殉教-4
数日が過ぎた。
エレインは相変わらず、領地内の至る所の魔素を調べたり、土壌を調べたり、封印術の解析をしていたり、日記を読み返してこの地で何があったのかを確かめたり、小竜と灰塵卿が戦うのを観察したり――そんな風に『調査』をしている。
(生真面目なコだな)
灰塵卿は塔の天辺から領地を見下ろし、エレインを眺めている。その眼差しは――警戒だった。
――何かがおかしい。
灰塵卿は異変に気付き始めていた。そう……エレインがこの地に来てからだ。
本来、小竜を退ければ丸一日は無尽竜は静かにしていたはず。
なのに二四時間を待たずして小竜が再発生したり、その数が増えていたり――それだけではない、どうも周辺の魔素量が低下しているように感じる。
しかし無策の灰塵卿ではなかった。自身たる灰を薄く薄く領地に拡散させてレーダー代わりに異変を探っていたのだ。
そうして、灰塵卿は知った。魔素低下の源は、エレインであることに。
「やれやれ、困るねえ……」
溜息ひとつ。騎士はメモ帳を紙飛行機にして、都市の方へと飛ばした。
――さらり、灰が流れる。
「きみ、本当に竜災を調べにきたひと?」
騎士はエレインの前に降り立ち、問いかける。
「本当の目的は何かな?」
「……なんのことですか?」
フィールドワーク中だったエレインは額の汗を拭い、困惑した顔を見せた。
「しらばっくれられてもね。この辺の魔素が減ってるんだ、きみを中心にして……まるできみが周辺の魔素を吸いこんでいるかのよう。このままだと封印術式が破損しかねないんだよね」
「そ……そんなことを言われましても」
「どう言われようと、都市の方には連絡済みだよ。ほどなくすればきみの迎えが来る。詳しい話はそっちで聞いてもらうからね。で……どうする?」
「どうする? それはこちらの言葉です」
エレインは一呼吸を置いた。困惑する小市民から、いつものエレインになる――都市へ通報をされた以上、誤魔化すことをやめた彼女は、正体を示す。
「灰塵卿。私はあなたに安らかな終わりをさしあげられます」
羽織っていた分厚いローブを、更に着込んでいた服を脱ぎ捨てる――袖なしのインナー姿になった彼女の右手は、黄金色の義手であった。
一見して鎧のようにも機械のようにも見えるその前腕部には何かが仕込まれており、陽炎を立ち昇らせていた。
「……魔壊炉か!」
灰塵卿の声に驚きが混じる。
魔素を喰らい力へ変える竜種第二の心臓、魔壊炉。しかし、人の身で御し切れているところを見るに魔壊炉を模して作り出された擬似魔壊炉だろう。
アレが、この辺りの魔素を喰らっていたのだ。さながらエレインは人造人竜といったところか。
「疑似魔壊炉は過去の遺物だと思っていたが……」
「我ら教団の信仰と努力の結晶です」
エレインはその手で、服の下にあった――首から下げていたロザリオに触れた。『りゅう』信仰のシンボルであった。
「俺が言うのもなんだが、疑似魔壊炉を人体にくっつけるたあ倫理感メチャクチャだね、人間やめてるよ。よく魔壊炉の熱で人体発火せずに――……、ああ、その義手、疑似魔剣か。死なない程度に熱を逃がしてたってわけだ。……道理できみ、暑がりで汗っかきだなあと思ったよ」
看破の言葉に、エレインはニコリと笑むだけであった。そうして両腕を広げる、説法を行う神官のように。
「聖杯がもたらした魔素によって、この世界は歪んでしまいました。私達は『りゅう』の御権能によって世界をあるべき姿に戻したいだけ。灰塵卿、あなたもです。魔素によって死の摂理を歪めて生きてしまっている……それはこの星の生き物として歪んでしまっているのですよ。あるべき姿に戻りましょう」
灰は灰に、塵は塵に。
魔という歪みを、『りゅう』と我らは赦すまじ。
この星をあるべき姿に。
――『人々(人類/私達)』が平和に暮らせる世界に。
「このまま魔素を低下させ、無尽竜の封印術式が決壊すれば、この地一帯はあるべき姿に戻るでしょう」
「あるべき姿……この不毛の荒野を、あるべき姿だと言うのか? 数多の民が兵が無念のまま死んでいった、この大地を?」
「さようでございます」
エレインは笑みを崩すことはなかった。彼女の眼には、自らの教義しか映っていないのだから。
「おかしいんですよ、こんな世界、間違っているんですよ。魔素に塗れて冒涜されて毒されてほつれて歪んでしまって。だから私達はこの星をあるべき姿に戻したいだけなのです。それのどこが悪いことなんですか? 誰だって、手が汚れたら洗うでしょう? 服に染みがついたら洗うでしょう?」
「……なるほどね」
灰塵卿は、兜の中で深い深い溜息を吐いた。
「俺はてっきり、竜災が二度と起きなくなるようにしてくれるとばっかり、勝手に期待しちまってたよ。あーあ、残念だなぁ……」
「なにをおっしゃるのです? この世界から魔素が根絶されれば、竜災も起きなくなるのですよ?」
