― 運命の通り雨 ―
ヴィスコンティ侯爵の庭園では、ガーデンパーティの真っ最中。
私はバラが咲き誇る庭園から、侯爵邸の空を見上げて困惑していた。
侯爵邸の上にはどんよりとした雲が広がっている。
今にも雨が降りそうだわ。だからかしら?胸がザワザワするのは。
その時だった。ヴィスコンティ侯爵の子息、カルロ・ヴィスコンティが、
バルコニーから私をまっすぐ見下ろして言い放った。
「我が婚約者、ビビアン・ロッソ。
ロッソ伯爵との取り決めにより許嫁であったが
今をもってそなたとの婚約を破棄する」
突然、婚約破棄をバルコニーから高々と宣言され、一瞬私のことではないとさえ思った。
「伯爵令嬢であるビビアン・ロッソとの婚約は親が決めたものだが、
僕は遂に真実の愛を知ったのだ!」
侯爵家の子息ということで口には出せなかったが、カルロは頭が悪い。
そんな彼が一体どこの誰と真実の愛を知ったというのだろう。
こんな大勢の貴族たちが集まるガーデンパーティで、公然と宣言しなくてもよいものを……
貴族たちの視線は、バルコニーのカルロと庭の私とを行ったり来たりしている。
「わかりませんわ。貴方様に真実の愛を教えた女性はどなたですの?」
カルロは、コホンとひとつ咳払いをした。
「お招きした皆さま、大変驚かせてしまいました。
そしてロッソ伯爵。どうかご安心を。
僕に真実の愛を教えてくれた女性を
これから皆さまに紹介させていただきます。」
婚約破棄宣言のあとに、即登場してできる神経の図太い女は誰?
「テーゼ、そんなところに隠れていないで、こちらにおいで」
バルコニー端のカーテンから、ちょこんと顔だけ出したのは、私の妹テーゼだ。
ガーデンパーティの招待客たちも、知り合いの令嬢も、
予想していなかった話の展開におぉ!と驚きの声をあげた。
「カルロ様、いやですわ。ご勘弁くださいませ。お姉さまの目の前でそんな……」
テーゼの名はロッソ領では有名で、広く知られている。
彼女はどんな時でも悲劇にあったかのような態度が出来ることから
ついた二つ名がある。
「お姉さまが可哀そうですわ。
わたくしがお姉さまを裏切ってカルロ様を愛してしまったことがいけないんですの。」
【悲劇の演技派 テーゼ】それが彼女の二つ名。
「こんなわたくしが……この場に出る資格はございませんわ」
と、言って涙ぐむ。
さすが。その名に恥じない演技ですわね。
この場に出る資格も何も、全てテーゼのシナリオ通りなのでしょう?
涙ぐむまでが早くなったわね。
でもいくら上手くなっても演技なのはお見通しよ。
今まで何度も見てきたもの。
心の中では勝ち誇って大笑いしているのまで見えますわ。
周囲の人々は、私のことを侯爵子息にフラれた、なんて哀れな令嬢なんだと思っているだろう。
そのうえ、婚約者を盗ったのは実の妹なのだからなおさら。
でも私が何も知らなかったと思う?
私は知っていたわよ?
