観の目
警察署内の道場にて、フレデリカは仰向けに倒れていた。
「……し、死ぬ……」
「そうだな、数え切れないくらい死んだな」
倒れたフレデリカは、悠太に竹刀で突かれている。
身をよじり逃れようとするが、起き上がる体力が残っていないので突かれるままである。
「つーか……ちょっと手加減しなさいよ。身体強化しても、かすりもしないじゃない」
「魔導師が何を言ってるんだ? 術式を起動してる時点で、身体能力はお前の方が上だぞ。なのに倒れてる自分を恥じろ」
「ないから。剣聖に負けて恥じるとか、ないから。……というか、自分が剣聖だって忘れてんじゃないでしょうね、バカ……兄貴」
息も絶え絶えになりながらも、反論する。
だが、悠太はその答えが気に入らなかったのか、つんつん程度だった竹刀を、グリグリと強く押しつける。
「いいか、フー。お前がいま考えるべきは、身体能力で大きく劣る俺相手に、何でかすりもしないのか、だ。これまで散々、その答えを言ってきたつもりだが、忘れたか?」
「……観の目、でしょう」
「そうだ。観の目による全体視と、それを前提とした先読み。お前もある程度は出来ているが、まだまだ未熟だ」
「……だって、疲れるし」
人間という生き物は、ちゃんと見ているようで見ていない。
たとえ目に映っていても、意識しなければ見ていないのと同じ。そして、全てに意識することは、魔導を使ったところで不可能。
観の目とは、この意識を逆手に取った技術だ。
全てを意識することが不可能ならば、全てを意識しないことで情報を平等にする、という一種の荒技である。
「そりゃ、人間の頭ってのは意識しないように出来てないからな。意識して意識しないようになんてマネ、疲れるに決まってる。だから重要なのは、維持できる時間をどれだけ増やすか、維持できない時間をどれだけ減らすか、だ」
「……でも、兄貴は常に使ってるじゃない」
悠太の師、武仙でさえ不可能と断じた全体視の常時使用。
武仙流の奥義と別の軸に存在する、悠太を剣聖たらしめる根幹だ。
「俺は魔導が使えないからな。空の目に至らなかったら、どっかで野垂れ死んでたはずだ。――というかだな、俺は祓魔剣や空の目でようやく勝負の土台に立ててるんだよ。魔導師の方が理不尽なことしてるって自覚しろ」
「その、理不尽を、生身でやってのける方が理不尽だって自覚しろ!!」
叫ぶと同時に、グリグリと突き付けられた竹刀を払いのける。
そして勢いのまま、フレデリカは身体を起こした。
「はぁ、はぁ、……体力ない人間を叫ばすなクソ兄貴」
「叫ぶことは重要だ。体力がなくても、根性で力が出るからな。体力が残ってればより力が出せるし、相手次第だが威圧効果も狙える。それらを踏まえて――続きだ」
フレデリカが構えると同時に、悠太は動く。
気合いでなんとか立っているだけなので、防戦一方。いや、防戦すらままならない。受けるだけで膝を着き、受け損なえば吹き飛ばされる。
「どうした? 受けられないなら躱すなりなんなりすればいいだろう」
「でき、ないから……受けてんでしょうが」
どれだけ倒れても、吹き飛ばされても、フレデリカはすぐに立ち上がる。
「観の目はどうした。それが出来れば反応できる程度には抑えてるぞ」
「……わかっ、てるわ……っよ!?」
脳が焼けそうなほどの熱を覚えながら、観の目を実行する。
だが、どうしても悠太の竹刀に意識が割かれる。全体視の維持が難しい理由はこれだ。人はどうしても、命の危機に反応してしまう。維持が出来なくなれば、受けるか吹き飛ばされるかのどちらか。
「もっと視野を広げろ。――ほれ、また死んだ」
「――ごふっ、ごほっごほ……そう簡単に、観の目を維持できるか!」
急所に衝撃が入り、フレデリカはまた動けなくなる。
「俺が言っているのは、もっと広義の意味だ。剣に集中したくなる気持ちは分かるが、集中して観の目が崩れれば死ぬ。なら、どちらを優先すべきかは明白だ。より広い視野で判断し実行する。これも観の目の一つだ」
「……それ、明鏡止水の境地でしょうが。簡単にできれば苦労しないわよ」
