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朝の畑に、まだ冷たい風が吹いていた。
夜露をたっぷり含んだメロンの葉が、朝日を受けてきらきらと光っている。
その間を、黒の王国の兵士たちが作業着を羽織り、慣れない手つきで右往左往していた。
「お、おい! それ苗ごと引っこ抜くな! メロンだけだ、メロンだけ!」
「ひっ、す、すみませんっ!」
鍬を持つより剣を振る方が得意な兵士たちは、汗だくでメロンを抱えたり、箱を運んだりしている。
道具がガチャガチャと鳴り、畑は朝から妙な喧噪に包まれていた。
その喧噪の真ん中で、ひときわ大きな怒声が響く。
「クソ親父ーーーーーーっ!!」
猫耳をぴんと逆立て、黒髪を揺らした少女が畑の中央に仁王立ちしていた。
作業服姿の国王・咲彩だ。
「どこにいやがったァァァァ!! 今日の予定見たか!? 朝から会議みっつ詰まってんだぞ!!」
「こ、国王様、落ち着きくださいませ…!」
近くの兵士が青ざめてなだめようとするが、咲彩は聞く耳を持たない。
「落ち着けるか!この忙しい中、本当に畑に逃げて来たんじゃねーだろうな、あのクソ魔王!」
兵士の一人がおそるおそる手を挙げた。
「あ、あの……さっき、陛下らしきお姿を、あっちの区画で……」
「見失うなバカ!! 戦場の敵は見失わないくせに、親父だけ見失うとかどういう技だよ!」
怒鳴りながら、咲彩は畑の端から端まで睨みつけるように見回した。
「畑班! 魔王見つけたら即報告、確保優先! 逃げたら包囲して! いいな!」
「「は、はいっ!!」」
ほとんど戦時指揮のような号令に、兵士たちがビシッと背筋を伸ばす。
だが、いくら目を凝らしても“黒の魔王”の姿は見当たらなかった。
咲彩は舌打ちした。
「……城に戻った? いや、戻ってたらサキから連絡くるはず……」
眉間にしわを寄せたそのとき。
「おーい、咲彩〜。そんなに怒鳴らねくても聞こえでるべ」
畑の奥から、のんきな声がした。
そちらへ振り向くと、朝日を背にして二つの影が近づいてくる。
青いワンピース姿で、ピンクの髪をふわりと揺らす母、センリ。
その隣で、木箱いっぱいのメロンを片手に抱えて歩く大柄な男―父、黒の魔王・大地だ。
「……いた」
咲彩のこめかみがぴくりと跳ねる。
「親父ィィィィィ!!」
叫びと同時に、咲彩は地面を蹴っていた。
猫耳が風を切り、身体がふわりと宙を舞う。
兵士たちが「あっ!」と声を上げるより早く、彼女は黒い影目がけて一直線に飛ぶ。
「くらえぇぇぇっ!!」
渾身の飛び蹴り。
勢いを脚力に乗せた一撃が、魔王の胸元を狙う。
――が。
「おっと」
大地はメロン箱を片手で支えたまま、ほんの半歩だけ横にずれた。
それだけで、咲彩の足は見事に空を切る。
「ぎゃあっ――!?」
派手に体勢を崩した咲彩の身体を、慌ててセンリが両腕で受け止めた。
「わっ、咲彩! 危ねぇべ!」
「いってててて……っ。なんで避けんだよクソ親父!!」
咲彩は涙目で叫ぶ。
「当たったら痛いからだ」
大地は涼しい顔で答え、肩をすくめる。
「飛び蹴りは感心しないが……いい踏み込みだった。足腰は鍛えてるな」
「褒めてんじゃねぇ! 一発くらい受けろ! 親父のくせに!!」
兵士たちは「国王様が魔王様に飛び蹴りを……」と生きた心地がしない顔をしつつ、どこか“ああ、いつものだ”という諦めの目で視線をそらした。
センリは苦笑しながら、咲彩の服についた土をぱたぱた払ってやる。
「ほらほら、ズボン泥だらけだべ。このあと会議あんべ?」
「……母さんもよ」
咲彩は不満げに口を尖らせつつも、センリの手を払うことはしなかった。
大地は木箱を足元に下ろし、咲彩を見下ろす。
