土曜の日課
剣聖と謳われる南雲悠太だが、驚くほど剣を振らない。
これは戦闘の話だけではなく、日々の鍛錬も含めて、悠太は驚くほどに剣を振らない。
「すみません」
「あ、南雲くん。いつも通りですか? ならどうぞ」
「ありがとうございます」
振らない理由はいくつかあるが、最大の理由は振れる場所がないことだ。
実家は広い農地がある田舎のため気にせずに振っていたが、東京ではマンションに住んでいる。また、夜でも人気がなくならないので、周囲の迷惑を考えて振らない。
だが逆を言えば、迷惑でない場所があれば悠太は剣を振る。
「よう、悠坊。今週も来たのか。真面目だね」
「どうも、内海さん。真面目というか、気にせずに剣振れるのがここくらいなので」
「ははは、剣聖様が要請すれば、どこだって道場を貸すだろうに。わざわざ、警察の道場に来る理由がよく分からないね」
そう、警察署である。
毎週土曜日の朝、悠太は徒歩圏内にある警察署を訪れ、道場を借りている。
「師匠に紹介してもらったから、信用してるんですよ。最弱とはいえ、剣聖ですからね。下手な場所を借りたら……考えたくないです」
「それこそ、剣士の冥利じゃないのか? 呪術師寄りの魔導師にはよく分かんないけど」
「残念ながら、人斬りの思考じゃないので。近付いて斬ればいいだけのことに、固執する理由が実感出来ません。効率よく殺したいなら、銃やミサイル、爆弾なんかで充分ですし」
話を止めずに、剣を数回振る。
振った後は、身体の調子を確かめるように軽く動かし、また剣を数度振る。
鍛錬と言うよりは、調整という言葉がしっくりくる行為だ。
「まあ、俺の事情はそんなとこですが、内海さんは何でここに? 現場以外で会うの初めてですよね?」
調整が終わったのか、剣型のデバイスの構えを解いた。
だらり、と弛緩しているが、銃を向けられても即座に対応する剣呑さを残していた。
「んー、率直に言えば、アレだ。ピリピリしすぎだ」
内海は、魔導犯罪に関わり続けたベテラン刑事だ。
対人に特化した魔導技術は、六〇を過ぎても最前線で活躍するほどに研ぎ澄まされている。
剣聖として警察に協力をする際には、内海のサポートをすることが多い。
「ピリピリ……ピリピリ、ですか?」
「剣士相手に鯉口切るレベルな。上手く隠してはいるが、魔導一種や奥伝なら気付くぞ」
「……なるほど。心当たりは、多すぎますね」
剣型デバイスを手放し、頬を三度叩いた。
赤く後が付いたが、代わりに剣呑さは霧散した。
「何があったんだ。お前が殺気の制御を誤るなんて、相当だぞ」
「色々とありますが総括すると、天乃宮の厄ネタに関わった、ですね」
「確か、今の天魔付属には天乃宮の呪鬼が通ってるんだったな。そんで最近となると……よし、場所を変えるぞ。お前も聞かれたくないだろう」
放り出したデバイスを竹刀袋に仕舞い、そのまま道場を出る。
剣を振るとき、悠太は特に着替えない。これは剣聖になってからの習慣ではなく、修業時代から変わらない。悠太が修める武仙流は、心を鍛える武道でも、技を極める武術でもない。
武仙流にとって剣とは、ただの手段だ。
剣や闘争を日常の延長線上に置き、日常を通して己が業を知り、その先を目指す流派。
求道思想とも呼ばれるあり方は、剣士というよりは修行僧に似ている。
「遮音に隠形、ついでに隔離結界も張っといたぞ。よっぽどじゃなきゃ聞かれないから、好きに話せ」
「俺は気にしないからいいですが、未成年の前でタバコ吸うのはやめた方がいいですよ」
「たっく、堅いこと言うなよ。気を遣ってメントールにしてんだろう。杓子定規だと人間味なくすぞ。ただでさえ目が死んでんだから。反論あるなら人間味のあるエピソードを披露してみろ」
「善良な市民に対して何を言うんですか。人間味ならそうですね……ラブレターもらって前後不確になりましたよ、不本意ながら」
「はぁ?」
火の付いたタバコが、口から落ちる。
悠太は空中でタバコを掴み、内海の口に戻した。
