呪詛の亡霊
真門と内海が現場に到着したとき、戦闘は終わっていた。
「……なん、だよぉ、お前はぁ、なんなんだよぉぉ……」
剣すら握れないほどに疲労しきった男の顔には、恐れしかない。
地に伏し、痙攣しながら見上げる先には、武器を持たない悠太がいる。
「来たんですか、内海さん。真門くんまで連れてきて、何してんです?」
「いやな、少年が本物の武人を見たことないって言うからな。ちょうど良い教材が近くになったなー、と見学に。でも、終わってんな。そいつ、フーカ嬢ちゃんに一矢報いて、杉浦から逃げたんだよな。いくらなんでも弱過ぎねえか?」
「俺ぉ、俺をぉ、無視するんじゃぁねぇよ、剣聖ぇぇぇええええ!!」
男の耳には、悠太以外の言葉は届いていない。
だから、悠太が自分を見ないことに憤る。衝動のままに斬りかかろうとするが、痙攣するだけで指一本動かない。
「あの、先輩……何したらそんな、生かさず殺さずになるんですか?」
「紙一重で延々と避け続けただけだ。避けるよりも剣を振り回す方が消耗するだろう? 最終的にはスタミナ切れでこうなる」
ハンガーノックと呼ばれる、人体のガス欠状態である。
マラソンや登山、トライアスロンのような過酷な耐久競技くらいでしか発生しない状態に、人為的に陥らせたのだ。
「それは、つまり……身体強化してる相手に、生身で勝ったてことですよね? それも体力勝負で? ……悠太先輩、本当に人間ですか? 実は古種だったりしません?」
「気持ちは分かるが落ち着け、ちゃんとしたカラクリがある。身体強化は確かに強いが、持久力という点ではむしろマイナスなんだ。普通じゃ考えられないくらいエネルギーを消費するからな。そして重要なのは、魔導術式を使用しても人が蓄積できるエネルギー量は簡単には増えないという点だ」
貿易論などで出てくる、比較優位の話しに近いかも知れない。
戦闘論ではな経済、それも共存をすることでより大きな利益をあげるという理論なので当てはめるのは違っているが、自分の得意分野で頑張れ、という点では同じだ。
「普通は、膂力などのスペック差で圧倒されるから気付かないんだが、それを捌く腕さえあれば体力勝負で勝つことは不可能じゃない。特に今回は、呪詛で正気を失ってるからな。挑発とかしなくても前のめりにかかってくるから楽だった」
「……理論は分かりましたが、実行できるのがおかしいってのがよく分かりました」
「分かってくれたか、少年。これが本物の武人だ。最弱なんて呼ばれていようが、剣聖って時点で化け物に片足突っ込んでんだ。心配するだけ無駄だよ無駄」
「内海さんの認識には物申したいところですが、今日は見逃してあげます」
二人との会話中、悠太は男から目を一切逸らさなかった。
スタミナ切れで痙攣しているのに、まだ終わってないと言うように。
「いい加減、出てきたらどうだ? 俺は隙なんて見せないし、そのままじゃ最後の備えまで使い切るぞ」
「……何、言って……いや、お前、聞こえるのか……?」
「俺は何も見えないし聞こえないが、杉浦先生から逃げた話は聞いている。だから最低でも、奥伝級の何かがいると想定してる。その反応を見る限り、正しかったようだな」
鎌掛け、ですらない。
いるならいるで、いないならいないで、どちらでもいいのだ。
どちらの場合でも、死ぬ寸前まで見張るつもりだから。
「……ぁあ、あぁ、そうかよ……なら、……ぅえ」
熱に浮かされた頭でも、分かることはある。
自身の全てを使わなければ、剣聖である悠太には届かないことが。
「俺をぉ、くぅえええぇぇぇええええ!」
呪詛が膨れ上がった。
妖刀《綿霧》の呪詛であるが、だからこそ内海は苦々しく口を歪める。
「……ああ、きな臭いとは思ったが、やっぱ何かいやがったか」
妖刀《綿霧》の呪詛は、あくまでも斬った相手に取り憑いて呪詛を拡大させることのみ。
宿主を飲み込むような動きをするはずがないのだ。
「懸念があるなら情報提供くらいしてください。ライカ先輩達から話を聞いてなかったら、見逃してましたよ」
「嘘つけ。知らなくても平然と対処するのがお前で、対処できるから剣聖だろうが。俺から不確定の情報を渡した方が危ないんだよ」
