………………否定、
――歯車を毟る音がした。
天使と聞いて思い浮かべるのは、聖書に描かれた天使だろう。
人の身体に、純白の翼、頭上には輝く光輪。ルネサンス期に広まったとされるイメージであるが、それに酷似していた。
――鉄を引き抜く音がした。
スクラップの背から、翼が生えていた。
鉄の骨格、歯車の羽毛、血液の代わりに流れるのは、真っ赤なオイル。
莫大な呪力をまき散らしながら、口から無機質な音がこぼれ落ちる。
――修復完了。規定に基づき勇士の確保に――
「………………否定、…………否定、……否定」
悲痛なささやき声を発しながら、歯車を毟った。
指が巻き込まれて潰れるのを無視して、毟り続けて、剥き出しになった鉄の骨格をへし折り、引き抜く。その代償に潰れた指は落ち、腕もぐちゃぐちゃに折れて砕けてしまう。
――損傷を確認。修復を開始します――
無機質な音とともに、感情と意思が抜け落ちる。
呪力が放出され、破壊された翼と腕がイヤな音を鳴らしながら元の姿を取り戻す。
周囲に散らばった翼と腕の残骸や赤いオイルがなければ、自傷行為があったとは到底思えないほど、損傷は元通りに治っていた。
――修復完了。規定に基づき勇士の確保に――
「……否、定。本機は……否定します」
何度も、何度も。
同じことを繰り返す。
何度でも、何度でも。
無駄な抵抗だと分かっていながら、繰り返す。
続けて、続けて、続けて。
それでも足は止まらない。修復の間だけ止まる足は、自傷の間は動いているのだ。
――修復完了。規定に基づき勇士の確保に――
「……否定、…………否定、………………否、……定…………」
壊れた兵器が生み出す光景を名付けるなら、地獄しかないだろう。
呪力の風が吹く度に、自傷はなかったことになる。
それは涼風が吹く度に生き返り、同じ責め苦を受ける地獄――等割地獄と酷似していた。
「…………ぉえ……ぇ」
地獄を前にして、常人が耐えられるはずがなかった。
成美も、ライカも、フレデリカも、地獄を前にして立ちすくむ。
耐えきれず吐き出しても、無理もなかろう。気を失わないだけで称賛されるほど、凄惨な地獄なのだ。
アイリーンは、瞬きすら惜しいとばかりに、地獄から目を逸らさなかった。
「…………アイリ、術式で生理現象抑制してまで、見なくて良いのよ……」
「術式だけじゃなくて、お薬も使ってますよー」
「絶対、身体にヤバいやつでしょ……素直に気を失ってなさい。色々削れるわよ」
「お姉ちゃんこそ、生身でよく耐えられるね。術式すら使ってないけど?」
魔導と薬で生理現象を抑えつけるアイリーンと違い、己の精神力だけで地獄を眺めていた。
「……使えないのが一番の理由だけど……」
言いづらそうに、目を泳がせる。
呪力はあっても不器用なので、実戦で使える術式が少ないのがフレデリカ。
少なさを武術で補っているので、実用面では問題ないのだが、魔導師として必須に近い術式が使えないのは恥ずかしさを覚える。
「兄貴にしごかれてるからね。精神的にキッツイだけなら、根性で無視できるわ」
「脳筋にもほどがある気がするけど、呪力キツいの?」
火界咒の神髄・大咒。
例外にも届きうる大魔導は、それに見合う呪力を消費する。
魔導一種の一〇倍の呪力を保有するフレデリカであっても、無視できるほど軽くない負担を強いられる。
「全力はあと一回が限界。……けど、純粋に動けないわ」
「ですねー。ライカさんや成美さん、剣人会の人達もいますから」
地獄から身を守るための炎の壁は存在しない。
新しく造ることもできない。呪力節約のためだけでなく、スクラップを刺激するわけにはいかないからだ。
「お姉ちゃんだけでも、逃げない?」
「無理」
「意地張ってる場合じゃ」
「立ってるだけで精一杯。指一本だって動かないし、動かしたらバランス崩して転びそうで怖いの。アイリも同じでしょ?」
