12
泣くつもりなんて、なかった。
ほんとうに、なかったのだ。
(泣ぐ理由なんて……どこにもねぇはずなのに)
でも、気づけば視界がじわりと滲んでいた。
大地の言葉が、胸のいちばん奥の、誰にも触れられたことのない場所に、まっすぐ届いてしまったから。
『何もいらない。お前だけがほしい』
どれだけ「器が足りねぇ」と言われても。
どれだけ周りから、ひつじ族だの田舎者だのと蔑まれても。
この人は、たった一言で全部、関係ないと言ってしまった。
ぽろり、と。
涙がこぼれた。
「あ……」
自分で驚いて、慌てて拭おうとするより先に、指の甲を伝って、二粒目が落ちる。
「……泣く、つもりなんて、なかったんだど……」
堰が切れたみたいに、ぽろぽろと涙が零れ始めた。
恥ずかしい。情けない。
でも、止まらない。
大地は、ただ黙って見ていた。
慰めの言葉も、余計な気遣いも挟まない。
けれど、その視線は、決して彼女を突き放すようなものではなかった。
センリはしゃくり上げるのを必死で堪えながら、笑おうとした。
泣き顔のまま、でも、ちゃんと笑って言いたかった。
「んなら………」
ぐっと唇を噛み、涙をぬぐう指を力いっぱい握る。
「んなら……ずっと、あなたのそばにいるべ」
訛りがいつもより強く出た。
でも、言葉は真っ直ぐだった。
涙を流しながら、それでも笑って、センリは言った。
「ひつじ族でも、田舎の娘でも、なんももってねぇども……
わだしは……大地さまの、そばにいたい」
その瞬間。
大地の胸の中で、何かがほどける音がした。
長いあいだ、固く縛りつけていたものが、すっと解けて、代わりに一本の鎖が、きらりと形を成す。
「…………センリ」
名前を呼ぶ声が、いつもより少しだけ掠れていた。
「ずっと……?」
「ずっと。死んでもあなたのそばにいる。」
センリは涙を拭いながら、まっすぐに見上げる。
「逃げるなって言うなら、逃げねぇ。
帰れって言われるまで……ずっと、ここにいる」
胸の奥が、痛いほど熱い。
薔薇の鎖が、手首と心臓を一緒にきつく縛るみたいに、きゅうっと締めつける。
けれど、その痛みは、少しも苦しくなかった。
むしろ―やっと“居場所”を見つけたような、安心に近かった。
大地は、かすかに目を細めた。
それから、低く、静かに言う。
「………それなら俺はお前を守る」
その誓いは、誰に聞かせるでもない。
王としてではなく、一人の男としての言葉だった。
次の瞬間、センリの身体は、強く、しかし乱暴ではない力で引き寄せられていた。
抱きしめられる。
広い胸板と、強い腕。
耳のすぐそばで、一定のリズムで刻まれる鼓動。
嵐の夜に聞いたものと同じ音。
けれど今は、その音が自分の鼓動と重なるように響いている。
「……大地さま」
センリは、その胸に額を押し当てながら、ぽつりと名前を呼んだ。
腕の中で、薔薇の鎖が眩しく光る。
センリの手首から伸びた光と、
大地の手首から伸びた光が、空中で絡み合い、しっかりと結ばれていく。
誰にも見えないはずの運命の鎖が、
今だけは、世界に向かって宣言するみたいに――
「このふたりは、番だ」と。
風が、ふたりの周りを優しく撫でていく。
嵐のあとの畑はまだ荒れ果てているけれど、
そこに立つ二つの影は、どんな風にも揺るがないように見えた。
黒の魔王と、ひつじ族の娘。
世界にひとつだけの鎖が、静かに―しかし、決して切れない強さで結ばれた瞬間だった。




