青の魔王”の言葉に、煉獄の目が細くなる。
「アクアを巻き込む気か?」
「巻き込むというより、向こうは向こうで動いているだろう。アクアは中立の調停者だ。無駄な争いは望まない。」
赤い瞳に、わずかな思案の色が浮かぶ。
「―いずれにせよ、だ」
大地は視線を戻し、執務室の全員を見渡した。
「今日、はっきりさせたことは一つだ」
咲彩も、煉獄も、桜鬼も、桜炎も黙って耳を傾ける。
「センリを“器”と呼ぶ連中は、俺の敵。
天空からだろうが、地上からだろうが、関係ない」
はっきりとした宣言だった。
「……敵なら、叩き落とすだけだ」
窓の向こうで、雲がゆっくりと流れていく。
黒の王の執務室で、
次に来る嵐の気配だけが、静かに形を取り始めていた。




