11
広間の空気が少し落ち着いたころ、アイシアがセンリの方へ向き直った。
「センリ」
「なんだべ、ババ様」
センリのアイシアへの呼び名に、周囲の貴族たちがわずかにざわめく。
だがアイシア本人はまるで気にせず、腕を組んで大地を一瞥してから、孫娘をまっすぐ見た。
「黒の魔王から、ひつじ族に使者が送られてきた―理由はわかるかい?」
「……?」
センリはきょとんとして、首を小さく横に振った。
「……わがんねぇです」
アイシアは、はあ、と大きくため息をついた。
「全く、肝心なことを本人に告げてないとはねぇ……」
刺すような視線が、大地に向く。
大地は一瞬だけ目を伏せ、それから真っ直ぐアイシアを見返した。
「……確かに」
認めてから、センリの方へ顔を向ける。
「センリ」
「は、はっはい」
名前を呼ばれただけで、肩がびくりと跳ねる。
大勢の視線が集まっているのをひしひしと感じて、胸がどきどきとうるさくなる。
大地は、そんなセンリの様子を一目見てから、短く言った。
「ここでは話しづらい。―外へ出るぞ」
「え、あ、はい……?」
有無を言わせない声音だったが、不思議と怖くはなかった。
手首の鎖が、彼の言葉に応えるように、静かに熱を帯びる。
大地はアイシアとジールに軽く視線を送り、ほんの一瞬だけ会釈のように顎を引いた。
二人は何も言わず、それぞれ意味ありげな笑みとため息で返す。
センリは、桜炎に軽く背中を押されるようにして、大地の後を追った。
◇
城の裏手は、まだ水害の爪痕が色濃く残っていた。
整然と並んでいたはずの畑は、ところどころ泥にえぐられ、
水が引き切らない場所も多い。
湿った土と草の匂いが、空気に重くまとわりついていた。
「うわぁ……」
センリは思わず足を止めた。
ひつじ国でも、近くの川が増水することはあった。
けれど、これほど広い範囲が一度に水に飲まれた光景は、そうそう見たことがない。
「これ……全部、黒の国の畑なんだべか……」
「ああ」
大地は、隣で静かに頷いた。
「だが、お前が天制球で雨を抑えてくれたおかげで、本来失われるはずだった半分以上が残っている」
「半分……」
「守れた命も、少なくない」
その言葉に、センリは少しだけほっとした。
だが、ぬかるんだ畑の上は歩きにくい。
一歩足を踏み出すたびに、ぐちゅり、と靴が泥に沈む。
「わっ―」
少し深いところに足を取られ、センリの身体が前につんのめった。
倒れる―と思った瞬間、ぐい、と強い力で引き寄せられる。
腰に回された腕。
胸板にぶつかるようにして、センリの身体はぴたりと止まった。
見上げると、すぐ目の前に、赤い瞳。
「……っ」
息が詰まる。
大地の手は、しっかりとセンリの腰を支え、もう片方の手が彼女の肩を押さえていた。
「大丈夫か」
「だ、だいじょぶです……すみません……」
顔が近い。
近すぎて、心臓の音が聞こえそうだ。
手首の鎖が、嬉しそうに鳴る。
しばらくそのまま固まっていたが、大地はふっと息を吐き、そっと彼女を立て直した。
「悪いな。もう少し歩きやすいところにすべきだった」
「い、いえ……わだしが足元見ねえでいたから……」
耳まで赤くなりながら、センリは視線をそらした。
だが、すぐ目の前に広がる荒れた畑が、彼女の目を引き戻す。
「……ここも、全部……?」
「ああ。ここは、元々は俺が作っていたメロン畑だ」
「えっ」
センリは思わず大地を見上げた。
「魔王さま……自分で畑、耕してたんですか」
「魔王さまはやめろ。大地でいい」
「えっ、で、でも……」
「ここには俺しかいない」
淡々と告げられる。
「俺は、王である前に、一人の男だ。
お前に、魔王としてばかり扱われるのは気に入らん」
「気に入らんってあっさり言うんだべか……」
思わず突っ込みが出てしまい、センリは自分で自分に驚いた。
大地はそんな彼女を見て、ほんのわずかに口元を緩める。
そして、ふいに真剣な眼差しに戻った。
「……センリ」
「はい……」
名前を呼ばれるだけで、胸がきゅっと締まる。
大地は、泥に足を取られない位置まで下がり、
センリと向き合うように立った。
風が、二人の間を通り抜けていく。
嵐の夜とは違う、穏やかな風。
だが、センリの胸の内は、嵐とさほど変わらなかった。
「さっき、アイシアが言っていたことだが」
大地は、センリの目をまっすぐに見つめる。
「俺は、ひつじ族に使者を送った。
お前を、俺の妻にすると、正式に申し入れるためにな」
「…………え」
頭が真っ白になった。
言葉としては理解できる。
だが、意味が脳に落ちてこない。
「な、なんで、そんたな……」
震えた声が漏れる。
大地は、迷いなく続けた。
「センリ」
彼は一歩近づき、彼女との距離をまた縮めた。
「お前は、俺の番だ」
薔薇の鎖が、はっきりと鳴る。
「そして―俺の、運命だ」
その言葉は、決して大げさな修辞ではなかった。
赤い瞳の奥に宿る光が、そのまま、すべてを物語っている。
「だから、俺の妻になってほしい」
ストレートな求婚だった。
美辞麗句も、装飾もない。
王としての言葉ではなく、一人の男としての言葉。
センリの喉が、きゅっと詰まる。
「…………けど……」
ようやく搾り出した声は、かすれていた。
「わだしは、なんももってねえ……」
視線が足元に落ちる。
「きれいな服も、ちゃんとした作法も、王様の隣に立つ器も……
ひつじ族の、田舎の巫女の娘で……
天気ちょっと読むことぐれぇしか、取り柄なんてねぇ……」
言えば言うほど、胸の奥が痛くなっていく。
「だど……魔王さまの妻になるなら、きっともっと、すごい女の人のほうが……」
そこまで言ったところで、ふいに大きな手が彼女の頬に触れた。
そっと、しかし逃がさない温度で。
センリは驚いて顔を上げる。
大地の瞳が、すぐそこにあった。
「何もいらない」
静かな声だった。
「お前だけがほしい」
その瞬間。
薔薇の鎖が、眩しいほどの光を放った気がした。




