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僕と男装令嬢の小夜曲

作者: らめんま。

 白い髪が風を受けてふわふわと揺れる。


「はぁ〜……サボりたい帰りたいピアノ弾きたい」


 窓から遠目に見える王城をぼんやり眺め、僕は本日何度目かも分からない溜め息をついた。


 王都に続く、綺麗に舗装された石畳。その上をローゼブル侯爵家の家紋が刻まれた馬車がカラカラと走る。

 そして優雅な薔薇の模様が描かれた美しい馬車の中で辛気臭い溜め息を吐き腐る、僕。


 ルート・ローゼブル。ローゼブル侯爵家の次男坊だ。


 窓の外では道路沿いの小さな民家の花壇で色とりどりの花が鮮やかに咲き、花売りの少女が楽しげに花を売っているのが見える。

 この後の予定のあまりの面倒臭さに「わあなんて素敵な花なんだろう花売りさんその赤い花ひとつ!」と言って馬車から飛び降りて全力でバックれてしまいたいところだが。


「……地面まで約1メートルってところか。よ〜し、足の骨の1本や2本くらいなら……」

「ルートねぇ待って?もしかしなくても飛び降りようとしてない?絶対やめよう!?」


 窓から身を乗り出したところで焦った父さんの声に止められた。

 残念ながらそう上手くはいかないらしい。


「受け身をとればいけそうなのになぁ」

「受け身の取り方知ってるの?」

「知らないけどとりあえず適当にゴロゴロゴロって転がっとけば衝撃が分散されていい感じに……」

「なりません」


 僕はちぇっと口を尖らせた。


 面倒だ。とてつもなく面倒だ。何が楽しくて全く知らない人達と一緒にお茶を飲んでキャッキャウフフしないといけないのか。

 こんな事なら家でピアノを弾いていたかったと空を見上げ、すんと鼻を鳴らす。


 ああお空はこんなにも青くて澄んでいるというのに僕は馬車という名の鳥籠の中です。

 ……お城爆発すればいいのに。


「こら、みっともないぞ」と父さんに注意され、僕は仕方なく窓に頬杖をつくのをやめて悪態をついた。


「そんなこと言ったってめんどくさいものはめんどくさいんです〜う」

「いや父さんだって面倒臭いから行きたくなんかないけどね、王家から招待状が届いちゃったから行かないといけないんだよ〜ごめんけど一緒に耐えて。ね?」

「そもそも僕お茶よりコーヒー派だしぃ。お茶は別に好きじゃないしぃ。あっそうだ!今からでも茶会は欠席してあそこに見えるカフェに行きたいと思うのですが、いかがでしょう?」

「いかがでしょう、じゃないよ!?無駄にいい笑顔しないの!」

「やだな〜……もう既にめんどいし行きたくない帰りたい」


 馬車の中で横になりごろごろしながら抗議する。

 じたばたごろごろしていると「父さんの愛のムチ!」とぺしっとおでこを叩かれた。


「痛った!家庭内暴力!虐待!」

「ルート。さすがにお行儀が悪いよ。ちゃんと座りなさい」


 真剣な口調で諭され仕方なく座り直す。しかし数秒後には「やだやだ行きたくない」と駄々を捏ねる。

 と、父さんの膝の上で握られていた拳がぶるぶると震え出した。


『あ、さすがにふざけすぎたかな』


 そう思った矢先、父さんはわっと顔を覆ってしまった。そして叫んだ。


「父さんだってサボりたいのに!」

「よし父さん、一緒にサボろう」


 僕達が向かっているのは王家主催のお茶会会場だ。

 表向きは王子の誕生日を祝い、王子と歳の近い子ども達で楽しくお茶を飲みましょうという平和な催し。


 しかしその実態は王子の側仕えや学友となるに相応しい人物を探す為の選定といったところか。学友候補と同時に王子の婚約者候補も選出される。

 つまり上手くいけば出世頭。つまりわっしょい玉の輿。のし上がってやろうという野望を抱く貴族にとっては、この機会を逃す手はないというわけだ。


 でも僕はあのすぐ癇癪を起こし周囲を困らせるばかりのわがまま王子にお近付きになりたいとも思わない。一日中一人でピアノを弾いて作詞作曲をしている時間が三度の飯より好きなのに、何故茶をしばかせるのか。全くもって時間の無駄だ。なんだったらおまえをしばいたろうかという話だ。


