致命的な隙
現代アートに、ドリッピングという技法がある。
水を多く絵の具を、画用紙にポタリと垂らして絵にするというもの。絵というよりは模様の集合体だが、悠太から剣の群れはそれに似ていた。
「数に頼るのは構わないが、これは多過ぎだ。個々の制御が甘すぎる」
「普通は数に呑まれて終わるんやけど、閣下はなんで対処できるん? 手足の数が足りないように動かしてるんよ、こっちは」
「密度は充分だが、組み立てが雑なだけだ」
逃げ場のない剣の群れ。
そのうちの一本を優しく弾くと、連鎖的に剣が動き、逃げ場のなかったはずの包囲に穴が空く。悠太は身体を穴へと置き、新たな剣を弾く。
「群体操作は専門外の俺がちょっと干渉しただけでこの通り。本物はな、下手に弾くと襲ってくるというか、弾かれるのを計算尽くで罠を仕込むんだ。それが出来ない数を揃えるべきじゃない」
剣聖として受けた仕事の中に、群体操作に特化した魔導師がいた。
その魔導師は剣でなく大量の呪符を操った。呪符に触れれば術式が発動し、魔導や術式を斬る断流剣で斬っても発動し、躱しても発動する。
最終的には魔導師を捕獲してのだが、それと比べれば児戯同然である。
「閣下の要求水準高すぎやな。基準になっとるのって、魔導一種でも最上位やない? ワンマンアーミーはな、滅多におらんからワンマンアーミーになるんやで」
「なら、数を減らすべきだ。剣の数も、操作する人の数も」
「……いけずやな。気付いとったんか」
剣には人の色が出る。
同じ構え、同じ型で振っていても、その動きには差異が出る。奥伝ともなれば差異で人を認識することも可能。空の目に至った悠太であれば、魔導術式からも差異を見抜くことは可能であり、塗り潰す色の違いとして認識する。
ドリッピングに似ていると感じたのもそれが理由だ。
「二〇人弱、といったところか。中伝だけでなく初伝も混じっているな。並の剣士なら人数を誤って呑まれ、奥伝でも幻術に惑わされて不覚を取る。よく考えられた術式だ」
「なーるほどなぁ。呪力もないのに剣聖に至った理由がこれか。見えないものを認識するどころか、深い部分まで見抜く目。――ああ、これなら何でも斬れるな」
武仙の極致――全てを斬る剣は、剣や武に生きる者で知らぬ者がいない。
過去にこの域に至った剣士も幾人もいることから、その限界についても知られている。
「多分、認識拡張の一種なんやろう。幻術で塗り潰すとか言ってやさかい共感覚もありそうやな。これなら才能の範疇やし、閣下でも持っててもおかしくないと思うんやけど、どうや?」
「認識拡張は合っているが、共感覚ではないぞ。例えるなら、魚眼レンズと望遠鏡と顕微鏡の景色を同時に認識する、というべきだな」
「…………よく頭が破裂せんな。けど、普通なら見落としそうなもんでも見逃さんやろう」
剣士、魔導師問わず、認識できないというのは致命的な隙となる。
認識できない攻撃をされたなら、防具や結界がなければ防ぐことはできず。認識できない敵を攻撃することなど基本は不可能だ。
「そうでもない。見えてるのに気付かれないとか、見えてるのに対処不可能だとか、そんなのがゴロゴロあるのがこの業界だ。事実、空の目や絶刀があっても劣勢の方が多いぞ」
「せやから、要求水準が高いんやって」
剣聖は当然として、奥伝とは一流の証だ。
戦場に出ずとも後進の指導をするだけで将来安泰。中伝以下の剣士からは尊敬の念を集め、自らの流派を立ち上げることもできる。奥伝とはそれだけの地位であり、頂の一つといって過言ではない。
上位数パーセントにしか許されない境地であるが、悠太はそれでも足りないと言う。
「さっきから要求水準と言うが、そもそも基準とは何だと思う?」
徐々に距離を詰めながら、悠太は問う。
「禅問答でもする気か? んなもん、人や状況によって違うもんやろう」
