殉教-2
「あの……無尽竜は?」
塔から外に出たエレインは、まだ辺りを警戒しつつ灰塵卿へ問うた。
「おとなしくなったみたいだ、一時的にね。こうなったら短くても二四時間は安全だから、少なくとも今日のところは好きに調査できるんじゃないかい」
「そうですか……。封印の術式をしていても小竜が出てくるなんて」
「ほんとすごいよね。本体は大きすぎて『ひっかかる』から出てこれないんだけど」
騎士は封印の場所へと歩き出していた。エレインは後をついていく。急いで塔を駆け下りたから少し息が上がっていた。暑そうに顔を手でぱたぱた扇ぐ。
「灰塵卿はいつもあのような戦いを……?」
「そうだよ」
「すごいですね……あんな不死魔術があるなんて。初めて見ました。再生魔法の一種でしょうか? 体が灰になっては戻っていましたが」
「まあ、木っ端微塵にされることを前提にした不死魔術なんてそうそうないとは思うよ。……体をね、一度完全に灰にして。それを媒介に『俺』を記録、灰の中に混ぜた魔石で無理矢理に人造精霊化ってとこかな」
精霊とは常軌を逸した魔力生物だ。魔石――魔素あるいは魔力の結晶の力を用いているとはいえ、それは確かに『無理矢理』だった。
「我ながら人間辞めてると思うよ」
「壮絶ですね……」
「無尽竜を相手取るならこれ以上ない肉体さ」
「なんだか、不死鳥の逸話を思い出しました。灰の中から再生する不思議な鳥のお話……」
「ははは、そんなかっこいい生き物になぞらえてくれるなんて光栄だね」
「それにしても、こんな……見ず知らずの人間に不死の原理を説明してよろしかったので?」
「竜災について調査してるんだろう、なら話すさ。ここに来て……小竜を見て逃げ出さなかったというだけで、冷やかしじゃないことは確かだろうしね」
言葉が終わる頃に封印の場所へ辿り着いた。何の変哲もない地面に見える、不穏な音も何も聞こえない。灰塵卿はそこに掌をかざした。封印の補修なのだと彼はエレインに語った。
「定期的にかけ直さないと食い破られるからね」
「なるほど……少し見てもいいですか?」
「いいよいいよ」
エレインはその場にしゃがみこんだ。地面に右掌を触れる。解析の魔術――どのような封印術式なのかを知る為の方法だ。
「うわあ……すごい、こんなに複雑で多重的な封印術なんて初めてです。……お一人でこれを?」
「いや、たっくさんの魔法屋と一緒に展開したやつだよ。補修と維持ぐらいなら一人でできるけどね」
「……無尽竜との激闘の中で、よくぞこんなに重厚な術式を展開できましたね……」
乙女の物言いは感心だ。背負った大きな鞄からノートとペンを取り出すと、解析した魔術についてのメモをしていく。灰塵卿はそれを見下ろしつつ、彼女の言葉に答えた。
「大変だったよ、とてもね。たくさん死んだ。ここもひとが住めない場所になってしまった。領主の自分が言うのもなんだけどね、ここは……緑豊かでとても美しい場所だった」
ペンが走る音を背景に、領主は自らの領地を眺めていた。遠い目、望郷の目――今、彼の眼にはかつてのこの地が映っているのだろう。
今は何もない。瓦礫の欠片と灰色の土。燦々と照らす青空。風が吹き抜けるだけの、がらんどうだ。
エレインはメモだけでなく、試薬による魔素の質の調査や、土壌の調査なども行った。熱心な様子を見守りつつ、それらが一段落したところで、灰塵卿は問いかける。
「君は竜災のことを調べてどうするの? 知らないから知りに来た……みたいな、好奇心はあんまり感じられないね。そう、どっちかっていうとこれは……使命感かな? なにか好奇心とは別の熱意を感じる」
「私は、ただ――」
立ち上がる彼女は即答をしてみせる。
「この世界を、人々が平和に暮らせる世界にしたいのです」
「人々が平和に暮らせる世界……ほー、大胆な夢だね、えらく博愛じゃないか」
騎士の言葉は揶揄ではなく、そこまで大きな目標を掲げることに対する興味であった。
