信じるってね、
津波のような呪力が、結界を押し流した。
結界を煩わしく思ったからでなく、起動時の余波でしかない。
精霊を宿したライカが時間をかけて準備した砲撃が、ただの水鉄砲にしかならない。
これこそが――例外。
化物でようやく、足下に指先がかかる。
本物でかろうじて、勝機が生まれる。
魔導世界では、台風や津波が意思を持って街を歩いているようなもの、と例えられる。
奥伝や魔導一種であろうと、対策なく触れれば死は免れない。フレデリカ達も例外ではない。ただの呪力であっても、津波のような量を浴びせされればショック死する。
だが、スクラップ起動の余波で死んだ者はいなかった。
「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン」
反射的な行動であった。
何が起こっているのかを脳が理解するよりも早く、スクラップとの間に火界咒の壁を築いた。だが、小咒では火力不足。火力を高めるため、間髪入れずに真言を唱える。
「ノウマク・サラバタタギャテイビャク・サラバボッケイノビャク・サラバタタラ――……」
不動明王真言・火界咒の神髄――大咒。
制御を誤れば、術者ごと周囲を火の海に沈める戦術級の術式。
だが、制御さえできれば例外にも届く破邪顕正の炎は、過たずにスクラップの呪力を焼いた。例外に属する呪力であろうとも、魔導の体を成していなければ焼くのは容易い。容易いのだが、焼き尽くすことはできない。それは海を飲み干すような無謀。
フレデリカの生涯をかけた魔導は、一呼吸分の静寂を生み出すに留まった。
無論、これは――偉業である。
魔導三種でしかない未熟者が、わずかでも津波を押し返したのだから。
「……お願い」
フレデリカは、考えがあって行動したのではない。
生物としての本能が、剣士としての矜持が、魔導師としての意地が、何もせずに死ぬことを拒んだだけ。衝動に突き動かされるのままに火界咒を生み、小咒では足りないから大咒を足しただけ。
その結果生まれた一呼吸を、フレデリカは活かせない。
だが、一呼吸を活かせる者が、この場にはいた。
「皆を助けて……」
それは、最も古い魔導。
超常の存在である、精霊や神に願いを告げ、その慈悲を請う――祈り。
故にこそ、彼女の本質は魔導師ではない。
「……――ヴォルケーノ」
牧野ライカの本質は――巫女である。
精霊ヴォルケーノに仕え、荒ぶらぜず鎮める――神官である。
意思ある存在と対話し、術者の望む引き出す――交渉人である。
魔導学において、この精霊や神から力を引き出す技能を――召喚士、と分類している。
――――っっっ!!
ライカから立ち上った火柱は、フレデリカの火界咒を飲み込んでドーム状に広がった。
炎のドームは剣人会の五人を含めた全員を包み込み、津波のごとき呪力から全員を守り切るのだった。
「…………あの、先輩方。何が起こったんでしょうか?」
「さあ……? なんか、ヤバいのだけは分かったから反射的に火界咒使ったけど……」
「私も、同じかな……? フーカちゃんが大咒を唱えたから、ヴォルケーノにお願いして」
炎のドームが出来上がるまで、数秒も経っていない。
火界咒を使ったフレデリカや、ヴォルケーノに願ったライカでさえ、成美の質問には答えられなかった。
「訳分からないのに、よく使えましたね……おかげで命拾いしましたけど」
「こっちはヤバい爆弾抱えてたからね。爆発させようって意図だけは明確だったから、戦闘中でも使えるようにだけは覚悟してたから何とかなったけど…………やっぱり、そういうことよね、これ」
「ええ、そうですね……スクラちゃんが暴走したってこと、でしょうね」
四人の脳裏に浮かぶのは、汎用神造兵器という言葉。
火界咒と精霊の炎によって触れはしなかったが、魔導師なので天災レベルの呪力が放出されたことは分かっている。
起動の余波だとは知らないが、神の手で造られた兵器であることに異論はなかった。
「……アイリ。スクラのことだけど」
「分かってますよ、お姉ちゃん。わたしも魔導師の端くれですからね-。……結果を背負う覚悟くらい、拾った時から」
アイリーンを薄情だと罵ることは、誰にもできない。
例外に属する存在は、台風や津波のごとき天災なのだ。
どうにかしてほしい、と叫ぶだけは許されない。方法と、手段と、勝算と、実行力。それら全てを持たなければ、口を挟むことさえ罪となる。
「……妹にそんなこと言わせるなんて、お姉ちゃん失格ね」
「お姉ちゃんがお姉ちゃん失格なのはいつものことですが、これに関しては失格はわたしですよ。こうなる危険性を理解しながら、放置したんですから」
「そんなことないよ、アイリちゃん」
声をかけたのは、祈るように目を閉じていたライカだ。
「潜在的な危険な子を信じるのって、それだけで大変なことなんだから。私もね、ヴォルケーノを暴走させたことがあるの。運良く、被害が出る前に鎮めてもらったんだけど……それ以来、自分が怖くて仕方なかったんだ」
自分が傷付くことへの恐怖。
見ず知らずの人を傷付ける恐怖。
身近にいる大切な人を傷付ける恐怖。
子供には重すぎるそれを背負い続けられたのは、自分を信じ、支え続けた人がいるから。
「でも、信じてくれる人がいたから、今日まで生きてこれた。生きていたから、皆を助けられた。――人を信じるってね、そのくらいスゴい力があるの。自分を信じるのも大変なのに、人のことを信じるのはもっと大変。だから、そんなこと言わないで」
「……ライカさんは、夢見がちが過ぎますね。わたしも本音では……でも、現実問題、できることはなにも」
「南雲くんに何とかしてもらいましょう」
ぱちくり、と。
何度かまばたきをして、溜まらず吹き出した。
「っふふふ。ここまで言って、お兄さん頼りですか?」
「南雲くんは剣聖ですからね。せっかく従兄妹という最強カードがあるのに、使わない手はないんじゃないですか?」
「ええ、ええー……頼るだけ、頼ってみますね。諦めるのは、それからでも」
アイリーンは俯いて、自分の手を握りしめる。
ライカも握り拳を作り、よし、と気合いを入れる。
「パイセンを頼るって方針は別にいいんですけど、疑問が一つ。このドームってどこまで持ちますかね? あと、外ってどうなってるか分かります?」
「ドームは……ちょっと無理したから一分も持たないね。でも、外は成美ちゃんが見てなかったっけ?」
「ドームできた時点でパスが切れました。端末も借りてただけなので、無事かどうかも分かりません」
「切れちゃったんなら、端末は消えたと思うよ。ドームも端末も私の呪力が元だから、残ってるなら繋がるし」
「じゃあ、仕方ないですね。出たとこ勝負……に、なるといいな」
前向きになった空気が、再びどんよりと落ちる。
「異界型の魔導災害にはならないから、出たとこ勝負にはなるわよ」
「何を根拠にしてるんですか?」
「ここ周辺の主が誰かを考えれば分かるでしょう。武仙は居るだけで土地が安定するの。異界に落としたかったら、それ専用の準備が必須になるわよ」
魔導災害の中で、異界は特に警戒される。
フェーズが進めば進むほど、異界の内部は常識から外れていく。
もし、ドームの外が異界となっていれば、外れてしまった法則を相手にサバイバルが始まってしまうから。
「そうですか、異界にはならいなら安心――できません、全然! 暴走スクラちゃんの時点で無理ゲーなんですけど!?」
有意義な話し合いができないまま、炎のドームにヒビが入る。
ヒビは瞬く間に広がり、砕け散るように崩壊した。
――そこには、地獄が広がっていた。
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