怪物の理
感情の枯れた眼差しに、フレデリカは嘲笑を返した。
「人でいたければ《理》に至るなって? 今更過ぎて、言われても困るんだけど。人の形をした理不尽が、人の範疇にいるわけないでしょうが」
悠太が剣聖に至る前から弟子をしている彼女からすれば、言われるまでもない事実だ。
そして、彼が理不尽に至るしかなかった理由も。
「……ところで、さ。アイリを放っといていいの?」
「お前の面倒を見てる俺が言うことじゃないが、シスコンも大概にしろ。今度はゴミと呼ばれるだけじゃなくて、本気で捨てられるぞ」
「あ、あれは違うから――! メンタルが弱ってるから妹に甘えただけだし!!」
予想通りの理由に、違わないだろうとため息をついた。
「わたしが言ってるのは、あの子が――兄貴の目的を二人に話す気だってこと。これまで隠してたことを暴露されてもいいの?」
照れを誤魔化そうとする奥に、真剣な問いがあった。
悠太の目的は、およそ常人が目指すモノではない。剣士や魔導師であっても、彼に共感する者は少ない。それどころか、狂人の烙印を押すであろう。
また、言わずとも狂人の片鱗は表出している。
成美が悠太を枯れていると評するのもその一端だ。
「いや、良い悪い以前に、別に隠してないぞ――空を斬ることは」
はっ? と目を丸くするフレデリカ。
「隠してないなら、何で言わないのよ? 二人のことは、目をかけてるでしょう。剣聖としての一線は守ってるけど、範囲内で育ててるし」
「聞かれないのに、言うことじゃないだろう。――何を斬りたいのか、なんて」
悠太の弟子であるフレデリカでさえ、ズレていると感じた。
自身でさえこれなのだから、普通の魔導師が聞いたら、どう思うのか。きっと、フレデリカの想像を超えた反応となるだろう。
「えー……じゃあ、何を斬りたいかとか、なんで剣を振ってるのかとか、聞かれてたら普通に答えてたってこと? 空を斬るなんていう、狂人の戯れ言を」
「その通りだが、さすがに本気の相手に限るぞ。本気でないなら、それっぽいことを言って誤魔化す。その程度の良識はあるつもりだ」
「それは良識とは言わない。――でも、なおさらに放っといていいの? あの子のことだから、本気じゃなくても言っちゃうわよ?」
「構わない。アイリが必要だと感じたのであれば、それは必要なことだ」
さっきと言ってることが違う、と責めるように目を細めた。
悠太はそれを涼しげに流す。
「あの子の目は、俺たちとは違う視点を持つ。その視座から見て必要だと感じたのであれば、それは必要なことだ。特にあの子は、ちゃんと成果を出しているプロだ。同じ立場から対案を出せない以上、任せるしかない」
「プロだって間違えるときは間違えるわ。それが分かってて言ってるの!?」
「誰かの生き死にがかかってるなら、多少は言う。だが今回は違う。俺の目的を伝えるというなら、むしろ安全のため。その結果、二人が俺たちから離れるというなら仕方ないことだ。お前の言う理不尽とは、本来そういった存在だ」
悠太の危険性を誰よりも理解しているのは、悠太自身だ。
空を斬る過程でたどり着いた《全てを斬る》という境地は、悠太の斬りたくないモノまで斬ってしまう欠陥品。
普段は鞘に収めており、かつ、悠太でさえ簡単には使えない境地ではあるが、抜くしかない状況であれば必ず抜く。そして、斬りたくないモノが剣の軌道にあったとしても、必要があれば斬りたくないモノごと斬る。
それが、剣聖としての南雲悠太だ。
「……あのさ、兄貴。兄貴が二人のことを心配してたり、信頼してたりするなら、わたしも何も言わないわよ。でも、兄貴は違うでしょ。どんな選択をしようがどうでもいい、自分には関係ないと思ってる――違う?」
「よく分かってるじゃないか」
これが、アイリーンが懸念する――悠太の怪物性だ。
色即是空――全てが空虚というなら、全ては等価ということ。