対するエレインはニコリと微笑む。それは、自分の夢をこれまで幾度も否定されてきた者が浮かべる、それでもなおと揺るぎなき決意を秘めたものだった。
「皆が幸せなら、幸せな皆の中にいる自分も幸せになれるじゃないですか、私は誰かにとっての『皆』なんですから。ひとりは皆の為、皆はひとりの為、ですよ」
「なるほどねえ」
エレインは見た目はうら若き乙女である、しかしその胸に秘めたモノは『小娘が抱くような』ものではなかった。
灰塵卿は鋼を感じた。傷つかず、曲がらず、錆びず、確固たる質量を以てそこに在る鋼だ。「変わり者だなあ」、と思う。だからこそ、興味が湧いた。冷やかしに来た小娘なら突き返すつもりだったけれど。
「きみ、夜はどうするの。この辺りに宿なんてないけど」
一番近い宿でも、ここからかなり歩いたところにある小村の宿だろう。
「野宿なら慣れてます」
エレインの大きなバックパックには旅の道具がたくさん詰まっているようだ。そんな大荷物を背負ったまま、肌を出さない服装にローブという厚着で、あれこれフィールドワークをするからだろう、彼女はうっすら汗ばんでいる。
「監視塔に泊まってく?」
灰塵卿はそう言った。流石に、小竜が湧いて出る場所で野宿させるのは領主として気が引ける。
「え――いいんですか!?」
エレインはぱぁと表情を華やがせた。それまで真剣な顔で真面目そのものな態度をとっていた彼女が浮かべる、等身大の表情だった。
「いいよいいよ。まあ、うちなんにもないけどね。ごはんとかは自力でどうにかして。後で水辺も教えるね。井戸だった場所からまだ水が汲めるから」
「ありがとうございます、痛み入ります!」
乙女は勢いよくお辞儀をした。留めていなかったバックパックの蓋がひっくり返って、中身がドサドサドサ~とこぼれ出てしまう。携帯食料や筆記用具、薬品や着替えやなんやかんや。
「あっ あっ ああ~~~すいませんすいませんすいません!」
「そそっかしいなあ」
灰塵卿は片手をサラリと灰に変え、落ちたものを次々と巻き上げるように拾い上げた。エレインの鞄の中に放り込んでやる。
「あ、ありがとうございますすいません……」
エレインは何度も詫びつつも、ふと騎士の灰が手に戻る様子を見た。真剣な顔で言う。
「鎧ごと灰になるのですね。ということは全裸」
「気になったことを率直に聞いてくるその姿勢、嫌いじゃないよ」
曰く、大量の金属片を灰の身体で継ぎ合わせて鎧の形にしているのだと言う。「だから全裸じゃないよ」と灰塵卿は言った。
「まあ鎧とはいえ小竜の爆発で毎回ふっとぶんだけどね。防具の意味ないよねアッハッハ」
灰のまま人の形にもなれるが、色をどうこうするのが面倒だし、灰を服の形にしても「結局全裸なんだよね」ということで鎧という形にしているらしい。
「なるほど……では剣は? 剣は霧散してはいませんでしたが」
「ああ、これ?」
灰塵卿が腰からさげた両手剣を示した。
「これは俺の身体じゃないよ、いわゆるアタッチメント。小竜の爆発に耐えられるように頑丈に作ってある。魔素ごと俺の身体を纏わせて疑似的な魔剣にして強化してる。小竜の身体は脆いからね、切れ味よりも硬さ重視の剣さ」
魔剣、それは魔法現象を発生させる剣状物体の総称だ。
「……魔剣でないにしても、かなり特別製ですよね?」
「まあね。魔女ご謹製。レシピは企業秘密って言われた。……ちなみに、あの塔もこの剣と似た原理で俺の身体を纏わせてる」
「ああ……防御の術式とはそういう」
「あの塔にはいろいろ大事なものが置いてあるし。それに俺の一部もバックアップ的に置いてあるからね。この肉体が完全に焼き尽くされても、そこからコンティニュー可能って理屈」
「……すごいですね」
それを元の『マリウス・ツァハリアス』と呼べるのか否か。半端な精神力ではあっという間に自我崩壊を引き起こすだろう魔術に、灰塵卿の常軌を逸した精神力に、エレインはただただ圧倒されていた。
「為すべきことを為しているまでさ」
襤褸の外套を翻す。塔へと歩き始めた灰塵卿の背を追って、エレインも歩き始めた。