 故に、心の底から、全力で、サボりたい。


「今からでも病欠にできない?駄目?」

「ルート気付かなかったの?この馬車に王章が描かれてることに……」

「えっこの馬車ウチのじゃないの!?」

「この引きこもりめ!王家がわざわざ馬車出して送り迎えしてくれてんの!御者の隣には王家の遣いが同乗してる!もう脱出不可能!」

「つ、詰んでる……!」


 このお茶会は基本的に自由参加だが、伯爵位以上の爵位を持つ家の当主とその子ども……15歳前後の子息令嬢は絶対来いや、とのお達しが出ていた。

 極度の社交嫌いで定評のある僕と父さんだったが父さんは母さんに丸め込まれ、僕は最後の最後まで粘ったものの最終的には馬車の中にぺいっと放り込まれた。無念だ。


「あーサボりたい……」

「今ならサボりたいの歌が書けそう……」


 サボりたいサボりたいと父と子でじめじめしていると、突然僕の隣からぎゃんぎゃんとうるさい声が上がった。


「一番サボりたいのはボクだよ!なんでボクまでお茶会に行かなきゃいけないわけ!?」

「あっ、そういえば兄さんも居たんだった」

「居たよ!ずっと!お前の隣に!」


 僕の兄のセシル兄さん。僕と父さん以外は自由参加だったのにも関わらず、何故か兄さんまで母さんの手によって馬車に押し込まれたのだ。むぎゅっと。それはもう見事な押し込みで。いつもはずっとうるさいのに珍しく静かだったものだから完全に存在を忘れていた。


「セシルは……その、母さんがデザインした新作スーツの宣伝要員だから……」

「ふざけるな!そんなのマネキン抱えて行けばいいだけだろ!ボクがわざわざ社交に顔を出す必要なんか無いじゃないか!」

「やだよマネキン抱えてお茶会なんて。頭おかしい人だと思われちゃうじゃん」

「本気で抵抗してる息子を満面の笑みで馬車に詰め込むあんたの妻の方が頭おかしいよ!」

「なんだとー!?そんな強引なところも可愛いでしょうがー!」

「うるさいなぁ……」


 ぎゃんぎゃんと親子2人の醜い言い合いが始まり、僕は耳を抑えた。


 僕より6つ上のセシル兄さんは見た目だけなら国の中でも1、2を争うほどの美貌を持っている。故にデザイナーである母さんのおもちゃにされる事が多いのだが、本人が僕達と同じく大の社交嫌いなのでめちゃくちゃごねる。開会から閉会まで3時間の夜会に行くのに3日はごねる。


 しかしひとたび社交の場に出ると完璧な侯爵家の跡取り息子として振舞っているのだから凄いなぁと思う。中身めちゃくちゃそそっかしくて残念だけど。

 貴族は嫌いだけど街の人達は好きみたいで領民からは慕われているらしいけど、僕はこの人のどこが良いのかさっぱり分からない。お節介だしひたすらに喧しいだけである。


「とにかくボクは見世物になんかなりたくない!」

「まあまあ。ほら、コレットさんも来てるかもしれないよ?かっこいいスーツ姿見せられるじゃん」


 コレットとは兄さんの婚約者のダンデリオン伯爵家のご令嬢だ。とても優しくて穏やかな人で僕も好き。

 よく手作りの絶品焼き菓子を持って来てくれて僕も2人のお茶会に参加させて貰ったりするのだ。デートのお邪魔虫と言うなかれ。コレットさんのお菓子は本当に美味しいのだ。


 そういえばと僕は思い出す。


「こないだのお茶会で兄さんがちょっと外してた時、親戚との付き合いでちょっとだけお茶会に顔出すみたいな話をしてたよ」

「えっ、ほんとに!?」

「お茶会用のドレス着たコレットさん、きっと可愛いぞ〜。『セシル様、今日のスーツ姿、いつもに増して素敵です……!』なーんて言いながら頬染めちゃったりなんかして」

「なーにちんたら走ってるんだよ!もっと馬飛ばしな!!!」

「ふっふっふ……それでこそ私の息子だ!」


 さっきまでの剣幕は何処へやら。婚約者の事を思い浮かべているのだろう、窓の外を眺める兄さんの表情はとても幸せそうだ。僕はまだよく分からないけど、恋とはなんだかとても素敵なものらしい。