「そう、基本は相対的なものだ。奥伝や魔導一種のような目安はあるが、資格や証明書にすぎない。その上で言わせてもらうが――お前は志が低いな」
剣を弾くと、道ができる。
一足を持って距離を詰め、一刀を持って人型を斬り捨て、止まることなく一足で駆ける。
「幻術で作った虚像。校庭にはいるようだが、最初から保険をかけていたのは勝つ気がないからだろう? 時間稼ぎの意図もあるとは思うが、経験上、この手の搦め手を使うヤツは逃げるのが前提だ」
駆け抜けた先で、また剣を弾く。
斬り捨てた人型は煙のように消え去り、悠太以外の人影がなくなる。
「安全を確保するのが悪い言うんか?」
「悪いのは中途半端なところだ。仕事に徹するのであればココに呼ばなければ良かった。時間稼ぎだけなら決闘する意味もない。なにより、適当な影武者をココに置いておけば良い。なんせ俺はお前の顔を知らないのだから」
「閣下って、人の心ないん? もしくは合理主義が極まった魔導師やったりせん?」
「俺は基本感情的だぞ。子供の戯言を叶えるために剣を振り続け、剣聖にまで至ったんだからな。合理主義者ならどっかで戯言だと斬り捨ててる」
悠太の目的は――空を斬ること。
子供の頃に見た夢に、叶える意味も意義もない。
例え叶ったても、空を斬ることにどんな利点があるかなど、悠太本人にさえ分からない。
誰が聞いても無意味と断ずる行為を続ける者を、合理主義とは呼べないだろう。
「説得力が微塵もないわ。閣下の剣って、合理体系顔負けの合理の固まりや。ぶっちゃけ、三剣以外は全部そうなんやろう」
三剣とは、全てを斬る剣を三つの要素に分けた剣。
個体を斬る――破城剣。
不定を斬る――断流剣。
無形を斬る――祓魔剣。
つまり、武仙流の奥伝であろう。
全てを斬る剣とは三剣を一つにまとめあげた絶技なのだ。
「何を当たり前のことを言ってるんだ? 合理とは誰でも強くなれるマニュアルだぞ。才能のない俺が合理剣を突き詰める以外に、どんな方法で強くなれると言うんだ?」
「そら……武仙流の秘伝?」
「秘伝は三剣のことだ。それを会得するために、合理を突き詰める以外の方法があるかと聞いているんだ」
鏑木響也は答えられない。
思いつくのはどれも才能に起因するものだから。
「底が見えたぞ――鏑木響也」
立ち止まり、息を整える。
剣の群れが殺到するが、なぜか悠太には当たらない。
弾き続けた結果、立ち止まり息を整える空白を作り出したのだ。
「才能はあったのだろう、躓くことなく奥伝に至れる才能が。合理を無視して、才能だけで突き進んだ世界で――初めて躓いたな。才能だけでは届かない存在に――恐怖したな」
業界において「本物・化け物・例外」と称される不条理達。
奥伝や魔導一種を持ち、ようやく挑戦権を得られる理不尽達。
剣聖を動かすにたる、理外の徒。
「…………だとしたら、どうなんや?」
「底が見えた、以外には何も」
興味が失せたわけではない。
命のやりとりをする相手を侮ったわけでもない。
何一つ変わらないまま、剣を弾いた。
「最弱ならば届くと思ったか? 魔導が使えない者に負けるはずがないと言い聞かせたか?」
「…………黙れ」
「身体能力だけで言えば、全てそちらが勝っているぞ。それでも勝てないことが信じられないか? 理解できないことがそんなに怖いのか?」
「黙れ言うとるやろうが――っっっ!!」
全ての剣が悠太に向かう。
一つや二つ弾いたところは防げない群体の突撃。
致死の攻撃に晒された悠太は、一言だけ漏らした。
「――取った」
縮地――と呼ぶしかなかった。
剣の群れが動いた瞬間には、剣型のデバイスが鏑木響也の首に届かんとしていたのだ。
結果は、瞬きも許さぬ間に出た。
「――ああ、ワイの勝ちや」
校庭に倒れ伏したのは、悠太であった。
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