「で、朝っぱらから何の騒ぎだ」
「何の、じゃない。今日の午前中の会議、把握してる?」
「貴族どもの集まりが三本。うち二本は道の修復案と来年度の予算案。残り一本は……」
大地の眉が、わずかに不愉快げに寄る。
「“側室をとれ”の件、だな」
空気が、さっと冷えた。
さっきまで右往左往していた兵士たちまで、気まずそうに動きを鈍らせる。
センリが、びくりと肩を揺らした。
「……また、その話なんだべか」
その横顔を見て、咲彩の胸にじりじりとした怒りが湧く。
「“強い魔族を増やすのが王の責務”とか、聞こえのいいことばっか言ってさ。本音は『母さんを利用して他国に回したい』ってだけじゃん。笑えないよ」
咲彩はぎゅっと拳を握った。
「……咲彩」
センリが、困ったように娘の名を呼ぶ。
だが咲彩は、唇を噛みしめて前を向いたままだ。
「母さんのこと、番だとか妻だとか言いながら、
あいつらの頭の中じゃ“強い魔王種を産める器”でしかない。私を産んだってだけで、好き勝手言って……」
視線の先には、朝日に照らされたメロン畑が広がっている。
この畑を守るために、センリが天を止めた夜を咲彩は直接は知らない。
けれど、その話は何度も聞いた。
その夜から数十年後、自分が生まれた。
エルフとドワーフとひつじ族と…そして黒黎の血を引く金の魔王となる“光皇”の候補として。
あれだけひつじ族の娘だと馬鹿にしていた奴らは掌を返した。魔王種が増えたと。魔王種を産める器だったと。
それが腹が立つのだ。
「渡さないからな。母さんを他国の“器”になんか、絶対にさせない」
小さく震える声に、大地は少しだけ目を細めた。
風が吹き、三人の間を通り抜ける。
朝の光が、畑の露と、センリの指先の薔薇の鎖を淡く照らした。
「……その件は、今日で終わりにする」
ぽつりと大地が言った。
「終わりって……どうやって?」
「決まっている」
大地はセンリに視線を向ける。
センリは戸惑いながらも、まっすぐ見返した。
「センリを“器”として扱う案は、すべて敵意とみなす。
番であり妻を手放す気はない―と、魔王として宣言する」
「……敵意、って」
「奴らは、俺の番を黒の王国から引きはがそうとしている。
それは俺に対する反逆だ。違うか?」
静かな声の奥に、炎のような怒りが潜んでいるのを感じて、咲彩は思わず息をのんだ。
センリは、胸の前でそっと手を組む。
「……そんな、大袈裟にしねぐても……」
「大袈裟じゃない」
大地は首を横に振る。
「俺はお前を器と思わないし、思わせるつもりもない。
誰かがその言葉を口にした時点で、王として叩き潰す。それだけだ」
センリの瞳が大きく揺れた。
頬に朝の光が差し込み、うるんだ瞳がきらりと光る。
「……大地さん」
咲彩は一度目を伏せ、深く息を吐いた。
「……最初からそう言えばいいんだよ。クソ親父」
口調はぶっきらぼうだが、その猫耳は少しだけ緩んでいる。
兵士たちは、遠巻きにそのやりとりを見て、小さく胸を撫で下ろした。
「さて」
大地は木箱を軽く持ち上げた。
「メロンはここまでだ。あとは兵に任せる。お前たち、頼んだぞ」
「は、はいっ! 陛下!」
「落とすなよ。俺の汗と土と愛情が詰まってる」
冗談めかす声に、兵士たちが苦笑する。
大地はセンリの肩にそっと手を添え、咲彩に目を向けた。
「行くぞ、咲彩。会議に遅れたら、また桜鬼に説教される」
「説教されるのは親父一人でしょ。私は被害者側」
そう言いながらも、咲彩は二人の少し前を歩き出す。
城へ続く道の先で、まだ見ぬ会議室のざわめきが待っている。
だが、三人の足取りは揺らがなかった。
朝の光に照らされて、センリの手首の薔薇の鎖が、きゅっと強く光を増した。




