剣豪の太刀
――斬れ、斬れ、斬れ、斬れ
男の半生は、呪詛と共にあった。
剣士にとって、斬りたいという衝動は当然のモノだが、呪詛が発するそれは衝動と呼べるものではない。恩讐や妄執と呼ぶべき粘ついたものだ。
男の流派は、この呪詛を制御し、活用することを良しとした。
長く辛い修練の果てに呪詛を己が手足とした男は、ついに奥伝を授かることとなった。
――斬れ、斬れ、斬れ、斬れ、――を、斬れ
達人や剣豪と呼ぶべき男は、手足だったはずの呪詛に蝕まれていた。
沼のように澱むだけだった呪詛に、明確な意思が生まれたのだ。
――剣聖を斬れ、斬れ、斬れ、――剣聖を殺せ、殺せ、殺せ
否、とは言わない。
剣士にとって、剣聖とは頂だ。
生涯をかけて到達すべき至尊の位階であり、理解や合理の外側にいる埒外だ。
(……儂では無理だろう)
剣人会の古株でもある男は、幾人かの剣聖を目にしたことがある。
彼らに劣ってはいないが、決して届かぬほどの、明確な差を自覚した。戦場において、その差は隔絶と呼ぶほどに大きく、男の心を折るには充分すぎるほどであった。
決して勝てぬ戦いだと理解しながら、決して叶わぬ妄執と自覚しながら、男は呪詛に身を委ねる。
(だが、僥倖だ。儂一人では挑めぬ敵に、挑めるのだから……)
呪詛に身を委ねながらも、男は冷静だった。
弟子達が呪詛に飲まれ剣聖に群がる中、わざと歩幅を緩める。理不尽の権化である剣聖が、わずか数十人に囲まれた程度で負けるはずがない。男に残された唯一の勝ち筋こそ、一対一の決闘なのだ。
(彼が、剣聖か)
二二人の弟子が倒れる中、少年が佇んでいる。
手にするのは剣ではなく警棒。戦闘が終わって直後のはずなのに、闘志は欠片も感じられない。
あまりにも静かで、一見すると剣士とは思えない。
――アレを斬れ
だが、呪詛の妄執は彼に向けられている。
そして剣豪としての経験が、彼こそが剣聖であると断言する。
「――剣人会、合理体系・奥伝」
男は名乗らない。
いや、剣士としての矜持が、名乗りを許さない。
呪詛――妖刀《綿霧》を掌握しているならまだしも、取り込まれてしまうなど剣士の名折れ。
本来であれば奥伝と名乗ることすら烏滸がましいが、技の冴えに濁りはない。また剣聖という頂を前に、闇討ちや辻斬りなど礼を失するにもほどがある。
腰に差した刀を抜き、剣を構える。
「武仙流「心」の理・皆伝――最弱の剣聖、南雲悠太」
悠太は、半身になって警棒を向けるのみ。
剣を抜かないことに対し憤りは感じない。剣聖とは、このような傲慢が許される素材だ。
「だあああぁぁぁ――っ!!」
一合三斬。
生身の動体視力を超える速度で斬撃を放つ武の奥義。
また、男の斬撃には妖刀《綿霧》の呪詛が込められており、掠るだけでも呪詛が流し込まれる。呪詛の威力は、二二人の弟子が飲まれるほどに強力なもの。
文字通りの必殺の奥義は、悠太の警棒にも届かなかった。
「……遠い」
魔導による強化がないはずなのに、三度の斬撃の全てが避けられた。
男が斬ってから動いたのではない。斬る前に動いた結果、男の間合いから外れたのだ。その差は、まさに薄皮一枚。紙の薄さほどの差で、刃が届かなかった。
これは、自身の奥義を見切られなければ不可能な所業だ。
「速いですが、制御しきれない速さはいただけません」
紙一重の間合いを覆す方法が見つからず、男は踏み込めない。
「おそらく、全ての動きを魔導で制御することで、人の限界値を超えたのでしょう。人を超越した化け物共を前提とした、まさに奥義と呼ぶに相応しい絶技ですが――人を相手にするには過剰です」
淡々と、流派の根幹を成す術理を解体してゆく。
「制御方法の例えとしては、格ゲーが適切でしょうか? 冷静に俯瞰する人格を用意し、プログラミングした動きを指示する。柔軟性を簡略性を両立する良い方法だとは思いますが、遊びが少なく素直すぎます。読まれてしまえば、どんなに速くても意味がありません。今のように」