「二人とも、ヤバいこと起きそうなんですから、もっと緊張感持ってください! とりあえず、周辺を封鎖しますよ、結界で封鎖しますからね!!」
万が一にも呪詛が外にでないように、結界で周囲の区画ごと封鎖された。
一流の魔導師でも困難なほどの速度で展開される様を見て、内海は思わず口笛を鳴らす。
「はぁ~、さすが天乃宮家だ。こんなん張れる魔導具があるなんてな」
「緊急事態なので見逃してください! あと、誰かに漏らしたら――分かってますね」
「分かってるって。俺もさすがに天乃宮家を敵に回す気はねえよ」
巨大な結界が張られながらも、悠太は男を見続ける。
自分ではなく、後ろの二人に向かうことも視野に入れながら、変異が終わるのを待った。
「待たせたようだな、剣聖」
ガス欠になったはずの身体が、平然と起き上がる。
「我が名は――」
「亡霊の自己紹介はいらない」
男――亡霊の言葉を遮った悠太は、初めて構えた。
身体を半身に傾け、内海と真門の二人を意識から遠ざける。
「年長者の礼儀に欠けるとは、現代の剣聖とは皆こうなのか?」
「魔導災害に礼儀を向ける方が不自然だ。それに、お前は人類でなくただの寄生虫だ。知性がるから会話してやってるが、駆除対象には過分な対応だと思わないか?」
「……よかろう。若者へ礼儀を教えるのは年長者の義務。剣を抜きたまえ。その程度は待つ」
「必要ない」
悠太が答えると同時に、半歩動く。
それだけで迫る刃はすり抜け、次に半歩前に行き、亡霊とすれ違う。
「お前が呪詛に寄生してどれだけの時間を過ごしたかは知らんが、お前はギリギリ奥伝に引っかかる程度の技量しかない」
「舐めた口を……」
呪詛に侵された男と違い、亡霊は冷静だ。
ガス欠状態のスタミナを呪詛に肩代わりをしている状態で、無闇矢鱈と斬りかかる悪手を打つことはない。
「その程度の挑発で動かせると思っているのか? だとすれば浅慮だ」
「まさか。ただの分析で、ただ自分の糧にするために言葉にしてるだけだ。スマホがあるのに、わざわざ手帳に書き込むようなものだな。言葉にした方が身に付く。副産物で挑発効果もあるが、武仙流の伝統という面が大きい」
悠太は構えを解き、人差し指を唇に当てる。
お前には構える価値すらない、と言いたげに。
「……っ!」
「感情の動きが中途半端だぞ、亡霊。振り切れるまで動かすか、微塵も動かぬように制御するか、武の行き着く先はどちらかしかない。――ああ、ついでだ。構えを解いた理由を解説してやろう」
まるで出来の悪い生徒に対する態度が、亡霊の感情を逆なでする。
「単純に、その身体を使いこなせていないことと、その身体が中途半端にしか鍛えられていないから、構える必要がない」
「身体強化や秘匿術式のことか? 確かに調整が必須だが……」
「それ、以前の話だ。武術とは肉体を改造することから始まる。体力や筋力はもちろん、生理現象や条件反射を武術を前提に組み替えるのだ。武術の才能とは詰まるところ、肉体をどれだけ想像通りに動かせるか、相手がどう動くかを正確に読み切るか、の二つに行き着く」
無防備なまま、一歩を踏み込む。
亡霊は反応しようとして、出来なかった。
悠太の無防備なはずの動きが、亡霊の動きを先読みし潰していると気付いて。
「自分が勝てないからと癇癪を起こし、亡霊に自分を食わせるような軟弱者の身体が、武術に適しているはずがない」
一歩、また一歩。
武器を持たない悠太は平然と、距離を詰めていく。
「そしてお前も同じだ。スペックで負けたからなんだと、癇癪を起こして逃げる。この身体だから勝てなかったと、別の人間に取り憑いて同じことをする。――さすがに、そんな無駄なことに付き合う気はないんだ」
亡霊の間合いまで、あと数センチ。
悠太はそこで立ち止まり、手を広げた。
「だからチャンスをやろう。俺を妖刀で斬って、呪詛で染めてみせろ。そうすれば、自分の矮小さを理解できるだろうからな」
「……良かろう。その傲慢、後悔するがいい」
亡霊は気付かない。
呪詛をその身に浴びることが、悠太の当初からの目的であったことに。
気付かずに、妖刀を悠太に突き立てた。
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