13
抱きしめていた腕を、ほんの少しだけ緩める。
名残惜しそうにセンリを離し、その顔を見下ろした大地は、
ゆっくりと彼女の頬に指を滑らせた。
指先が触れたところから、じん、と熱が広がる。
「……大地さま……?」
呼びかける声も、涙で少し震えている。
大地は答えず、ただその瞳をまっすぐに見つめた。
そして、親指の腹でそっと涙の跡をなぞると、そのまま顔を近づけ――
唇が、触れた。
柔らかく、けれど逃がす気のない確かな口づけ。
センリの身体が、小さくびくりと震える。
けれど、離れようとはしなかった。
胸の奥で薔薇の鎖が、喜びに震えるように高く鳴る。
(……あったけぇ……)
息が混ざる距離で、センリはただ、その温度を受け止めていた。
どれくらいそうしていたか分からない。
ほんの一瞬にも、永遠にも感じられる時間。
──そのときだった。
「おーい! 黒の王~? アイシアが『そろそろ戻ってこい』って──」
畑の端から、場違いなほど能天気な声が飛んできた。
煉獄だった。
彼はずかずかと畝の間を歩いてきて──
ふと顔を上げたところで、二人の姿を真正面から捉えた。
大地がセンリを抱き寄せたまま、まだ距離の近いままのところを。
「……あっ」
きっちり“状況”を理解するまで、コンマ二秒。
「……あっ、ワリィ」
反射的に目をそらし、全力でくるりと背を向ける。
「見てねぇ! 何も見てねぇからな!? 俺はいま畑の出来を見に来たんだ! メロンの──」
「煉獄」
背中に、氷点下みたいな声が落ちた。
振り返らなくても分かる。
黒の魔王が、今どんな顔をしているか。
「…………………殺す」
「ごめんなさい調子に乗りました!!!」
煉獄は即土下座レベルの勢いで頭を下げ、そのまま泥を蹴って全力で退散していった。
遠ざかっていく赤い背中をちらりと見送り、大地は深くため息をつく。
「……邪魔ばかりしやがる、あの炎は」
「い、いまの煉獄さま、ちょっとかわいそうだった気も……」
センリが困ったように笑うと、大地はほんの少しだけ口元を緩めた。
「気にするな。あいつは殺しても死にはしない」
「煉獄さま大変だべ……」
そんなやりとりをしながらも、
センリの唇にはまだ、大地の口づけの温もりがはっきり残っていた。
大地は笑うセンリの顔を見ているだけで、胸が締めつけられる。
涙の跡がまだ少し残っているのに、
それでも必死に笑おうとする、不器用な笑顔。
(……どうして、こんなにも)
愛おしい、なんて言葉で足りないくらいだった。
長い間、孤独に歩むのが当たり前だと思っていた。
王というのはそういうものだと、疑いもしなかった。
友はいても、背中を預ける者はいても、隣を歩く者はいない。
それが、当然だと思っていた。
なのに。
嵐の夜に突然現れた、ひつじ族の娘が──
天を止めて、この国を救って。
何も持たないと言いながら、
いつの間にか、王の心に灯をともしていた。
孤独な道の上に、ぽつりと差し込んだ光。
それが、目の前で笑っている。
「……センリ」
「んだべ……?」
名前を呼ばれただけで、センリの耳が赤くなる。
それがまた、どうしようもなく可愛い。
大地は、一度だけ迷うふりをして──実際には、ほとんど迷っていなかった。
そっと彼女の顎に指を添える。
「……っ」
触れられたところから、センリの呼吸が浅くなる。
逃げない。
でも、緊張で肩がすこし強張っている。
そのぎこちなさすら、愛しいと思ってしまう自分に、
大地は心の中で小さく苦笑した。
「え、えっと……閉じたほうがいいとか、そういう決まりあるんだべか……?」
「ない」
即答してから、少しだけ顔を近づける。
彼女の瞳に、自分が映っている。
不思議そうで、戸惑っていて、それでも逃げる気配はない。
「……もう一度」
そう告げてから、そっと唇を重ねた。
さっきよりも、少しだけ深く。
センリの手が、驚いたようにわずかに宙をさまよい──やがて、そっと大地の礼装の軍服の裾をつかむ。
きゅっと、弱い力で。
それが、精一杯の「ここにいてもいいですか」という意思表示みたいで、
大地は胸の奥があたたかくなるのを感じた。
薔薇の鎖が、ふたりの間で静かに鳴る。
孤独な王の歩む道にさした、たったひとつの光。
それをもう二度と手放さない、と誓うみたいに──
大地は、もう一度、センリに口づけた。