「……なあ、エレインくんよ。聖杯がもたらした魔素によって『こう』なったことが、きみ達は過ちだと言いたいんだな? だけど――どっちが自然なんだろうね? 聖杯飛来がこの星の運命だとしたら、今の魔素溢れる世界こそ、この星の運命というか、進化の先というか、あるがままの自然な姿じゃないのか? それを無理矢理もどすことこそ、歪んでいるとも言えなくはないか?」
「聖杯は外宇宙より飛来した存在です、この星に本来なく、あってもならないのです!」
「宇宙と星は繋がってるんだぜ、いま降り注いでるおひさまの光だって、外宇宙から来てるじゃないか。やれやれ、全く……この星は竜に毒されているね。俺達と『りゅう』、どっちが正しいんだろうね?」
言いながら、灰塵卿は剣に手をかけた。
――あの魔壊炉だけは、破壊せねばならぬ。
「わかりあえないのですね、残念です。……こんな終わらない地獄の苦しみから、あなたをお助けしたかったのに」
エレインは首を振った。彼女は本気で騎士を憐れみ、自らを磨滅させ続けて戦う彼を助けたかったのだ。
乙女は閉じた目を、開く。決意の眼差しだった。
「しからば――修道女エレイン、罷り通ります」
言下、彼女は義手たる疑似魔剣を本格的に『起動』する。
たちまちに『魔剣』は赤熱を帯び光り輝いた――装着者の命すら無視した、長時間の使用で間違いなく熱死するであろう、殉教者の剣。
「祖龍よ、我にご加護を!」
魔壊の火に焼かれながら、エレインは灰塵卿へと踏み込んだ。
振り抜く手刀――その熱は、魔法現象を『溶断』する疑似魔剣。喰らえば騎士の肉体が削られる、恐るべき浄化の火。
「あっぶね!」
騎士はその身を霧散させて刃を掻い潜る。それでも『余波』の熱だけで体が傷むのを感じた。
(こいつぁ――剣に俺を纏わせない方がいいな。ていうか切り結ぶだけで熱で俺が削れる、なんつーやつだ!)
連撃を風に流れるように掻い潜る。
エレインの顔には汗が浮かび――肌が熱傷を起こし始めていた。だが彼女は苦痛の顔すら浮かべないのだ。それが信仰だと言わんばかりに。
狂気だ。竜に毒された修道女に、騎士は声を張る。
「おい! そんな熱まとってちゃあ焼け死ぬぞ!」
「そして私は『聖人』となるのです」
「ッカァ~! 死んだ奴が偉いっていう風習キライだよ俺は!」
灰塵卿は回避に徹する。時に灰で繰る剣で手刀を受け止め、往なし流す。その度に剣が、灰が、傷んでいく。
彼が攻撃に出ない理由をエレインは理解していた。長期戦にもつれ込ませて、エレインが義手の熱でダウンするのを待っているのだ。事実、エレインは眩暈を起こし始めていた。
しかし、その眩暈や痛みすらも、修道女には愛しくて。堪らなくて。
――嗚呼、これが『りゅう』の御権能、聖なる炎。
この熱も、この痛みも、この炎も。
全て私の『夢/愛』への礎。
貪り過ぎては私が溶ける。
だからこそ愛おしい――。
「さあ、怖がらないで、済度の時です。共にあるべき姿へ還りましょう!」
乙女は菩薩のように笑む。灰となり空へ流れる騎士を目で追った、その時だった――
空を、上を仰いだ瞬間、太陽の光が目を直撃して――
本当に寸の間、怯んだその刹那を。
灰塵卿が、見逃すことはなかった。
それを、狙っていたのだ。
「疑似魔剣展開。我が身は両断の刃となる――ダインスレイヴ!」
剣が灰を纏う。小竜と戦う時の『頑丈なだけ』の術式に非ず、それは『傷が癒えぬほど鋭く切り裂く』為の魔術。小竜戦ではただの灰色だった剣は、煌めくほどの白銀へ。
「、――ッ!」
エレインは防御をしようとした。
だがそれよりも一手速く――上空から強襲する騎士の魔剣は、乙女の右腕を根元から切り捨てる。魔壊炉が纏う熱により、その灰の身体を焼かれながらも。『自分』を喪っていきながらも。
「あ、あぁ、あ……!」
魔剣たる義手さえなければただの乙女だ。エレインは目を見開く。スローモーションに見えた。切断された黄金の腕が、宙を舞って地面に落ちていくのを。それに、灰塵卿が破壊の刃を振り上げたのを。
「だめ……やめてえええええええっッ!」
エレインは魔壊炉へと飛びついた。胎児のように丸まって、超高熱に肌がじゅうじゅう焼けるのも構わず、我が子のように抱き締めた。赤ん坊をあやすように頬ずりをした。
「これは、これは世界の歪みを正す、大切なものなんです! 私の夢そのものなんです! お願い壊さないで、お願い――」
その瞬間だった。
破損により暴走を起こした魔壊炉は――、小竜の今際のように、爆発を起こして。
……爆風が流れ、土煙がざあと流れ、風に消えていく。
灰となって飛び下がった騎士の足元に、千切れた指と、ロザリオの破片が転がった。
「……縋りついた『私の夢』に殺されるなんて、とんだ皮肉だよ」
鎧騎士の形になる。剣は損傷して、灰もいつもより喪われてしまった。だが灰塵卿には、身体の欠落によって何を忘れてしまったのかすら思い出せない。
そっと、彼女の肉体の一部と信仰の破片を拾い上げた。
為すべきことの為に愚直過ぎたこと、人間を辞めてボロボロになってまで目標に殉じたことについては、彼我の違いはなかったのかもしれない。
そう。似た者同士だった。向いている方向が致命的に反対なだけで。
(……これ、どっかに埋めといてやるか)