「最初からそこに至れとは言わん。最初は一瞬、もしかしたら出来たかも? という程度で良い。次はもしかしたら、を確信に。その次は一瞬を一秒に。そうやって少しずつ伸ばしいけばいいんだよ。年単位で苦労するのは当然のことだが、出来ないと決めつけた瞬間に至る可能性がゼロになる。――分かったら、早く息を整えろ」
「分かって……ぐぬぅ」
力を入れようとして、顔面から倒れた。
「ほれ、さっさと起きろ」
「やめろ……つんつん、すんな。……いや、冗談じゃなくて力が入らない」
「まだカロリーも呪力も残ってるだろう。枯渇するまで続けるから、早く息を整えろ」
「この、クソ兄貴が……」
魔導術式を起動しようと呪力を流すが、疲労から上手くいかない。
「ぐぬぬぅ……動かない」
「お前がこの前負けたの、いるだろう? アレはお前以上に追い詰めた後に、気合い入れて動いたぞ」
「だから、何だってんだよ……クソ兄貴……っ!!」
呪力を身体中にめぐらせて、無理やりに術式を起動する。
だが、満足に動かすことはできない。使用しているのは身体強化の術式。カロリーや栄養素に変換したり、操り人形のように身体を無理やり動かす術式ではない。
何度もバランスを崩し、何度も倒れる。それでも、フレデリカは足掻くのをやめなかった。時間をかけて立ち上がり、ついには竹刀を構えるに至った。
「どうだ、クソ兄貴。わたしだって、このくらい出来るのよ……」
「うんうん、見事みごと。だから最後に一撃入れろ。動かないでやるから」
「上等じゃないの……」
動こうとして、膝から力が抜ける。
だが、バランスは崩さない。落ちる力を推進力に変えて、そのまま竹刀で突いた。
フレデリカの竹刀は、宣言通りに動かなかった悠太に当たる。受けた衝撃は上手く床に流したので、微動もしなかったが、鍛錬を初めてから初めての当たりだ。
達成感から笑みを浮かべながら、フレデリカは――顔面から崩れ落ちた。
「――ふぎゅぅ!」
「根性で一撃入れたのは立派だが、どんなときでも残心を忘れるな」
「…………ふざけんな、クソ兄貴……マジで身体に力入らないんだぞ……」
「なに、ただのハンガーノックだ。このくらい追い込めば少しは開眼すると思ったんだが、まるでダメだったな」
手足が痙攣しているフレデリカは、容赦のない酷評を受けた。
「まあ、根性で身体を動かせたのは収穫だな。その感覚を忘れるな」
悠太はフレデリカの身体を、仰向けにひっくり返した。
「それから、まずは栄養補給だな。とりあえず飲め。そのくらいは出来るだろう」
「できる……」
悠太が口まで運んだストローから、スポーツドリンクが流れ込む。
この上ない甘露のように心を満たしていくので、フレデリカは自分がどれだけ疲労しているのかを実感した。
「……兄貴の目が、観の目じゃないのは知ってるけど、最初っからじゃないでしょ? どうやって維持したの、コツとかあれば教えて欲しいけど……」
「コツと言われてもな……俺にとって、ほとんどのモノは等価だからな。自覚して、言語化することには時間がかかったが、そんな苦労はしなかった。唯一ハードルになったのは、命の危機に対する反射くらいなものだ」
「あー……それって《色即是空の理》ってヤツだっけ?」
世に、剣聖と謳われるための条件は、いくつかある。
その一つが《武の理》に至ること。悠太はこの条件を満たしたからこそ、剣聖となった。
「そうだ。この世の全ては空虚――つまり夢幻だ。だったら、どれか一つに意識を割くなんて無駄だろう?」
「あー、その空虚ってのが、良く理解できないのよね。科学的に言えば、アレでしょ。全ては原子で構成されていて、その原子も分解すれば素粒子と電子に別れる、みたいな? 理屈では分かるんだけど……」
「別に理解する必要は、……いや、違うか」
回復しつつあるフレデリカに向けて、悠太は感情のない目を向けた。
「人でいたいなら理解するな。――人の範疇にいたいなら、理解してはいけないもの。それが《理》だ」
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