『まあ、僕にはまだとうぶん縁のない話だろうけど』


 僕は視線を移し、窓の外を流れる景色をぼーっと眺める。行きたくないなぁと呟きながら。


 後に僕はこう語る。


 あの時馬車から飛び降りて華麗にサボタージュをキメようとした自分を土に埋めたい。行っててよかった、お茶会最高!……と。



 ✧︎‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦



 お茶会は賑わっていた。優雅に茶を飲みあちらこちらで談笑する貴族。


「じゃ、ボクはコレット探して来るから。まあ適当に楽しみなよ」


 兄さんは会場に着くなりひらひらと手を振り、上機嫌であっという間にどこかへ行ってしまった。


「ルートは行かなくていいの?」

「うん、僕は父さんと一緒に居るよ。にわかに心細いし」

「同感。父さんから離れるなよ。泣くぞ。父さんが」

「泣かないでよ」


 あいにく僕はまだ本格的な社交界デビューもしておらず婚約者もいない身で、それどころか社交に興味が無さすぎて知り合いもほぼ居ない。


 ほぼ、である。全く居ないとは言っていない。


「クリスくん。そうだクリスくん居るかな!今日こそ!」

「まーたクリスくんか。もう諦めなよ〜あれから1度も会えてないんでしょ?」

「もう顔も忘れちゃったけど一緒に歌ったんだ!友達以外の何物でもないよ!」

「そんな同じ釜の飯を食えば仲間みたいな……」


 幼い頃に出会った、クリスと名乗った緋色の髪の男の子。泣き虫で、でも一緒に居ると温かくて大好きだった。


 あの子いったいどうしてるんだろう、僕の唯一の友達なのに。


「ほんとどこに居るのクリスくん!また会えたら一緒に遊ぼうと思ってゲーム一式揃えたのに!」

「どうどう……」


 カードゲームやテーブルゲームなどの一緒に遊べるゲーム類を集めまくったのに、肝心の彼とは会えないままだ。

 遊び相手の庭師のポムじいとの仲ばかり深まっていく。なんてこった。


「それにしても、あの頃のルートは所構わず何処にでも登りたがるしほんと猿みたいだったなぁ。木登りルーちゃん。懐かしいなぁ」

「まあ子どもはそんなもんでしょ。庭の木の枝折ってからはもう止めたじゃん」

「おっまえ全く悪びれもなく!あの木家の門の隣に生えてて折れたとこめっちゃ目立つのに!……ほんとどうしてこんな小生意気な子に育っちゃったんだろ……父さん何か子育て間違えたのかなぁ……はぁ」


 昔、僕がまだ5歳くらいの頃。

 初めて参加した王家主催のお茶会で、あの日も僕は元気に暴れ回り、大人しく茶なんか飲んでられっか僕はコーヒー派だと華麗にサボタージュをキメていた。


 そんな時だ、彼と出会ったのは。


 やるも事なくて暇だしとりあえず庭に生えている一番でかい木にでも登って下々の民を見下ろすかと木に近付いたら、木の後ろから誰かの泣き声が聞こえて来たのだ。

 そっと木の影を覗くと、そこには目を真っ赤にして泣き腫らしてひっくひっくとしゃくり上げている同い年くらいの男の子が居た。


『どうしたの、そんなに泣いて』

『うっ、うぅ……っ!ぼくのこと、みんな変だって言うんだ……。オトコンナだって、からかわれて……』

『変?』


 男の子をまじまじと見つめる。シャツを着て、ズボンを履いて、ベストにネクタイまでちゃんと締めている。

 むしろ母さんの趣味で髪を伸ばされ、ドレスを着せられどっかの国のお姫様みたいな格好をしている僕が一番変である。

 オトコンナ、という単語は知らなかったので僕は華麗にスルーした。


『よく分かんないけど……お歌を歌えば悲しくないよ』


 何かあったのかと少し気にはなったものの、それよりも遊び相手が見つかったことに対する喜びの方が大きく。僕がするすると木を登ると彼は呆気に取られていたようだったけど、おいでと手を伸ばすとおずおずと小さな手が差し出された。

