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運命の番と魔王の戦記~薔薇の鎖の座標(しるべ)  作者: 愛龍


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 泣くつもりなんて、なかった。


 ほんとうに、なかったのだ。


(泣ぐ理由なんて……どこにもねぇはずなのに)


 でも、気づけば視界がじわりと滲んでいた。


 大地の言葉が、胸のいちばん奥の、誰にも触れられたことのない場所に、まっすぐ届いてしまったから。


『何もいらない。お前だけがほしい』


 どれだけ「器が足りねぇ」と言われても。

 どれだけ周りから、ひつじ族だの田舎者だのと蔑まれても。


 この人は、たった一言で全部、関係ないと言ってしまった。


 ぽろり、と。


 涙がこぼれた。


「あ……」


 自分で驚いて、慌てて拭おうとするより先に、指の甲を伝って、二粒目が落ちる。


「……泣く、つもりなんて、なかったんだど……」


 堰が切れたみたいに、ぽろぽろと涙が零れ始めた。


 恥ずかしい。情けない。

 でも、止まらない。


 大地は、ただ黙って見ていた。


 慰めの言葉も、余計な気遣いも挟まない。

 けれど、その視線は、決して彼女を突き放すようなものではなかった。


 センリはしゃくり上げるのを必死で堪えながら、笑おうとした。


 泣き顔のまま、でも、ちゃんと笑って言いたかった。


「んなら………」


 ぐっと唇を噛み、涙をぬぐう指を力いっぱい握る。


「んなら……ずっと、あなたのそばにいるべ」


 訛りがいつもより強く出た。

 でも、言葉は真っ直ぐだった。


 涙を流しながら、それでも笑って、センリは言った。


「ひつじ族でも、田舎の娘でも、なんももってねぇども……

 わだしは……大地さまの、そばにいたい」


 その瞬間。


 大地の胸の中で、何かがほどける音がした。


 長いあいだ、固く縛りつけていたものが、すっと解けて、代わりに一本の鎖が、きらりと形を成す。


「…………センリ」


 名前を呼ぶ声が、いつもより少しだけ掠れていた。


「ずっと……?」


「ずっと。死んでもあなたのそばにいる。」


 センリは涙を拭いながら、まっすぐに見上げる。


「逃げるなって言うなら、逃げねぇ。

 帰れって言われるまで……ずっと、ここにいる」


 胸の奥が、痛いほど熱い。


 薔薇の鎖が、手首と心臓を一緒にきつく縛るみたいに、きゅうっと締めつける。


 けれど、その痛みは、少しも苦しくなかった。


 むしろ―やっと“居場所”を見つけたような、安心に近かった。


 大地は、かすかに目を細めた。


 それから、低く、静かに言う。


「………それなら俺はお前を守る」


 その誓いは、誰に聞かせるでもない。

 王としてではなく、一人の男としての言葉だった。


 次の瞬間、センリの身体は、強く、しかし乱暴ではない力で引き寄せられていた。


 抱きしめられる。


 広い胸板と、強い腕。

 耳のすぐそばで、一定のリズムで刻まれる鼓動。


 嵐の夜に聞いたものと同じ音。

 けれど今は、その音が自分の鼓動と重なるように響いている。


「……大地さま」


 センリは、その胸に額を押し当てながら、ぽつりと名前を呼んだ。


 腕の中で、薔薇の鎖が眩しく光る。


 センリの手首から伸びた光と、

 大地の手首から伸びた光が、空中で絡み合い、しっかりと結ばれていく。


 誰にも見えないはずの運命の鎖が、

 今だけは、世界に向かって宣言するみたいに――


「このふたりは、番だ」と。


 風が、ふたりの周りを優しく撫でていく。


 嵐のあとの畑はまだ荒れ果てているけれど、

 そこに立つ二つの影は、どんな風にも揺るがないように見えた。


 黒の魔王と、ひつじ族の娘。


 世界にひとつだけの鎖が、静かに―しかし、決して切れない強さで結ばれた瞬間だった。

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