そして、全てが等価というのは、およそ人らしくない考え方である。彼の天秤は情で揺れることはなく、要不要のみで傾き、斬るモノを選ぶ。
不要の皿に載せられたモノからすれば、厄災以外のナニモノでもないだろう。
「分かってる――じゃない!!」
叫ぶと同時に、身体を起こす。
そして、悠太の胸ぐらを掴みあげた。
「そんな半端な気持ちで、人にモノを教えんじゃないわよ! あの二人がどんだけ、兄貴を信じてると思ってんのよ!! その気持ちを、踏みにじってんじゃないわよクソ兄貴!!」
剣聖になるほどの我執と比べれば、確かに弱かろう。
命題を持つ魔導師と比べれば、無いに等しいだろう。
だが、まったく無視していいはずがない。ただの他人ではなく、自ら関わると決めた相手であればなおさらに。
「踏みにじるつもりなら、俺はとうの昔に人を辞めてる」
それは、悠太自身にも分かっている。
「フーはこの前、初めて人道を外れた魔導師を見たな。俺は剣聖の仕事をする前から、多少は関わってきた。そのたびに『ああはなりたくない』と思ったものだ。俺は自分がズレていると知っている、突き詰めた剣が理外のそれだと知っている。だから《理》から踏み出せない。己が《業》を知れば外道に堕ちるのではと、いつも悩んでいる」
剣聖が斬らねばならない相手とは――剣聖でなければ斬れない存在。
逆を言えば、剣聖が堕ちれば――今度は斬られる側に回るということ。
「そう、なんだ……なんか、意外だわ。いや、兄貴が割と常識人なのは知ってるけど、外道に堕ちないよう気を付けるのが、ちょっと意外。空を斬る以外は義務でやってると思ってたから、必要があればバッサリ捨てると」
従兄に対して辛辣な評価を下すフレデリカだった。
「俺だって人間だぞ、感情くらいある。好きなことだけを突き詰めた果てに、吐き気を催すほどの邪悪になると知ったら躊躇くらいする」
「気持ちは分かるけど、それでも突き進めるから剣聖になったんでしょうが」
「じゃあ、聞くが。堕ちた瞬間に師匠か姉弟子が、嬉々として斬り殺しにくると分かってるのに突き進むようなバカだと思うか、俺が?」
「…………そうね、そうだったわね。武仙の一門って、化け物ばっかだったわね、兄貴含めて」
堕ちるに堕ちれないジレンマを察し、悠太を解放した。
「でも、ホントに放っとくの? ……いや、もう手遅れだろうけど、離れてったら」
「剣や魔導は命に関わる。特に俺と関わるなら、その危険度は跳ね上がる。――この前、お前を斬った外道のことを、覚えてるか?」
「そりゃ、数日前のこと忘れること――って、ことじゃないわよね。分かったの、あいつがわたしを襲った理由」
「去年、俺を斬りに来た連中の一人、らしい。記憶に残ってなくて、人づてに聞いたことを鵜呑みにしてるだけだが」
「あー……納得。逆恨みのとばっちりか」
悠太が剣聖の看板にこだわるのは、とばっちりを少しでも減らすため。
ただ、どれだけ細心の注意を払っても、襲撃を受けるときは受ける。悠太が剣聖である限り、この危険性がなくなることはないのだ。
「先輩はともかく、後輩は初めて命の危機を感じたはずだ。俺と関わる限り、あれが珍しくないと知って、縁を切ろうとするのをお前は責められるか?」
責められるはずがなかった。
命とは、容易く懸けていいものではないのだから。
「俺としては、魔導戦技で自衛できる程度の力量がついてから選択させようと思っていたが、タイミング的には今でも不自然じゃない。だから俺は、アイリの行動を止めないし、二人の選択を尊重するんだ」
「……そうね、道理ね。道理が通ってるけど――最初に言えバカ兄貴!!」
フレデリカがつばを飛ばしながら怒鳴るのも、無理のないことであった。
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