 彼の手を握ってぐいっと引き上げ上の方まで登ると、彼は金色の瞳をきらきらさせながら景色を眺め、「綺麗」と呟いた。涙はすっかり引っ込んだようだった。僕は嬉しくなって、その時即興で作ったでたらめな歌を歌った。


『蜂蜜色の夢の中でまた会おう

 甘い紅茶の香りの中で

 出会えたことを忘れないでね

 ずっと僕達友達だ』


 小さい頃から僕は音楽家だった。木の上で高らかに歌えば、ぱちりと涙に濡れた瞳と視線がぶつかる。


『すごい。その歌、なぁに』

『ともだちの歌!このお歌を歌えば、この綺麗な景色もずっとずっと思い出していられるでしょう?』

『……うん!』


 そう言って笑った彼の蜂蜜色の瞳は、木の上から見た景色なんかよりもずっと綺麗に見えた。

 あのでたらめなともだちの歌を、僕は今も忘れずに覚えている。


 それなのに。


 悲しいことに、あれ以来クリスくんには会えていない。実質友達はゼロである。

 僕はしょんぼりと肩を落とし、大人しく父さんに引っ付いて行動することにした。



 ✧︎‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦



「ルート、アンディエゴ侯爵だ。適当に挨拶してくるからケーキでも食べていなさい」


 こそこそと声を潜めて父さんが向かった先には腹のよく出た恰幅のいい男性が居た。

 その男性は「やあ、オリブくんじゃないか」と嫌な笑顔を浮かべると自分の自慢話から始まる挨拶をし、さらに嫌味な自慢話をべらべらと話し出した。とことん嫌な人である。

 僕は「ええ」とか「そうですね」などと言いながら笑顔で自慢話を受け流している父さんをケーキ片手に眺める。


「大人って大変だなぁ。あ、このケーキ美味しい」


 暫くするとやっと解放された父さんがこちらに戻って来た。その顔はどこかゲッソリとやつれている。


「お疲れ様。アンディエゴ侯爵はなんて?」

「自慢、自慢、自慢の嵐!もうやだ帰りたい!これだから社交は嫌なんだよ!帰って愛する妻に会いたい!頭よしよしなでなでされたい!」

「勢いが凄い……」


 馬車の時より酷い。既に涙目だ。こんなところで泣かないで欲しい。


「ほら、これ美味しいよ。食べて元気出して」

「うっうっ、ありがとう……!はぁ、どこで食べようかなぁ……」


 ケーキの皿を手にきょろきょろと辺りを見回していると、丁度誰かを見付けたらしい。父さんがおやと目を見開き、しかし今度は先程とは違ってぱあっと表情を明るくさせた。


「アキドレア辺境伯様!」

「おや、ローゼブル侯!」


 燃えるように赤い髪の人物が振り向く。髪が短かったので男性かと思ったが、よく見ると背の高い美しい女性だった。しかし男子はスーツ、女子はドレスが当たり前の社交場の中で彼女が纏っているのはモーニングドレスではなくスーツである。そういう趣味なのだろうか。


「アキドレア辺境伯様だ。代々女性しか爵位を継げないという変わった風習がある、あの名門の。この間セシルがバランス栄養食とやらを送った」

「ああ、カロリーバーとかいうやつね。アキドレア騎士団に卸したんだっけ」


 一時期、母さんに何かを囁かれた兄さんがコレットさんと一緒に何やら台所を荒らしていた事があった。

 その時作っていたクッキーのようなビスケットのような、棒状の「カロリーバー」なるものをレシピ化して大量生産し、騎士団に卸したのだ。どうやらそれで繋がりが出来たらしい。


「先日はお取り引きして頂きありがとうございました。おかげでうちの騎士団も以前より俄然稽古に身が入っているようです」

「いやぁ、私はなんとも。うちのせがれが言い出した事ですので」

「差し支えなければ是非これからもカロリーバーを我が騎士団に流通して頂きたいと思っているのですが、よろしいでしょうか?」

「ええ、勿論。貴女様が守っていらっしゃるのは敵国から狙われやすい上に魔物も襲い来るとても難しい土地です。我が領からは物を流す事しか出来ませんが、私にも国境を守る手助け、ひいてはこの国の平和の為に働く事が出来ていると思うと心から嬉しく思います」