テーゼがカルロと仲良くしたがっていたことを。
昔から彼女はなんでも私から奪うのが得意だった。
口癖は「お姉さま、ずるいーーー!」
私の婚約についても、「お姉さま、ずるいーーー!」と言って羨ましがり
なんだかんだ理由をつけてはヴィスコンティ邸へ一緒に着いてきた。
そのたびに、カルロに色目を使っていたことも知っている。
廊下でも、お茶の席でも、扉を隔てた向こう側でも……
周囲の人々の見世物を見るような視線が、私に突き刺さる。
最初から親同士が決めた婚約に、愛情はなかった。
しかし、それを公然と口に出すほど私は愚かではない。
それでもこの場は、伯爵令嬢が取り乱すほどの悲しみを演じたほうが
見世物としては盛り上がるのかもしれない。
当然テーゼは、そんなシーンを期待している。それが姉の私にはわかる。
よろしいでしょう。
ご希望に添えるような演技を、妹へのお祝いに演じてさしあげましょう。
「なぜですか?カルロ様。わたくし達は結婚を誓ったではありませんか。
幸せな家庭を共に作ろうと……
どうして、今になって妹のテーゼがいいなんて、そんなことをおっしゃるのです」
愛してはいなかったものの、数年間はカルロのために捧げてきたようなもの。
侯爵夫人になるための礼儀作法や教養などを身につけるために、ほぼ全ての時間を費やしてきた。
貴重な少女時代の数年間を返してほしいくらいだわ。
演技をしているうちに、だんだん悔しさがこみあげてきた。
本当に悔しくて涙がこぼれそう。
「貴方様は、わたくしを妻にするとおっしゃったじゃありませんか」
よし、決まった。
「わたくしは……、わたくしは……」
涙を誘うセリフに、遠巻きで見ている他の貴族やメイドたちにも動揺が走る。
――こんな大勢の目の前で、婚約破棄されてかわいそうなビビアン
明日からは、街中この噂でいっぱいになるでしょう。
しばらくは家から出られなくなるかもしれない。
私がそんなことを考えている中、
何も考えていない、この頭の悪い婚約者は続ける。
「愛とはどんなモノか……それを知らない者との婚約はありえない。
ビビアンは婚約者として不適格だった。
しかし、この婚約は破棄になっても、ロッソ家との交流はなくならない。
なぜなら、真実の愛を教えてくれたテーゼ・ロッソこそ、僕の妻になるべき女性だからだ!」
知らない者との婚約はありえない?
あんたも知らなかったでしょ。と心の中で突っ込んでみたものの
周囲の人々は、さっきの憐みの涙のシーンから一転し、パチパチと拍手を送り始め
おめでとうございます。と声をあげる。
「なんて都合のいい人たちなの。
こんなくだらない茶番劇をこれ以上続ける意味はないわ……」
私は祝いの喧騒の中そう呟く。
そろそろ妹の引き立て役は退場しなくては、お祝いになりませんものね。
私の出番はここで終わりにさせていただきますわ。
「そう……本気なら、仕方ありませんわ」
「もちろん本気だ。そしてテーゼとの愛は本物だと確信している!
よかろう?ロッソ伯爵」
「そ、そうですね。それで丸く収まるのならまったく問題ございません。
お互いの家が固く親戚の縁で結ばれるのですからこんなに喜ばしいことはありませんな」
長女の悲劇よりも家柄を優先する父に、私は失望した。
どうしても格式の高い家と親戚関係になりたいのだ。
「娘のテーゼをよろしくお願いいたします」
現時点をもって頭の悪いカルロはもう私の婚約者ではなくなった。
だが、そのカルロが信じられないような提案をしてきた。
「しかし、まぁ、ビビアンとて器量が悪い娘ではない。
……そうだな、正妻はテーゼでビビアンは愛人というのも悪くない。
ビビアン、気が向いたらそなたの部屋をたずねて遊んでやってもいいぞ」
ここは演じる暇もなく、即答で
「魅力的なお話ですが、丁重にお断りいたします」
カルロも、テーゼも、父もいっせいに顔色が変わった。
今まで、幾度となくその場の空気を読み、
的確な反応をして「はい」としか言わなかった私が
こともあろうに侯爵子息の誘いを断ったのだ。
「何?この僕の誘いを断るというのか」
引きつった顔でカルロは言った。
そうよね。
こんなに大勢いる前でプライドを傷付けられたんですもの。
「カルロ様の愛人になるなんて、そんな妹を苦しめるような真似はできません。
どうか妹を生涯大切になさってください。
それでは、失礼します。
セバスチャン、馬車をお願い」
そんなカルロに追い打ちをかけるように
私は従者のセバスチャンを呼んだ。
「ままままったく、しょうがない娘でありまして、失礼いたしました。あはは、あはは……」
父は苦笑いしながらごまかそうとしている様子。
その不愉快な笑い声と周囲の人々の騒めきを背中で聞きながら、私は庭園を後にした。
元婚約者カルロが悔し紛れに叫んでいるのが聞こえる。
「後悔したってしらないからな!!!!」
私の予想通り、空を覆っている灰色の雲からはポツリポツリと雨が落ちてきた。
ヴィスコンティ邸の庭からは、人々が慌てる声が聞こえてくる。
このガーデンパーティは大失敗だったわね。
セバスチャンは私を馬車に乗せると、御者に急いで出発するようにうながした。
馬車は、私を雨からかばうように走り出す。
この道は街のにぎわい市場へと続いている。
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