「…………意地なんて張るんじゃなかったなーって、ちょっと後悔してる」
魔導と薬が、恐怖で身体を震わせることを許さない。
だが、それを抜きしても、身体を震わせることはできなかっただろう。
魔導師としての矜持、経営者としての覚悟など、簡単に塗り潰してしまうから地獄なのだ。身体を震わして恐怖を思い出してしまえば、抵抗できるはすがない。
「懇……願、……」
地獄の中にいて、動ける者はただ一人。
神――創造主の意思に抵抗する、スクラップのみ。
「本……機、の…………破壊を」
潰れた腕は、鉄の翼に伸ばされる。
だが、確かに手が伸びていた。必死に助けを求めて。
「……ぁ」
ガクン、と。
膝から力が抜け、地に着いてしまった。
「アイリ!?」
「大……丈、夫」
抑えつけていた恐怖があふれ出す。
決して、アイリーンに向けられたものではない。そこにいた誰かに、反射的に求めてしまっただけなのに、魔導と薬の加護が引き剥がされた。
それは最も古い魔導の一つ――呪いであった。
向けられた祈りがあまりにも重すぎて、決して自分に向けたものでないと分かっていても、大きすぎるそれに触れてしまい、勝手に押し潰されてしまった。
「――っ」
「ダメ……お姉ちゃん」
妹を助けようと動く身体を止めたのは、妹の声だった。
「私……は、大丈夫」
「――……っ、……分かった」
何もできないことは、フレデリカ自身が一番分かっていた。
スクラップは自分自身を完膚なきまでに破壊しているが、彼女では傷一つ付けられない。
例え壊れかけであろうと、存在の格が違うのだ。木の枝を片手に、空を飛ぶ戦闘機に挑むような無謀。敵と認識されれば、周囲丸ごと排除される。
できることは、認識されないように息を潜め、地獄が通り過ぎるのを待つだけ。
意思を持つ天災とは、そういう存在なのだ。
「死屍累々と呼ぶほかないが、どういう状況だ?」
だからこそ、彼は剣聖と呼ばれる。
魔導の加護なく、薬の手助けなく、その身一つで地獄に立てるのだから。
「来て……くれたんですね、お兄さん」
「アレがスクラップで間違いないんだな」
最弱の剣聖、南雲悠太は疲弊していた。
空の目を開き、絶招を使い、普段はしない呼吸による身体強化まで。
それでも、涼しい顔のまま地獄に立っていた。
「俺なら殺せるが、どうする?」
「…………ころ、し……て……」
もう、戻れないと気付きながら。
スクラップが、望んでいると知りながら。
自分自身も、そうすべきだと覚悟しながら。
「……助けて、あげたい…………殺さないで……助け、たいよ」
願ってしまった。
感情のままに、祈りを口にしてしまった。
デウス・エクス・マキナが存在しない世界で、奇跡を起こせるとしたら。奇跡を起こすための代償は誰かが払うことになる。
自分では払えないと知りながら、悠太に押しつけることになると理解しながら、願わずにはいられなかった。
「分かった」
だが、悠太にはそれで充分だった。
草むしりでも頼まれたような軽さで、願いに承った。
「フー、まだ耐えられるか?」
「……動けって言われたら無理だけど、立ってるだけなら」
「なら、後は頼んだ」
頭が真っ白になった。
返事も聞かずに見せる背中に、無理やり声をかけた。
「おい待て。頼んだってなんだ頼んだって」
「言葉通りの意味だ。俺はアレを斬るだけで精一杯だからな」
「……なんか、疲れるっぽいのも関係あるの?」
「ないとは言わんが、関係ない」
何かを確かめるように、数度剣を振る。
「殺すならともかく、助けるとなるとさすがに全霊が必要だ」
「…………そう」
フレデリカは、何をするつもりかを理解した。
理解して、意識を切り替えた。
悠太の従兄妹ではなく、剣聖の弟子としての自分へと。
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