「ラブレター、お前がか? 一体どんな物好きだよ。オジサンに教えてみ」
「オジサンじゃなくてジジイでしょ、図々しい。――相手は例の厄ネタです。ラブレターも勘違いで、実際には部活の勧誘でした」
ため息では吐き出しきれない自己嫌悪が、悠太の内に渦巻いていた。
「あー……あの、混血のお嬢か。思うところはあるだろうが、大目に見てやってくれ。お前なら気付いてるだろうが、取り憑いてるのの所為で対人経験が不足しててな。ズレてるところはあるが根は善良だ」
「心配しなくても分かってます。放っておくと自滅しそうなとことか、飼ってるものの正体とか。全部承知した上で、部活に入ることにしましたから」
部活に関しては事後承諾の上、まだ正式に設立もしていないが。
「お嬢と一緒に部活か。安全装置が側にいると思えば、安心……安心、か? 崖に突き落として暴走する可能性はあるが、まあ安心だな。――じゃあ、ピリピリしてた原因の一つは部活だな。悩みがあるなら相談に乗ってやろう。海千山千のオジサンの知恵を貸してやるぞ」
「オジサンじゃなくてジジイでしょ。でも、海千山千は本当だからな……」
内海の担当する魔導犯罪は、魔導師を相手にする部署だ。
魔導という異能を使うだけでなく、理解するだけの頭脳を持つ魔導師は、頭脳犯の割合が多い。その中で成果を上げる内海は、頭脳犯の手口を知っており、場合によってそれらを使って犯人を追い詰める。
悠太がする協力とは、内海が追い詰めた魔導師を無力化することなのだ。
だから、悠太は内海の悪辣さをよく知っていた。
「……魔導系の部活の設立には、魔導資格を持つ教師が顧問にならないんといけないんです」
「なるほど。魔導科の教師を片っ端から当たったけど、すげなく断られたってとこか。そんで交渉材料もなければ、当てもなくなったと」
「その通りです。魔導剣術部の顧問辺りは、俺が稽古をすれば掛け持ちしてくれるでしょうけど……」
「正解だ。剣聖の腕は甘やかしに使うべきじゃない」
魔導師とは高給取りだ。
私立である天魔付属は高めに設定されているが、フリーランスとして活動した方が簡単に稼げる。
では、なぜ魔導師が教師になるのか? 最大の理由は、魔導科高校の蔵書と魔導設備だ。魔導師の育成のために、民間に公開されていない資料などを閲覧することや、設備もある程度自由に使用することができる。
これが給料以上の報酬となるのだが、逆を言えば利用時間を減らされることを極端に嫌う。
剣聖の稽古はその代わりには充分――どころか、与えすぎな報酬となるのだ。
「当たった教師ってのは、魔導科だけか?」
「そりゃ、もちろんです。魔導師格を持つのは魔導師だけですから」
「魔導科目を教えられるのは魔導師だけだが、魔導科目以外も教えられるぞ。必要なのは教免だからな」
「それは……盲点でした」
そう、悠太達が断られたのは、魔導科目の教師――だけ、なのだ。
数国社理英のような、普通科目の教師は調べてさえもいない。
「説得方法は、聞くか?」
「これ以上もらっても、対価が払えないので結構です」
悪知恵が働きそうな後輩もいるし、と内心で付け加える。
「アドバイスの対価ですが、必要になったら声かけてください。予定を優先して空けますので」
「割引はしないのか?」
「剣聖の腕は甘やかしに使うべきでない、ので」
タバコを灰皿に押しつけ、内海は口角を上げる。
「こりゃ一本取られたな」
悠太は竹刀袋と荷物を担ぎ直した。
「帰るのか? なんなら、飯でも奢ってやろうか?」
「予定――いえ、部活があるので今日は遠慮します」
「熱心だね。ほどほどに頑張るんだぞ。お前はやりすぎるから」
内海は最後まで、部活の内容を聞かなかった。
悠太は、どうせ知ってるか察してるだろう、と言う意義を感じなかった。
プロ――特に、魔導一種を保有する魔導師とは、その程度の情報を隠す意味がない存在なのだ。
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