剛柔を分ける
静かな空間では音が遠くまで響く。
板張りの床を裸足で歩けば、ぺたぺた、と張り付くような足音が聞こえる。
普通に歩くだけで響くのだ。達人同士の斬り合いであれば、響くなどという表現ではまるで足りない。
――破城剣
踏み込むだけで、床が悲鳴を上げる。
剣を振るだけで、建物が揺れる。
鬼面の一挙手一投足は、嵐であった。
動く度に死を運ぶ。対処を誤れば、人の形すら保てぬ肉塊と化す。
――祓魔剣
対して悠太は静謐である。
間合いを見切り、紙一重で躱す。
呪力と剣圧の颶風さえも、空の目で捌く。
避けきれぬ剛剣のみを木刀で逸らし、距離を保つ。
この闘争がなかったとしても、夜のビルで無音のままに剣を振れるのではと錯覚するほどに、音がない。
「やはり、か」
剣戟が一〇を越え、鬼面は止まる。
疑惑を確信に変え、構えを解いた。
チャンスだが悠太は動かない。
否、動けない。動いたところで撫で切りにされる未来しか見えなかった。
「祓魔剣の剛柔を分けるに至ったか」
鬼面の発言に驚いたのは、立会人である響也だ。
剣人会が剣聖と認定した者達と比較して、一段上に置かざるをえない偉業を耳にしたのだ。立場を忘れ、悠太を問いただしたい衝動に駆られるが、役目に徹する。
コレが出来るからこそ、響也はこの場にいることを許されていた。
「剛、柔? 分ける?」
「……武仙や、付喪神から、聞いていないのか?」
「三剣に剛柔の区別があるなどは、特には。だた、分けるには心当たりが。運動エネルギーなどを見分けられるようになったので、意識して斬り分けられるようにはなっています」
「…………求道思想は、これだから……」
鬼面の素が出た。
意識が戦いから遠のいたが、やはり動けない。
一撃や二撃は対処できても、その先が続かない。
「三剣の剛柔は、どちらも武仙の直弟子が分けている。一番弟子が破城剣を、二番弟子が断流剣を。残る祓魔剣は誰も分けることが出来ずにいる。剣聖や剣人会はもちろん、海外を含め分割に挑み続けて、なお……――貴殿が、それを覆したのだ」
「なる、ほど……? だとしたら、冬休みに帰省して師匠に見せるべきか。観測さえすれば再現は可能なはずだし」
悠太はピンときていないが、数学界の未解決問題を証明したようなものだ。
戦国時代に三剣が生まれてから数百年。
付喪神である姉弟子が断流剣の剛柔を分けてから百数十年。
魔導が進歩し、武の術理が深まり、平均も上限も高まり続けてなお、あと一〇〇年はかかるだろうと言われたのが、祓魔剣の剛柔だ。
祓魔剣の修得者は少ないことにも関係するが、斬るモノが無形故に、観測ができない。
絶刀の原則から、観測できないものを斬ることはできない。
これこそが、祓魔剣の難易度を異様に引き上げる。
「それだけか? ……まあ、それだけだろう。貴殿にとって重要なのは、空を斬れるか否か。祓魔の剛柔さえ通り道……いや、偶然か、路傍の石程度の価値しかないのだろう」
「色即是空、空即是色。全ては平等に無価値です。空を斬ることも、社会から見れば無価値ですからね。同じことですよ。……――あと、祓魔剣自体は何も変わっていません。観測する目こそが肝要かと」
そう、悠太は何一つ、変わっていない。
呼吸法を用いた鍛錬により多少は変化しているが、一〇年単位で計画された変化。一年ならともかく、数ヶ月程度では変わらないのと同じ。絶刀の使用は命懸け、溜がなければ破城剣は扱えず、断流剣は意識すれば使え、祓魔剣は肉体の一部。
変わった点があるとすれば、リソースに対する感覚と認識。数え切れないほどの死と蘇生を繰り返し、運動エネルギーや熱エネルギー、呪力の深奥たるアストラに触れ、無形に対する視座が高まった。
ただ、それだけなのだ。
「技術の開拓者への敬意は示すが、扱いきれるかは別の話。技術に落とし込まれ、数百年の研鑽によって磨かれた技にどこまで通じるか、見せてみよ」
轟、と。空気が嘶く。
悠太が息をするように祓魔剣を扱うのなら、鬼面は息をするように破城剣を振るう。