「はははっ、そのように言っていただけるとこちらも辺境伯なんてものをやっている甲斐があるというものです。今度ともどうぞ末永い付き合いをよろしくお願いします」


 がっしり、熱い握手を交わす。女性ながら父にも劣らない力強さだ。

 かっこいい女の人だなぁなんて思っていると、ついと流れたアキドレア辺境伯の視線がこちらを捉え、「おや」と目を瞬かせた。


「失礼、ご挨拶が遅くなりました。ローゼブル侯のご子息で?」


 力強い眼差しを向けられどきりとする。

 こくりと頷くと形の良い唇が嬉しそうに弧を描いた。


「私の子どもと歳が近そうだ。君、名前は?」

「ローゼブル家の次男、ルート・ローゼブルと申します。歳は14です。以後お見知りおきを」

「おや、うちの子と同い年だね。私はアリア・アキドレア。アキドレア家11代目当主に当たる。どうぞ、よろしくね」


 手を差し出されたのでそっと握る。白くすべすべとした貴族女性の手とは違い、日に焼けて剣だこや傷で少しごつごつした手だった。

 僕が驚いた顔をしていたのがばれたのだろう、アキドレア辺境伯様は「女らしくないと思ったかい」と笑った。


「アキドレア家の女は皆こうだ。幼い頃から剣を持たされ、一生剣を握って生涯を終える。手袋をしようかと思ったのだが生憎家に置き忘れてしまってね。驚かせてすまない」

「いえ、そんな……!」


 どうやら失礼な行動を取ってしまったらしい。僕は慌てて首を振った。


「僕は家に篭ってピアノばかり弾いていて、剣なんか持ったことも無いんです。だから憧れるなぁって。かっこいいと思いました!こちらこそ驚いてしまってすみません。失礼な態度をとってしまったことをお詫び致します」


 僕の言葉に、剣だこを撫でていたアキドレア辺境伯様の手が止まる。そして好奇心の強そうなシャンパンゴールドの瞳がまじまじとこちらを見つめ、次いでふっと優しげに微笑んだ。


「ありがとう、小さな紳士さん。君の作る音楽は私も好きだ。うちの子も『花売り娘』をよく口ずさんでいる。素敵な曲を生み出す才能を持つ君を私も尊敬するよ」


 僕が発表した曲を聴いてくれていたらしい。遠い辺境まで僕の作った曲が届き愛されていると知り、心臓から血が巡るドクドクという音がいつもより大きく聞こえた。


「ありがとうございます!」

「ふふ、元気が良くてよろしい」


 アキドレア辺境伯様は満足げに口角を上げると、にこにこしながらずっと後ろで様子を見守っていた父さんの方を振り向いた。


「もしよろしければ、うちの子を呼んできても?彼となら引っ込み思案なうちの子も仲良くなれそうだ。今後の為にも是非仲良くしてやってほしいのですが……」

「ええ、勿論構いませんよ」

「ありがとうございます」


 アキドレア辺境伯は父さんの言葉に騎士のような礼をとると機嫌良さげに口の端を持ち上げ、背中を向けて優雅に去っていった。


「アキドレア辺境伯様、モーニングドレスじゃなくてスーツ着てたね。女の人なのに」

「アキドレア家の風習なんだって。国王様も認めてるよ」

「へー」


 アキドレア辺境伯家は代々続く武道の名門だ。

 初代当主は女性で、性別を偽り騎士として戦争の最前線に立ち、次々と迫り来る敵国の兵士達を薙ぎ払ったという歴史がある。

 以来、本来ならば国を守った功績を称えられて公爵位を与えられるところ、体を動かしていないと落ち着かないからという理由で辺境伯として国境を守っている。


「彼女はあれでいてアキドレア騎士団の総司令官だ。父さんが全力で襲いかかっても軽く捻って返り討ちに出来るほどの実力があるんだよ」

「相手が父さんなら誰でも勝てるでしょ」

「酷くない?これでも若い頃は護身術齧ってたんだよ?結構強いんだよ?」

「へー」

「へーって!傷付いた!父さん傷付いた!」


 僕の気のない返事にぷんすこと怒りケーキを頬張る様子からは全く威厳とかそういったものが感じられない。頑張れば僕でも倒せそうだ。

 試しに手を開いたり握ったりしてみると「ひぇっなにしてんの怖ぁ」と情けない声が飛んで来た。いけそうだ。


「そういえば辺境伯様、僕と同い年の子どもって言ってたけど男の子かな?」

「いや、アキドレア家のお子さんは確か一人娘だったはずだよ。辺境伯と言うだけあって住んでる土地が土地だから滅多に王都には出て来られないし、私も直接は会ったことがないけどね」

