覚えてないって言いなさい
異界が崩壊した瞬間を覚えていない。
気付けば意識を失っており、目を覚ましたら病院のベッドの上。
悪い夢を見た時の焦燥感や動悸を感じながら、曖昧な意識のまま時間をかけて身体を起こす。彼女の意識が現実に戻ったのは、スマホの着信音を聞いてからだ。
「異界についての記憶を尋ねられたら、覚えてないって言いなさい。いいわね」
電話口から、香織は命令を受ける。
異界での行動について聞かれ、軽く話した途端にこれである。
寝起きで血の巡っていない頭では反射的に「はい」と答えるので精一杯だが、検査を受け、朝食を食べ、ベッドの上で事情聴取を受けてから、香織の命令について考える。
(誰も異界について覚えてないのかな?)
この仮説は、ライカよりも一足先に目覚めた成美とフレデリカと話して確信になった。
もし、自分だけが覚えているとなれば、拘束時間が長くなるのは目に見えている。悪辣な方向で考えるなら、天乃宮家を蹴落としたい派閥に利用されるかも知れない。
嘘がバレないと震える入院生活は、数日と経たずに終わった。
記憶障害以外に異常がないのだから当然であるが、荷物を詰め終えていざ退院、というところでスマホが着信音を響かせる。
「手が離せないから、ライカから南雲くんに説明しといて。資料と病室は送っといたから」
「構わないけど、もうちょっと説明が欲しいな。……なくても、しぶしぶやるけど」
「後始末や足の引っ張り合い、これからの調整その他諸々、時間がどれだけあっても足りないの。でも、南雲くんに事前に話通しとかないと、前提条件が壊れかねないから手の回したいけど手が足りないの。だからお願い」
疲れ切った声で懇願される。
後ろからは指示を求める声、怒声、謝罪など、色々と聞こえてくる。
冗談など抜きに切羽詰まっているのを感じ取り、ライカは押され気味に懇願を聞き入れた。
「病室は、ここだね。……――失礼しまーす」
資料に書かれていた時間に、指定された病室を、指示通りノックをせずに開ける。
その部屋は、ライカと同じく個室であった。違いとしては、ライカの個室は病的ななどに魔導で封鎖されていたのに対し、悠太の部屋はただの個室という点。付け加えるならば、日当たりなどが理想的という点だろう。
(仕方ないけど、待遇が段違いだな)
指示に沿ってベッド付近の椅子に座り、ため息を一つ。
ヴォルケーノやこれまでのやらかしから、仕方のない対応ではあるが、気分が沈む。
嘲笑を自然と零しながら悠太を見下ろすと、バッチリと目が合った。
「――ひゃっ!」
「……寝起きにその反応は、さすがに答えますね」
「ごご、――ごめんなさい! 違くて、そうじゃなくて、不意打ちでビックリしただけで」
「分かってます。――ところで、目を覚ましてすぐにライカ先輩がいるってことは、天乃宮から伝言があるということですか?」
「う、うん、そう! そうなの! ちょっと前にいきなり電話があって、悠太くんの病室に行けって言われて」
慌てながら、入室時にしまったスマホを取り出す。
クラウドにアクセスし、格納されている資料を読み込む。
「……――こほん。寝起きでごめんなさいだけど、香織ちゃんからの伝言を伝えるね」
伝言内容は今、初めて開けたが、指示と違いシンプルだった。
あまりの少なさに別のファイルがないかと三度ほど見返したが、他にはない。
「結界内では天乃宮の指示に従った。異界に行ったが覚えてない。詳細な行動も覚えてない。――だ、そうです…………?」
口にしてもシンプルさに違和感が覚え、またファイルを探した。
やはり見付からないので、恐る恐る悠太に視線を戻す。
「ライカ先輩も似たような指示を受けましたか?」
「うん、異界のことは覚えてないって言えって……」
「なら、崩壊まで生き残ったか否かが、記憶を持ってるかの分水嶺ですね。記憶障害を演じるだけの偽装ですむのは、俺以外が精神体で囚われたのが幸いしたのでしょう。――まったく、どこまで星詠みと未来視の手のひらの上だったのやら」