牽制や誘い一振りどころか、踏み込みさえもが破城剣に通じる剛の技。鬼の膂力を乗算させるそれは、大型ダンプどころかジャンボジェット機を思わせる。
鋼の城塞を破砕する剛剣が木刀に触れると、動きがピタリと止まる。
身体に満ちる高揚はそのままに、全身の力が霧散した。
「剛柔を分けるというなら、祓魔剛剣と呼ぶべきでしょうか」
「受け止めとも、霧散させるとは違うな。エネルギーそのものでなく、ベクトルを斬りスカラーに転じさせたか」
「ベクトル? スカラー?」
「悠太殿、貴殿は高二だったな。ベクトルもスカラーも物理学の用語だ。まさかとは思うが、勉学を疎かにしていると言わんよな? 剣聖とは剣士の模範となるべき存在。剣士が仰ぎ見る目標。学者並みになれとは言わんが、現代なら高卒レベルの知識は理解して欲しい」
ベクトルとは、方向性のあるエネルギーの名称。
スカラーとは、方向性のないエネルギーの名称。
もともとは数学の用語だったが、物理学に流用されたことで物理用語として使われている。
大学入試にも、平面ベクトルの問題が出るケースもあるため、受験まで一年ほどの悠太が知らないのは問題があったりする。
自覚があるので、戦闘中にもかかわらず「ふいっ」を目を逸らした。
「……鬼面殿は、姉弟子よりも古い、おそらく江戸時代の生まれですよね? 現代物理学の用語をご存じとは、勉学に明るいのですか?」
「武仙殿に弟子入りをしたのは、三代将軍が就任する前後だ。勉学への明るさだが、現代人に江戸言葉で話しても通じないだろう。前提となる知識、価値観については、一〇年ごとに更新している。後進を育てるのであれば、当然の配慮だ」
普段、動揺しない悠太が酷く狼狽えた。
耳が痛いどころではない。定期テストの度に、フレデリカや、後輩である成美から勉強を教えてもらっているのだ。ここまでして点数は、平均点の少し下。
決して、疎かにはしていない。
単純に、学校勉強に対する理解力が低いだけなのだ。
「しかし、色即是空。全ては平等に無価値、か。全面的には頷けないが、部分的には頷かざるをえないな」
「言っておきますが、勉学を否定するつもりはありません。むしろ、必須と理解していますし、剣術よりも重要だと思っていますよ」
「勉学でなく剣術に関することだ。武仙殿が割ったとはいえ、元は一つの剣。似かよる部分、共通する部分があるのは当然だ。まして、同じ剛柔の域であればなおさらに」
悠太の身体が、大きく吹き飛ばされた。
壁に激突するも音はない。祓魔剛剣と絶招・旋空により、自身に対するベクトルを斬り裂き衝撃をゼロにしたのだ。
「エネルギーの絶対量が変わらないのであれば、破城剣はここまでできるのだぞ」
悠太が構えるよりも早く、鬼面が距離を詰める。
一足一刀による見落としや、隠形による隠蔽ではない。
ゼロからトップスピードへの加速時間が、異様に短いだけ。
悠太の空の目をして、限りなくゼロに近いとしか見抜けない。
「破城柔剣――」
祓魔剣でベクトルを斬ろうとして、出来なかった。
触れたときにはすでに、ベクトルはスカラーへと変化していた。
「――破城剛剣」
「祓魔、剛ッ剣――」
加速時間ゼロの密着斬撃。
悠太を吹き飛ばし、立て直すよりも早く距離を詰めたのも、術理は同じ。
術理が同じならば、三度目は対処できる。四度目は通じない。
奥伝以上を相手にするとは、こういうことだ。
「……なるほど、確かに、術理の根幹は同じですね。練度に関しては、鬼面殿が上ですが」
「こちらも見誤った。まさか自身へのベクトルも斬れるとは」
物理学の知識を応用した、ベクトルとスカラーの切り替え。
剛柔を分けたばかりの悠太では、試そうとさえ考えなかった技術。
武の奥義に相応しい祕剣を披露し合うが、両者ともに無傷であった。
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次回は、4月11日(土)1:00 を予定しております。
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