二歩、悠太は距離を詰める。
間合いに入ったことで男は神速の斬撃を放つが、またも薄皮一枚の距離が届かない。
「堪え性がない、も追加すべきか。克己は武人の基礎。呪詛の運用を前提とした流派なのだから、呪詛の衝動を言い訳にはできませんよ」
「耳の痛い指摘だ。……だが、貴重な剣聖殿の指導。活かさねば武人を名乗ることすらできぬな」
男は刀を鞘に収める。
男の流派は、示現流の流れを汲んでいる。二の太刀いらず、が有名だが二の太刀がないわけではない。一合三斬も、示現流の逸話を誰もが再現可能なよう魔導を組み込んだのだ。
そして、示現流には居合の技もあり、男の流派にも存在する。
「受けて、いただけますね?」
呪詛の妄執と、自身の意思が重なる。
悠太が指摘した「俯瞰する人格」が、男の身体と思考を切り離した。
「いつでも」
「では――っ!」
踏み込むと同時に、思考が加速する。
加速した思考は、人域を超えた速度の完全な制御を可能とする。
(一太刀)
これまでと同じく、紙一重で届かない。
抜即斬の絶技に加え、攻撃のタイミングも自動攻撃時とはズラしたのに、悠太は完全に対処して見せた。
(二太刀)
続いては鞘を捨て、上段からの袈裟切り。
一歩半の間合いを詰める刹那の間を利用して、両手持ちに変化。
速度に膂力を加えた渾身の一振りは、軌道上に置かれた警棒によって逸らされた。
(……読まれた上に、加速のために利用するか)
デコピンの要領で放たれた警棒は、男の胸へと吸い込まれる。
最速、最短の動きによる突きは、男の三太刀と同時に届くであろう。
(回避の時間はない。打撃武器であれば、死ぬことはない。――勝った)
最後の三太刀は、下段からの切り返し。
腕と胴をまとめて両断する刃が悠太の左腕を捉えると同時に、男の胸に警棒が触れ、
――男は敗北した。
(……っ!?)
まず、思考の加速が切れた。
次に、自動化された身体制御が切れた。
最後に、慣性のままに警棒と衝突した身体に、強い衝撃が走った。
刀を握ったまま、衝撃の反動で身体が仰向けに倒れた。
(な……何が? いや、呪詛か……!?)
半生を共にした呪詛が沈黙している。
男の術式は、呪詛の存在が前提となって成立している。その呪詛を霧散したことで、必殺の三太刀が不発に終わったのだ。
「…………そうか。祓魔剣。魔導を介さず、霊体や呪詛を斬り裂く武仙の秘奥。誇張された伝説と思っていたが、真実であったか……」
「人の腕を斬って最初の言葉がそれですか?」
悠太が不満を露わにする。
二の腕からダラダラと流血しているので当然のことである。
「弟子達の呪詛も同じように斬ったのだな……まさか、儂の代で流派の滅亡させるとは」
斬った斬られたが日常の世界にいる男は、流派の滅亡を嘆いた。
武人にとって、技術を失伝させることは最大の不名誉。男の流派には秘伝書も残っているが、根幹である妖刀《綿霧》の呪詛がなければ意味がない。
再興の余地は、ほとんど残されていないのだ。
「……はあ。あまり、理解できない感覚ですね。呪詛なんて余分なものを使うのもそうですが、武芸で得られるものなんて個人的なものです。代用品が多いのなら、自身の技が失伝しようが人類社会にはなんの影響もありませんよ」
「一〇〇〇年を超えて生きる、武仙が師であるからこその言葉だな。剣聖殿が失伝させたところで、武仙殿がいれば流派は――」
「いえ、違いますよ。皆伝を渡された時点で、俺の技は師とは別物です。理や業は個々人によって違うもの。いかに伝授しようとしたところで、弟子が俺と同じ境地に至ることは決してありません」
「……そうか。武の理とは、かように寂しいものであったか」
剣聖と、剣聖に届かぬ者の差を感じながら、男は自身の敗北を受け入れた。
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