殉教-3
あの時は急いでいたのでよく見ていなかったが、監視塔の一階部分は書斎のような趣だった。領主のいる場所らしい上品な作りで、この不毛の土地の中で唯一、文明と人間を感じられる空間だった。
魔術による明かりが灯る。応接間にあるような洒落たソファがあり、「ベッドないから寝るならそこで」と騎士は言った。台所や風呂場もない、生活感はない場所だった。それらは灰塵卿が睡眠や食事を必要としない体であることを示していた。
長旅で疲れていたエレインは外の古井戸で軽く水浴びをして、塔に戻る。灰塵卿は執務机に座って、一冊の本にインクの尽きない魔法の羽根ペンで文字を綴っていた。
「何を書いておられるので?」
「日記だよ」
「日記」
「俺は人造精霊みたいなモノだと言ったね。この灰に『俺』が記録されているとも」
彼は今日あった出来事を綿密に記していきながら言葉を続ける。
「だから小竜の魔壊炉爆発を浴び続けていると、少しずつこの体が――俺という記録が、記憶が、『りゅう』の火で焼けて削れていく。だから俺は記録をつけている。……この塔に纏わせた『俺』と記憶を同期しているとも言う」
バックアップの為に体を小分けにすることのデメリットだ。こまめに記憶を同期させないと、少しずつ自我に誤差が生じていく。
エレインはそっと問いかけた。
「自分を磨滅させながらも、なぜ戦えるのです? 自分が自分でなくなることが怖くないのですか……?」
「怖いと感じるようになってしまったら引退するさ」
日記を書き終えた騎士は、そこにしおりを挟んで、すぐ傍の大きな本棚にしまった。そこには大量の日記が納められていた。その多さが彼の年月を物語る。エレインはぞっとした。
「さて……俺は最上階に行くけど、きみは好きに過ごしてていいよ」
「ありがとうございます。あの、不躾で申し訳ないのですが、日記を拝見していても? 竜災の記録として非常に価値のあるものかと思いまして……」
「いいよ、ちょっと恥ずかしいけどね。あと監視しつつ読み返す分は上に持ってくよ。それから夜は結構冷えるから気を付けて」
「暑がりなので平気です」
「そか」
そう言って、灰塵卿は『読み返す分』である一冊を手に取ってから、階段へ続く扉の向こうへと消えていった。
エレインは古そうな日記を手に取った。ソファに座り、頁を開く。持ち込んだ携帯食料を食べようと思っていたが、これを読んでからにしよう。
――それは、灰塵卿が『灰塵卿』でなかった頃の記録。
無尽竜が突如として発生。
まもなく領地に到達すると知った領主は、領民を急ぎ避難させつつも、彼らが逃げる時間を稼げるよう自らに不死魔術を施した。
自らの身体を燃やし、灰にして、その中から立ち上がってみせたのだ。
彼は優れた魔族であった。その魔術が人でなくなるモノであることを知りながら、自分を磨滅させていく禁忌であると知りながらも、躊躇はなかった。
不死になる過程の、炎に焼かれる苦しさも些事だった。
成れ果ててまでも、護りたかった。この領地を、領民を。
そしてこの地の先にある魔族達の大都市、そこに住む多くの命を。
マリウスは兵を率いて戦った。
波濤のごとく攻め入る小竜、鳴りやまぬ爆発に、多くの兵士が、逃げ遅れた民が、死んでいった。
長い、長い、長い、長い間、戦い続けた。
そうして領地お抱えの魔法屋達、顧問魔女、都市から派遣された大勢の魔法屋と共に、遂に無尽竜の封印に成功したのである。
しかし小竜による何百何千もの爆破に領地は跡形もなくなり、不毛の土地と成り果ててしまった。
それだけでなく、封印に抗う無尽竜が定期的に小竜を送り込んでくるような禁足地となってしまい。
かくして――今、ここにいるのは領主だけ。
小竜と戦い続け、封印維持をし続け、この地を護り続けているその騎士の名を、灰と塵の身体をしたその偉大な不死者を、いつしか人々は『灰塵卿』と呼ぶようになった。
――日記の内容は報告書めいて淡々としていた。
まるで感情をにじませることを厭うているかのようだ、とエレインは感じた。
夜も更けてきただろうか。灰塵卿は監視を続けているようだ。彼方にいるのだろう彼を見上げ、携帯食料で食事をとったエレインは眠りに就くことにする。
(灰塵卿が人々を護っていると言うのなら、誰が彼を護っているの?)