とりあえず、祈ってみた
はぁ〜疲れた。
午後のケア記録をようやく終え、スタッフルームの椅子に深く腰を下ろす。老人ホームの午後は、静かなようでいて意外とやることが多い。
「加藤さん、献花、行こっか」
大神さんが声をかけてくる。穏やかな口調の先輩で、何かと私に声をかけてくれる。
あ、そうだ。
今朝亡くなった田代さんに、午後から職員が順番でお別れをすることになってた。
エプロンを外し、大神さんと並んで安置室へ向かう。
扉を開けると、静かな空間の奥で、白い花に囲まれて、田代さんは静かに眠っていた。まるで、いつもの昼寝の時間が少し長引いてしまったかのような、穏やかな顔をしている。
小さなテーブルの上には、白い花が一輪ずつ並んでいる。先に来た職員たちが、一人ずつそれを手に取り、静かに手向けていた。
「……え? キリスト教……?」
思わず心の中でつぶやく。
線香も焼香台もない。あるのは、静かに流れる讃美歌と、花の香りだけ。
これ、もしかして、初めてのキリスト教式じゃない? と、一気に緊張が走る。
とにかく、見よう見まねで進むしかない。
花を受け取り、他の人にならってそっと祭壇へ。茎を向こうにして、静かに置く。
ここまではよし。ここまでは、たぶん大丈夫。
……と思ったら、隣の人が何かをしている。
額に手を当て、胸元、そして肩……えっ!? 十字を切ってる!?
えっ、えっ!? マジで!?
映画でしか見たことないやつだよ!?
縦? 横? どっちから? あ、縦が先か……横は……ええい、左からいったれ!
ぎこちない手つきで、なんとか十字を切った“ふう”の動作を終える。
その場を離れようとした、そのときだった。
今度は祈る動作──
またしても、私は迷う。
合掌? いや、キリスト教は指を組むやつじゃなかった? でも、周りは……合掌してる!? あれ、みんな仏教派なの? それとも、よくわからないからそうしてるの? ねえ、誰か教えて!
「……もう、ええい、組んじゃえ」
自分の中で何かが吹っ切れた。手を組んで、目を閉じて、祈る“ふり”をする。
自分でも何の宗教ポーズなのかわからないまま。
心の中ではツッコミが止まらない。
「こんな祈りじゃ、成仏できないよね……いや、成仏って仏教か……」
そもそも私、焼香すら怪しいのに。
十字を切って、合掌しかけて、手を組んで……これもう宗教ミックス状態だよ。
(親族がいなくて本当に良かった……)
祈りを終えて、安置室を出る。
大神さんはわかってる風にやってたけど……お互い「おつかれさま」とだけ言って別れる。
そのままナースステーションへ戻る途中、ふと足を止める。
なんでかな。
白い花のそばで、田代さんがふふっと笑ってるような気がした。