10
その瞬間、緑色の魔力が頭上の糸を駆け巡り、引力が働く。騎士たちは踏ん張り、ジェマはジャスパーとジェットを抱き締める。けれど圧倒的に軽いジェマたちはふわっと足が地面から離れた。
「ジェマ!」
隣にいたシヴァリーが咄嗟にジェマを抱き留める。シヴァリーはジェマを胸に引き寄せると、身体の下に押し込めるように覆いかぶさる。
「シヴァリーさん!」
「ジェマ、ジャスパー、ジェット。しっかり捕まれ!」
ジャスパーはジェマにしがみつきながら、さらにジェットを抱き締める。ジェットはジェマに糸をぐるぐる巻きに吐いて自分とジャスパーの身体をジェマに括りつける。
その姿を見ていたリコリス。つまらなそうにため息を吐いて手を下ろした。その刹那、魔力の循環が停止して引力が止んだ。その場に安定することができた面々は、ホッと息を吐く。シヴァリーは、リコリスに対して鋭い視線を向ける。
「どういうつもりですか。身体の小さいジェマやジェット、ジャスパーが危険になることくらい、容易に想像がつくでしょう?」
シヴァリーの言葉に、リコリスは両手を挙げて飄々とした笑みを浮かべた。
「嫌ですねぇ。シヴァリーさんたちがいるんですから、大丈夫でしょう?」
「だからと言って!」
そう言ってのけたリコリス。シヴァリーは憤怒して更に睨みつける。けれどジェマの心には、ジェットのぷんぷんと怒った声が聞こえていた。
「ダークアラクネの糸に魔力を通すことで発される引力は、一般的な大人の男でも立っていられなくさせるだけの力がある、とジェットが言っていますよ?」
ジェマもにーっこりと笑う。リコリスはこれにはたじろいだ。ジェマとジェットは無警戒にリコリスに付いていき、好奇心と信頼を胸にここまで一緒に移動してきた。そんな2人からも怒りを買うとは、想定していなかった。
それはそうと、その一般的な大人の男でも立っていられなくするはずの引力に当てられても誰一人倒れなかった第8小隊。彼らは一人残らず一般的な筋力や体幹をしていないことは証明された。もちろん、唯一の女騎士、ユウも。
「あれれ。これはちょっと、分が悪いね」
リコリスはその場を切り抜けようと思考を巡らせる。リコリスが思考を巡らせている様子はダークアラクネの糸を介してダークアラクネの縄張りにいる仲間たちに情報共有されていく。数と立地条件において、ジェマたちの分が悪い。
いつの間にかシヴァリーの背後に移動していたハナナ。すぐにジェマを守れるように位置を調整する。剣を取り出すまでには時間が必要。応戦する余裕はない。けれど動体視力に隊で最も自信があるハナナであれば、ジェマを守るくらいならできる。
その身に代えても民を守る騎士として。そして、ただ1人の男としての覚悟を持ってハナナはジェマに対する障害に備える。
「敵襲だねぇ」
「そうだねぇ」
そのとき、縄張り中に張り巡らされた糸に警戒心のない穏やかな声が大音量で響く。糸から離れている個体の耳にもその警告が聞こえた。騎士たちも身構える。
ジェマはそのおっとりした会話するような声に聞き覚えがあった。
「この声、スリーズさんとロッソさん?」
ブラッディアラクネのスリーズとそのパペットのロッソ。ジェマの疑問にリコリスが頷いた。
「ああ。恐らくいつものあれだ。お前らはここにいろ」
リコリスはピリつくオーラを放ち、荒々しく糸に飛び乗って高速で移動する。
ジェマは考えるまでもなくその姿を追いかける。敵襲、そしていつも。その2つのキーワードから直感的に自分の出番だと感じた。
「風よ、我が呼びかけに応え、具現化せよ」
【マジックペンダント】に魔力を長し、大きめのウインドシールドを作るとジェマはその上に飛び乗る。当然その肩にはジェットとジャスパーが乗っている。
ジェマは飛び乗った直後、勢いよく発射する。そのあまりの手際の良さに騎士たちは誰しも唖然としてその場に取り残された。
「追うぞ!」
いの一番にハッと気を取り直したシヴァリーがそう叫んで走り出すと、すぐにハナナ、カポック、ナン、ユウ、と順に続いていく。当然ウインドシールドに乗って移動するジェマに追いつくことができるわけもないが、その風が通り抜けたところは草がなぎ倒されている。その痕跡を辿って森の中を駆け抜ける。
一方リコリスのすぐ後ろを飛んでいくジェマ。当然、その音に気が付いて振り向いたリコリスは二度見した。ウインドシールドをそんな風に使うのはジェマくらいだ。
「リコリスさん! 敵襲とは?」
ジェマがウインドシールドを魔力でコントロールしながら聞くと、リコリスは頭を掻いて諦めたようにため息を吐く。教えたくなかった、ではなく、こいつはこんなやつだもんな、という諦めだ。ジェマの奇想天外な行動に素早く適応するには、諦めるしかない。
「ハンターハプテだ。やつらの集団がこの集落を襲って、見境なく仲間たちを眠らせて連れ去っていく」
ハンターハプテは、肉食のハプテだ。ボアレットの養蜂家、ムジカが育てていたハプテのように花の蜜を集めるわけではなく、昆虫やアラクネ種を麻酔で仮死状態にして誘拐し捕食する。
「よくあるんですね?」
「ああ。度々少数の兵が襲ってくる」
「対策は?」
「しばらく攻撃をするか、向こうの兵が全員捕獲を終えれば帰っていく」
「なるほど」
ジェマは魔力のコントロールを途切れさせることなく考え込む。その姿に、リコリスが拳を握りしめたことには気が付かずに。




