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―― 三日後。
黒の王城の大広間には、ふだんとは違う緊張が漂っていた。
重要な客人を迎える日だ。
玉座の前に、大地と煉獄、咲鬼、桜炎が並び立つ。
「……来るのは、ひつじ族の使者だけではないのですね」
咲鬼が小声で確認すると、桜炎が書類を見ながら頷いた。
「ええ。ひつじ族側の返答は“協議の上、関係者が直接赴く”とのことでしたが――
その“関係者”が、予想をだいぶ超えてきましたね」
「そりゃそうだろうよ」
煉獄が肩をすくめる。
「黒の魔王が『一族の娘さんください』って文送ったんだ。使者がぽてぽて来る話じゃねぇだろ」
「お前の言い方はどうにかならんのか」
大地が低く言い返した、そのとき――。
扉番の号令が、広間に響いた。
「エルフの王、アイシア様。
ドワーフの王、ジール様、ご到着!」
重い扉が開いた瞬間、空気が一変する。
最初に姿を見せたのは、一人の女だった。
長い銀髪を後ろでざっくりと縛り、年齢不詳の美貌をそのまま顔に貼り付けたような女。
瞳には鋭い光と、場数を踏んだ者だけが持つ余裕が宿っている。
背筋はぴんと伸び、豪奢なローブの裾を引きながら、大股でずんずん歩いてくる。
エルフの王―アイシア。
その隣を、ずしりとした足取りで歩く小柄な男がいた。
背は高くない。だが肩は広く、腕は岩のように太い。
日焼けした顔に深い皺、濃い眉の下で光る瞳は、頑固さと優しさを同時にたたえている。
ドワーフの王―ジール。
並び立つ二人の姿は、たしかに“ただの使者”ではなかった。
「久しいな。バカ弟子共」
開口一番、アイシアがニヤリと笑った。
咲鬼の目が大きく見開かれる。
桜炎の手が、静かに止まる。
(……バカ弟子?)
「アイシア……百年ぶりか」
大地が立ち上がる。
その声音には、ほんの少しだけ懐かしさが混ざっていた。
「おう、黒。相変わらず顔はいいくせに、目つきは悪いまんまだねぇ」
アイシアは豪快に笑いながら、大地を頭からつま先まで一瞥する。
「生きてたか、ババア」
すかさず煉獄が言い放った。
次の瞬間、咲鬼の背筋がこわばり、桜炎がこめかみを押さえる。
(煉獄様……)
「おい」
小声で制止する大地を無視して、煉獄はニヤニヤ笑いを崩さない。
だが、アイシアも負けてはいなかった。
「誰がババアだい、この炎バカ。
あんたは雪山から突き落としても勝手に這い上がってきそうで、始末が悪いよ」
「おっと、それは褒め言葉として受け取っとくぜ」
煉獄がケラケラ笑う横で、ジールがふうとため息をついた。
「相変わらず騒々しい連中だな……」
その声にも、長く知り合った者にしか出せない気安さがある。
大地は、短く息を吐き、玉座の前から数歩降りると、
二人を正面から出迎えた。
「遠路、ご苦労だったな、アイシア、ジール」
「よく言うよ。ひつじ族に文送りつけて、“センリを妻にしたい”なんてぬかすから、
わざわざ腰上げてやったんだ。感謝しな」
ジールがそう言って笑った。
「感謝はする」
大地は素直にうなずいた。
そのやりとりを聞きながら、桜鬼は内心そっと頭を抱える。
(ひつじ族への結婚の申し入れが、ここまでの顔ぶれを招くとは)
そのとき。
「センリ様、こちらです」
桜炎に案内されて、センリが大広間の入り口に姿を現した。
見慣れないきちんとした青いドレスに身を包み、
羊の角を少しだけ控えめに見せた髪型。
いつもより少し緊張した面持ちで、だがまっすぐに前を見て歩いてくる。
(ひぃ……人いっぺえだ……)
心の中で悲鳴を上げながらも、外には出さない。
手首の鎖が、意識が飛んでいかないように、静かに支えてくれている。
センリは、大地の姿を見つけ、ほっと息をついた。
そのとき―視界の端に、見覚えのある人影が入る。
「……あれ?」
銀の髪。
豪快な笑い声。
それから――
「父ちゃん……?」
日焼けした顔。深い皺。太い腕。
目が合った。
「久しぶりだなセンリ」
最初に声を上げたのは、ジールだった。
彼の目がみるみる優しく細まり、次の瞬間には大股でこちらへ歩み寄る。
センリの足は、自然と止まっていた。
「父ちゃん。ババ様もふだりして……とうしたの?」
口から出ていたのは、訛り丸出しの言葉だった。
「……ババ様?」
大地が、そこでようやくセンリとアイシアの距離に気づく。
アイシアは、ふっと目を細めた。
そして、にやりと笑う。
「そうさ。この子は、わたしの孫だよ」
広間の空気が、一気に動く。
「な……!」
咲鬼が目を見開く。
桜炎が小さく息を呑む。
煉獄が「マジかよ」と呟き、口笛を吹きそうになるのをこらえる。
アイシアは一歩前に出て、センリの肩にぽん、と手を置いた。
「この子は、わたしの孫。
そして―ジールの娘さ」
ジールも、センリの反対側に立つ。
「ひつじ族で天候を操り風の精霊の加護をもつ今の時代の巫女の娘の名は、センリ―」
深く息を吸い込み、娘を誇る父親の顔で宣言した。
「この子が、そうだ」
センリは両側から肩をつかまれたまま、きょとんと目を瞬かせる。
(……え? なんで、父ちゃんとババ様、ここさ……?)
状況がまだ飲み込めていない。
一方、黒の魔王の胸の奥では、薔薇の鎖が高く鳴り響いていた。
(エルフの長の孫で……ドワーフの長の娘……
ひつじ族の巫女センリ――)
嵐の夜、天を止めた少女。
ひつじ族の田舎娘だとばかり思っていたその存在が、
とんでもない血筋と背景を背負っていたことが、
ここで初めてはっきりと示された。
だが、大地の顔には、動揺はほんのわずかしか浮かばなかった。
そういうこともあるだろう、とでも言いたげな瞳でセンリだけを見つめる。
鎖が告げている。
どんな血を引いていようが、どんな力をもつ娘であろうが―
彼女が、自分の番であることには、何の変わりもないのだと。