「女の子かぁ」


 女の子って正直苦手だ。なんだか変な理想の王子様像を押し付けてくるし、何かあるとすぐ泣いていつの間にか僕が悪者になっているのだ。いつもいつもそんなかんじで父さんに叱られるので女子に対してあまり良い印象を持っていない。


「ルートに女の子の友達かぁ……同性の友達も居ないのに」

「父さんに似たんだよ。あとクリスくん居るもん」

「酷い!ちゃんと友達居るもん!取引先の人ばっかだけど!」


 そんなこんなで親子で戯れているとアキドレア辺境伯が帰って来た。隣には僕と同い年くらいの子が引っ付いている。


「やあ、待たせてすまない!紹介するよ、うちの娘の……」


 と、アキドレア辺境伯の陰から女の子がそっと顔を覗かせた。しかしすぐにまたサッと陰に隠れてしまう。


「ほら、クラリス。挨拶しなさい」

「うぅ……は、はい……」


 恐る恐る、といった様子で出て来たのは顎の先で切り揃えられた、襟足が短めの燃えるような赤い髪をした女の子だった。

 自己紹介される前に名前が分かってしまった。クラリスさんというらしい。


 アキドレア辺境伯に似て少しつり目がちのゴールドの瞳は、初対面で緊張しているのか不安げに揺れている。

 他の令嬢と違ってドレスではなく紺のスーツスタイルだが、袖から覗く細い手首が可憐だ。


「私の娘だ。我が家の風習によりあまり令嬢らしい格好はしていないが中々可愛いだろう。仲良くしてやって欲しい」

「お、お母さん……!」

「ははは。恥ずかしかったか。ごめんごめん」


 羞恥に顔を真っ赤にして涙目で抗議するその表情は乙女そのもの。

 父さんがコソコソと耳打ちしてくる。


「可愛い子だね。男装してるのが勿体ないくらい」

「たしかに……」


 いずれ国内最大の騎士団の総司令官になる子だ。普段から鍛錬を積んでいるのだろう、小麦色に焼けた肌がとても健康的に見える。

 他の令嬢他の令嬢は大なり小なりメイクを施しているが彼女は何もしていない。しかし何も隠す必要の無いほど肌が綺麗だ。そばかすもチャーミング。髪を伸ばしてドレスを着ても確実に似合うだろう。


