似たもの姉妹
――あの空を斬ることです。
アイリーンの指差す先。
窓に広がる青を視界に入れたライカと成美は、首を傾げた。
「空って、あの青い空のことでいいの?」
「ええ、その通り。あの青い空です」
「え、斬れるわけ無いじゃん。空って空気よ。あえて言えば宇宙空間との境界線。届かないとか以前に、実体がないんですけど」
「その空を斬る過程で剣聖になったのがお兄さんです」
魔導師の目から見ても、意味が分からなかった。
何かを斬るという点では明確だが、その何かが不明瞭なのが、空を斬るなのだ。
「パイセンのこと、頭おかしい人だと思ってたけど、実はただのバカな人?」
「はい、ただのバカな人です」
アイリーンは、悠太をばっさりと斬り捨てた。
「お姉ちゃんが必死になって剣と魔導に励むのは理解できるんですけどね、お兄さんのメンタルはさっぱりです。子供心を忘れずにって言えばそうなんですが、それだとズレるんですよ。お姉ちゃんなら知ってるかも知れませんが、わたしは深いところに踏み込んでないので」
「子供心……じゃあ、南雲くんが空を斬るって決めたのは、小さいときなの?」
「日曜日にやってるアニメです。ヒーローが悪役を倒すと同時に、曇り空か割れて太陽が見えるって演出を見て、空を斬ろうと決めたようですよ」
幼い頃の憧れとしては、まっとうな部類だ。
空を斬りたいと、剣を学ぶまでは二人には理解できる。だが、時が経つにつれて現実を知る。自身の憧れが実現不可能だと諦め別の道を探す。
だが、悠太は不可能な夢を捨てず、今も挑み続けている。
「空を斬るのを諦めなかったのって、武仙流に出会ったからだよね? まともな方法で出会えるとは思えないんだけど、何かあったの?」
「いえ、別に。武仙さんが叔父さん――お兄さんのお父さんの呑み友だったからです」
「の、呑み友? 武術界の生ける伝説と、ですか?」
「生きてればお酒くらい呑みますし、どこかに居を構えるのは当然で、地元住人と交流するのはごく自然なことだと思いませんか?」
「箇条書きにすれば、不自然なことはないんだけど……あ、そうか、逆なんだ。自分から武仙流を探したんじゃなくて、たまたま武仙流の弟子になって大成した」
「あー、なるほどです。バカなまま大人になったのは、最初っから手本があったからなんですね。運が良いのか悪いのか」
二人は悠太の精神性の一端を理解した、そう思った。
だが、アイリーンが予想したものとは違っていた。
「違いますよ? 順番は合ってますが、お兄さんは武仙さんに会わなくても、空を斬るために剣を振る人ですよ。だから、武仙さんの弟子になったんです」
南雲悠太の道が定まったのは、空を斬ると決めたとき。
武仙流という道しるべがなくとも、空を斬る術に一切の検討がなくとも、彼は空を斬ろうと挑み続ける。
「その仮定に意味ある? だって、今のパイセンは剣聖で、剣聖じゃないパイセンなんてどこにもいないし」
「あります、お兄さんの本質の話ですから」
魔導とは世界を騙し、世界の法則を書き換える技術。
騙し、書き換えるためには、世界の本質を知る必要がある。
故に魔導師にとって、本質を知ることが重要なのだ。
「いいですか、お二人とも。お兄さんは空を斬るためなら何だって出来る人です。空を斬るためだけに、全てを斬る領域にまで至っています。普通の剣士であれば、全てを斬る以上の技術は求めません。だって、文字通り全て斬れるんですよ? 百年以上の研鑽を積んだ古種とか、神様と同義の精霊種だって、すんばらりん、です」
悠太に回ってくる仕事が危険なのは、その危険を斬り捨てられるから。
だが、悠太という人間にとって、全てを斬るとは余録でしかない。
「確かに、パイセンは精霊を斬ってたし、斬れるなら剣士としては充分ですね。でも、精霊が斬れても空が斬れなければ意味が無い。なるほどなるほど。だから枯れてた――じゃないな。諦めてたら枯れるだろうけど、パイセン、諦めてないって話しだし。諦めてないなら、枯れる理由無いよな」
悠太の本質に触れたことで、成美の中に疑問が生まれる。