現代社会において、化け物とは一種の災害だ。
一部は社会に適応し、人としての生活を送っているが、朱い妖精のように命題成就のために世界を彷徨う者もいる。国家を相手取れる戦力を保有する存在が、社会に縛られることなく勝手気ままに活動しているのだ。これを災害と呼ばずになんと呼べばいいか。
加えて、朱い妖精は異界を顕現し、千人近い人を異界へと引きずり込んだ。
異界が顕現した場合、引きずり込まれた者は死亡同然の扱いを受ける。事実、ヴァルハラ異界は崩壊するまで生き残ったのは、悠太とライカの二人のみ。だというのに、実際の被害は記憶障害のみで、全員が生還した。
星詠みか未来視が関与したとしか思えないほどに、都合の良い結果である。
「精神体……そっか、そうだよね。生身で殺されたら、死ぬのは当然だし、異界が収束したからって時間が戻るわけない……――ん、んん? 待って、悠太くん。今、悠太くん以外が精神体でって、言ったかな? つまり、悠太くんは生身だったと?」
「ええ、生身で異界に飛び込みましたよ。化け物を斬るのなら絶刀は不可欠で、未熟な俺は生身でなければ絶刀を振るうことができません。これが師匠や姉弟子ならば、意識を人形に移したとしても関係ないんですが」
ライカはわなわなと身体を震わせる。
その様子に気付いた悠太は身体を起こし、エアコンのリモコンがどこにあるかを探して当たりを見渡した。
「なんっ……で、そんな無茶をしたんですか!?」
悲鳴に近い声音を聞き、悠太はリモコンを探すのをやめる。
「化け物を相手にするなら、無茶をするのは当然です。これは最弱だとか、剣聖だとかは関係ありません。絶刀は神すら斬る絶技ですが、届かなければ意味がないんです。人の身で、神域に手を届かせた化け物を斬るには、無茶をするしかありません。もし、無茶をせずとも化け物が斬れるのだとしたら、それはもう、人とは呼べない何かでしょうからね」
憤りは残るが、それ以上を言うことが出来なかった。
人の身を越えられない己を蔑むような、自身がまだ人の身であると安堵しているような、己の未熟を恥じるような、剣だけを選べない自身を嘲笑するような、犠牲がでないことを喜んでいるような、他にも多種多様な感情が入り交じったような、曖昧な眼差し。
何か言うよりも先に、ライカは悠太の手を取ってしまった。
「…………私も……いえ、私達も無茶をしました。生身でないことは分かったので、皆で無茶をしました。……必死に、考えて。フーカちゃんの剣が、届きそうになって、なったら――終わって、しまったんです。気付いたら、皆いなくなって……」
「おそらく、権能を使われたのでしょうが――強くなりましたね」
「ちがっ――……強くなったとかではなくて、悠太くんが来たのは、その後すぐです。彼の軍門に降るよりはマシだと、ヴォルケーノで自爆しようとして」
「不謹慎かも知れませんが、間に合って良かったと思っています。フーや後輩は助けられませんでしたが、ライカ先輩だけでも、助けられて」
「覚えてます、ちゃんと。ヴォルケーノを鎮めてくれたのも、何度も何度も死んだのも、同じくらい生き返ったのも、――全部、覚えています」
ライカは未熟な魔導師だ。
ヴォルケーノを宿し、下手な化け物を凌駕する呪力量を持っているが、年相応の少女だ。
魔導戦技で実戦に近い経験をしているが、死ぬ恐れのない遊戯だからできること。
異界を攻略し、朱い妖精相手に大立ち回りをし、崩壊まで生き残ったが、生身でなく精神体だと知っていたからできたこと。
もし、生身であったらと考えてしまえば、今更ではあるが恐怖で身体が震えてしまう。
「……でも、…………でも、無茶をするのが当然だなんて、言わないでください……」
震えは、ライカが制御できないほど大きくなる。
声を紡ごうと口を開けば、カチカチと、歯が歯を叩く音が病室に響いた。
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