「今まで僕の周りに居なかったタイプの子だ」

「ルート女運悪いもんなぁ……。父さんが良かれと思って連れて来た取り引き先の令嬢がストーカー化したこと3回、婚約を条件に脅迫されたこと2回、その他諸々4回……」

「僕悪くなかったよね?」

「お前が悪いこともあった」

「そうかなぁ」


 父さんから視線を戻すとバチッと目が合った。ヒャッと小さな悲鳴を上げて隠れられる。僕を見るやいなや一直線な子にしか会ったことがなかったのでこの反応は新鮮だ。


 しかし自己紹介をしない事には何も始まらない。


「あの、初めまして。ルート・ローゼブルと申します」

「……!」

「……一応音楽家やってます……」


 出て来ない。参った。

 アキドレア辺境伯様も困った様子で苦笑いしている。

 と、僕はアキドレア辺境伯様の服を握る手が震えているのに気付いた。


「クラリス、ほら自己紹介しないと。……大丈夫、彼はクラリスを虐めたりなんかしないよ」

「でも、でも……!」


 もしや怯えられているのかと考え。


「おりゃ」


 僕はおもむろに傍に生えていた植木の葉っぱをむしった。


「ルート?何を……」


 葉っぱに唇を押し当て、ぷぃーっと音を鳴らす。草笛である。

 音階が出ることを確かめ、僕は演奏した。

 アキドレア辺境伯様が言っていた、彼女が好きだという『花売り娘』を。


「おお」

「これは凄い」

「……!」


 いつの間にか人が集まって来る。横でチャカチャカとリズムを取る音が聞こえた。父さんが石と石を擦り合わせて拍子を取っている。にこにこで。

 そうしていると、お茶会で音楽を演奏していた音楽団が一緒になって演奏し始めた。観客は大盛り上がりだ。


『出て来てくれるかな。楽しいって、怖くなさそうって思って貰えたら』


 震えているあの手を、怖くないよと握ってあげられたら。


 演奏が終わり、目を開くといつの間にか日が傾いていた。お茶会もそろそろお開きである。


「ちょっと演奏しすぎたな」


 調子に乗って3曲も演奏してしまった。即興で合わせて演奏してくれた音楽団の皆さんに感謝である。

 と、アキドレア辺境伯様の隣に少女が立っていた。もう隠れる必要は無いみたいだ。彼女のキラキラした瞳が僕を映す。


「……す、凄かった……!実はぼく、君の曲大好きで……」


 一歩踏み出した彼女は恥じらうように俯いた。先程の自分の態度を思い出したのだろう。


「さっきは怖がったりしてごめんなさい。その、ぼくは……」

「あ」


 雲の切れ間から赤い太陽が覗く。

 夕日に照らされた彼女の瞳を見て、気付いた。


 暖かな緋色の髪。溶けてしまいそうな、甘い蜂蜜色の瞳。

 僕は思わず手を伸ばし、細い手首を掴んだ。


「見つけた」

「えっ」

「ねえ、覚えてる?ともだちの歌」

「……もしかして」


 蜂蜜色の瞳が揺れて、潤んだ。僕は笑って、頷く。


「ずっと君を探してたんだよ。クリスくん」


「ずっと会いたかった」と手を握り直す。

 その手はもう震えてはいなかった。


「ルーちゃん、ルーちゃんなんだね」

「うん。あの時の僕の方が君よりずっと変な格好してたでしょう」

「ふ、ふふふ……。ほんと、可愛かった。お姫様みたいで。ぼくもずっと、きみに会いたかった」


 ふわりとシャボンの爽やかな香りが僕を包んだ。僕もぎゅっと抱き締め返す。温かくて柔らかかった。女の子だった。

 感動の友との再会に歓声が上がる。僕は心が舞い上がるような心地だった。


「クリスくん」

「うーん、クリスっていうのはうちの伝統で……ちっちゃい時にだけ名前も男の子の名前で呼ぶんだ。今はクラリスで良いよ」

「そっか、じゃあクラリス……さん?」

「ふふふ、なぁに。ルーちゃん」

「そっちも呼び方変えて欲しいなぁ。あはは」


 少しハスキーで柔らかな声が心地良い。静かに、ころころと笑う表情はたしかに昔一緒に遊んだあの頃の少年の顔と一致した。


 別れを惜しみながら手を振り、また会おうと誓う。


 そして僕は満ち足りた気持ちで帰宅し……勢い良く頭を抱えた。


「可愛かったよ!好きになっちゃったよ!!!」

「おおお怒涛の告白」

「あっちにはほんとにただの友達だと思われてるよどうしよう父さん!?帰り際もぎゅってされたよ!?ねえどうしよう!?可愛過ぎて心臓止まるかと思った!」

「どうしようっつったって、ええ!?そんなの、そんなのなぁ!今後も永続的に優先的にお取引をするためとか適当に理由でっち上げて婚約届送り付ければいいんだよ今すぐ手紙書いてやるから大人しく待ってな」

「さすが父さん!14年間生きてきて今が一番父さんのこと好きだよ!」

「はっはっは任せろ父さん本気出すから……ってちょっと待って14年で今?ねえちょっと」


 僕は侯爵家の次男で兄さんが跡を継ぐので婿入りしてもなんら問題はない。家格も釣り合うしノープロブレム、と思い掛けてはたと気付く。


「あれ、そういえばアキドレア辺境伯家の女は総司令官として戦場を後ろの方から見て指示するけど、男は……?」


 騎士団と名が付くのだから婿入りした男も騎士になるのだろう。となると、僕は……


「父さん!止まって!僕戦場で先陣切って戦わなきゃいけなくなる!ヒョロガリもやしなのに!死ぬーーー!!!」


 僕の小夜曲(恋のうた)はまだ始まったばかりだ。



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