夢や、命題を追いかける者らしからぬ、枯れた気配に。
「もしかして、パイセンって人生に悩んでたりします?」
「悩み……――っは、そういえば進路で悩んでたよね。成績が足りないのに大学に行くつもりだって」
「ライカ先輩、ちょ~っと違います。進路は確かに重要な悩みですけど、あたしが言ってるのはもっとアイデンティティに関わる部分ですから」
やんわりと間違いを訂正されたライカは、しょんぼりと俯いた。
「悩んでいますよ、剣聖になった頃からずっと。どんな悩みかは知りませんが」
「おや、なんか意外。ここでパイセンのこと話題にしたから、知ってるとばかり」
「知るわけないですよ、実家から出た後なんですから。それに、わたしとお兄さんの接点なんて、もともと多くないんです。お兄さんとお姉ちゃんが剣を振ってる間、わたしは畑を耕したり野山で害獣を罠にかけたり、あとは会社経営したので」
「あれ、魔導はしてないの? 天魔付属に入るつもりなんだよね?」
「畑を耕すついでにしてました。わたしが魔導に触れたのは、市場価値の高い作物を作るためですので」
アイリーンが目指すのは、研究畑の職業魔導師。
自身の手で術式を編み、魔導を操る魔導師である二人とはタイプが違うのだ。
「わたしのことは置いとくとして、今はお兄さんのことです」
自分のことは語りたくないのか、雑に話題を変えた。
「わたしでは詳細は分かりませんが、悩んでいるお兄さんは不安定です。今は人間社会の枠に収まっていますが、切っ掛け一つで枠組みから外れても不思議ではありません。それこそ、お姉ちゃんを襲った人の側になることも」
アイリーンから見て、この可能性は低くないのだ。
悩む前の悠太であれば、二人に話をすることはなかっただろう。
話すまでもなく、諭すまでもなく、まともな神経をしていれば近付くこうとすらしなかったのだから。
「上手く隠していますが、あの人は一種の怪物です。神様だって斬ってしまう剣を持ちながら、斬る基準が人とはかけ離れているんです。空を斬るなんて訳分からない戯言に本気に挑んで、届きさえすれば本当に斬れるところまで来てしまってるんです。もし暴走した場合、近くにいるお二人に危害を加える可能性は低くありません」
人らしい条件の一つは、不完全であること。
空を斬ることに何の迷いなく挑んでいた頃の悠太は、その精神性が人からはかけ離れていた。それこそ、側にいるだけで怪物性を感じ取ってしまうほどに、普通からはズレていた。
だが、どの道を進めばいいかと悩んだことで、皮肉にも精神が人に近付いた。
より怪物性が増した今の方が危険なはずなのに。
「その上でお聞きします。お二人は、このままお兄さんと関わるおつもりですか?」
「関わるな、とは言わないんだね。普通なら、力尽くで引き離そうとするけど」
「残念ながら、そこまでの手間をかける情はないので。これはあくまでも、お兄さんの身内としてのケジメで、お姉ちゃんの様子を見たついででしかありません。なので、どっちでもいいですよ。散々言いましたけど」
ふぅ、と肺に溜まった空気を吐き出した。
言うべきことは終わったのか、凝った肩をほぐすように腕を組んだり伸ばしたりと、軽いストレッチをする。
「さて、わたしはもう帰りますね。このまま駅に直行しますが、お二人はどうしますか? 駅まででよければご一緒しますよ」
「答え言ってないんだけど、聞かなくて良いの?」
「わたしに言う必要はありませんし、聞く気もありませんよ? お兄さんとお姉ちゃんの人間関係について宣言されても困りますので」
道理ではあるが、あまりにも情がない。
そして、聞く気がないというなら、アイリーンにとっては無駄に近い時間の使い方をしたことにもなる。
「アイリちゃんって、もしかしてシスコンでブラコン?」
「最初に言ったはずですよ? シスコンとか、ブラコンとか、言われるのを承知で言いますよって」
唇に指を当て、薄い笑みを浮かべるアイリーンだった。
お読みいただきありがとうございます。
執筆の励みになりますので、ブックマークや評価、感想などは随時受け付けております。よろしければぜひ是非。




