未熟な剣聖
空になったコップをテーブルに叩き付け、枯れた目に力を入れる。
「師匠、アレとはなんです? 何を見たんですか?」
「気にする必要はありませんよ。稀によくあるいつものことです。――ああ、なるほど。弟子の試練にするのではと不安になっているのですね。安心してください。空の目を開眼し、己が理に触れた君に、私から試練を与えることはもうありません。皆伝とは、そういうものです」
「……多少は思いましたが…………違います。今回の帰省は、魔導戦技部の合宿も兼ねています。俺は引率でもあるため、師匠が警戒するほどのアレについて、知りたいだけです」
「いえ、別に警戒していませんよ? 剣聖でようやく届く格は確かに珍しいですが、世界は広いですからね。稀によくある頻度で私の感知範囲に入ってきます」
稀なのか、よくあるのか、どちらなんだと思わなくもない。
ただ悠太自身も、二年になってから精霊や妖刀に関わっているので、理解できそうでしたくない感覚に襲われる。
「稀によくある、ですか。まさかと思いますが、俺の修行中にもありましたか?」
「両手足の指では数え切れないほどに。さすがに闘争にまでは行きませんでしたが」
「……戦闘と呼べない程度だった、というオチは?」
「そんなイジワルな換算はしませんよ。私の感知範囲が広いこともありますが、基本的にアンタッチャブル、触らぬ神に祟りなしの精神だったというだけです」
ただ住んでいるだけで、村どころか山一つですら足りない範囲を縄張りに変える仙人。
師匠でなければ関わろうなんて思わない、と納得した。
「まあ、私が動くと周囲が過敏に反応するので、動けないという事情もありますが。危険な相手の場合は剣人会に報告して、人を派遣してもらっているので問題ありません」
炭酸水を注ぎ終わった指が、ビクンと脈打った。
「……今回も、ですか?」
「ええ、今回もです」
天乃宮香織から、剣人会が動いていると聞いたとき、楽観をしていた。
新幹線に乗り込むときにすれ違った際も、邪魔されないための牽制と受け取った。
だが、これは見過ごせない。
「――師匠」
「引率を自認するのであれば、動いてはいけませんよ」
枯れた目に火が灯る前に、武仙は水をかける。
「……俺では勝てないと?」
「論点がズレています。勝ち負けを問うのであれば、おそらく勝てるでしょう。負け目の方が大きいですが剣聖です。全てを斬るという最悪の解決方法を選ぶこともできますが――今回は何のために剣を振るうつもりですか?」
「…………剣人会が動くほどの危険を排除するために」
「剣人会に押しつければ良いのです。万が一、彼らが敗れたとしても、私が終わらせます。これは剣人会との間に結ばれた盟約なので、確実に実行します。これでも不安ですか?」
落ち着くために胸の上に置いた手は、痣が残りそうなほど強く力が入る。
剣人会が誰を派遣したかは知るよしもないが、武仙が動くのであれば騒動は確実に鎮圧される。理屈では納得できるので、身体中の血管から発せられる熱は収まらない。
「……剣人会がケリを付ける前に、先輩達に危害が及ぶ可能性が残ります」
「その時は君が斬ればいいのです。目の前で暴れるのであれば正当防衛の範疇ですし、引率の仕事に含まれますからね」
反射的に言い返しそうになり、唇を噛む。
荒くなった息を吐きだし、鎮まるまで深呼吸を続ける。
武仙は悠太が落ち着くのを待たずに続ける。
「師の仕事とは、弟子を守ることではありません。死なない程度に試練を与え、成長を促すことです。師が手を貸すのは、放置すれば一秒後に弟子が死ぬ場合のみ。自らを焦らせる感情が何か、もう理解できましたね?」
「……過保護からくる焦燥ですか?」
「抱いた危機感を否定はしません。まったく感じないのであれば、逆に不安になる程度には危険ですからね。対処できるのが君一人であるなら、すぐにでも動く必要があります。しかし、今回は私がすでに手を打っています。最悪の場合は、武仙たる私が直々に斬り捨てます。これでもなお動こうとするのは、適切ではありませんね」
叱咤されたことで、ようやく指の震えが鎮まった。
「……見苦しい姿を見せました」
「構いません。未熟ではありますが、良い変化ですからね」
頭を下げる弟子を肴に、ロックグラスを傾ける。
「良い変化、ですか?」
「正月に帰ってきた頃であれば、剣人会が動いていると聞いた時点で安堵したでしょうし、そもそも私が警戒したアレに興味を持つこともなかったでしょうから」
「……未熟になっただけのように聞こえますが?」
「いいえ、違います。剣士として見れば確かに、不純物が混じったように思えます。しかし、剣士とは剣士である前に人間です。君は己が理に触れるほどに剣を極めましたが、あの日から一歩でも進んでいると感じたことはありますか?」
皆伝を受け取った後からを振り返る。
高校生として生活をしながら、剣聖としての仕事をこなしてきた。
戦闘経験という意味では成長している。剣聖になった直後の自分と斬り合えば、今の自分が勝つと断言できる。
だが――、
「……………………いえ」
長い逡巡の末に出たのは、否定だった。
「恥じる必要はありません。理に触れた後、業を知るためには、その葛藤こそが必要なのです。理由は説明できますか?」
「……外道に堕ちることなく、世間と折り合いを付けるために」
武仙はゆっくりと首を横に振った。
「大きくは違いませんが、正しくありませんね……ちょうど良い機会です。武仙流の根幹、理業伝について説明しましょう」
「酒の席で?」
「シラフで語ることでもないので。そもそも《業》とは何かですが、これは仏教用語から持ってきました。専門ではないのでフンワリとした理解ですが、人が生きる上で犯さざるを得ない罪を、業と呼んでいます。生きるためには食物を食べる必要があり、食物を得るには他者を殺さねばならない、というのが有名ですね」
自分で立ち上げた流派の根幹なのに、フンワリした理解でいいのか?
と弟子は思ったが、しっかりと言語化できていたら武仙流の継承者はもっと多かったな、と理解を示した。
「では、罪とは何に対しての罪か、分かりますか?」
「人道……道徳や倫理観、常識だと思います」
「その通りですね。次に業と名付けた理由ですが、理を貫くと概ね人道から外れる結果になるからです。君が悩む理由も外道に堕ちるのがイヤだからではないですか?」
悠太は無言で頷いた。
「過去に幾人も弟子を取ってきましたが、理に至った子は大抵、理と人道との差異に混乱して暴走してしまいました。その反省を活かして、現在の武仙流に編集をしたのですが、これ以上は話がズレてしまいますね」
「俺が理と人道との差異に悩むのは、想定通りと言いたいのですか?」
「いえ、嬉しい誤算です。私が育ててきた弟子の中で、君の頑固さはダントツで一位でしたから。本来の予定では、今頃に破城剣を修め、断流剣の修行を始めているはずだったんですよ。それなのに、早々に祓魔剣を習得して、コツを掴んだのか断流剣や破城剣までも。必死で時間を延ばそうとしても、空の目なんてキワモノを開眼されては皆伝を渡す以外に方法はありませんでした。優秀すぎるのも問題ですね」
高校に上がる前に皆伝を渡されたのだから、優秀と呼ばれるのは理解できた。
だが、呪力がないために苦労する身としては、素直に受け取れなかった。
「才能に乏しい身で言われても、ピンときませんね」
「才能? ……ああ、呪力ですか。今だからぶっちゃけますが、あれは余分です。武を極めるのに必要どころか、私からすれば有害そのものですね」
武を極めて仙人に至った超人の言葉に、悠太はつい酒を呷りたくなった。
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