最も必要な才能
異界において最も恐ろしい点は、現実をあざ笑うような特異な法則にある。
ヴァルハラ異界においては、勇士の召喚と蘇生。神代のルーンを振るえる環境。そして、無尽蔵に存在するアストラ。
尽きることのない不死の軍勢がどれほど恐ろしいかなど、論じるまでもないだろう。
数を揃えたところで意味はない。殺せば死ぬ軍勢では、いずれ磨り潰される。
強いだけの個体にも意味はない。軍勢を越えたところで、神代のルーンを振るう化け物が待ち構えているのだから。
ヴァルハラ異界に限らず、異界を攻略するとは文字通り世界を敵に回すことなのだ。
「――殺せえええぇぇぇぇっっっ!!」
継ぎ接ぎの槍から、いくつかの破片がこぼれ落ち、意味を放つ。
朱い妖精の槍――神槍グングニルとは、神代のルーンの集合体だ。妖精がこれまで使用したルーンとは、写本のようなもの。強大であることに変わりないが、原本と比べればあまりにも脆い力。その代わりに、使用しても原本は消費しない。
槍の完成を目指す妖精にとって、原本の消耗は絶対に避けねばならない禁忌。
だというのに、妖精はその禁忌を破った。ルーンの欠片は砕け、光となり、消滅する。槍の完成は遠のくが、効果は絶大であった。
光が宿った勇士の武器は、一時的であるが神槍グングニルと同一になったのだ。
絶刀を纏う旋空の鎧は難攻不落であるが、絶対ではない。異界の核であるグングニルを退けるとなれば、相応の濃度を必要とする。無論、複製された勇士の武器は、グングニルほどの濃度を必要としない。
だが、切れ味は同一だ。
どれか一本が、一筋でも悠太の肉体に届けば、朱い妖精は勝つ。
「威勢は良いが、これまでと変わりないぞ?」
妖精にとっての誤算は、悠太にとって状況が何一つ変わらないという点。
考えてもみて欲しい。勇士に斬られたら終わりというのは、最初からそうなのだ。悠太にとっては予想外とは、アストラによる蘇生と再生や、絶刀の常時使用などであり、それに頼ったごり押し戦法を恥じてさえいる。
また、振り出しに戻ったわけでもない。
アストラの使用を阻害されれば別であるが、違うのならば戦い方を元に戻すだけ。
避けられる攻撃を避け、避けられないならば弾き、斬れるならば斬る。当初こそ力任せ、勢い任せの運用であったが、数をこなすごとに洗練されていく。旋空という虚空以上に使う機会のない絶招の練度が高まっていく。
そして斬れば斬るほど、異界の制御権が悠太に移っていく。
直接朱い妖精を斬るほどでないが、今の勇士――正確には武器には、核である神代のルーンの原本が宿っている。それを斬ることで、理の浸食が進む。
(……なんだ、これは? どのような法則が……)
異界法則――これを悠太当てはめるならば、色即是空の理となる。
己の異界が浸食されている以上、いずれ悠太の法則が現出することは予想が出来た。だというのに、床一面の水鏡以外に変化がない。神代のルーンが阻害されることも、特異な力が働くこともない。
ただただ、被害が積み上がるだけ。
ほんの僅かな違和感が積み上がり、積み重なり、疑問が無意識にまろびでた。
(遅い、のか……?)
気付けば、半拍ズレている。
全体的に、ではない。悠太に近付いた個体のみ、ズレているのだ。
踏み込みからの次の動作のみが、半拍遅くなり、そのズレを刈り取られる。
(確かめるほか、あるまい)
リスクを承知の上で、気配を消す。
異界の喰らい合いに置いて、相手の法則を知ることこそが勝利への道。
勇士の動きに合わせ、自身の音を合わせて隠し、渾身のチャージを叩き込む。
その動きは、悠太のように洗練されてはいない。どこまでも荒々しい、鉄砲水のごときあらがえぬ奔流。本筋ではないが、妖精は幾千幾万の修羅場を生き抜いた化け物だ。半拍のズレさえも計算に入れた必中の突撃であり、旋空の守りも、絶刀の弾きも間に合わぬタイミングに放たれた必殺は――ぬかるみに足を取られた。
「――っ、……は?」
継ぎ足のズレは、半拍では収まらなかった。
近付くほどにぬかるみは深さを増し、タイミングだけでなく速度すら殺してしまう。
何が起こっているのかを理解する前に、勇士から奪い取った剣が妖精と突き刺した。
天井が、曇天に覆い隠される。
「槍の扱いはギリギリ奥伝級だが、それ以外は並なのだな。……いや、違うか。あくまでも、近付かれた際の護身程度と考えれば過不足ない。とっさの回避は見習いたいほどだ」
二の太刀を避け、天井を見上げる。
覆ったはずの曇天はなく、床にぬかるみもない。二度、三度、床の固さを確かめれば、水音のみが返ってくる。
(……確かめる、ほか…………あるまい)
勇士達は相変わらず半拍ズレている。
槍を構え、神代のルーンを放ち、ジリジリと距離を詰める。
変化は、悠太の一足一刀から三歩離れた地点で起こった。
足が沈み、雲が覆った。
「……これが、貴様の世界だと?」
半拍遅れた原因は、泥だ。
ただの、泥だ。
悠太に近付けば近付くほど深くなるだけの泥濘だ。
特異な力は何もない。単純に足場が最悪なだけで、故に刺さる。
達人である勇士だからこそ半拍のズレですんでいるのであって、朱い妖精では満足に戦うことができない。武において、足場とはそれほどに重要なのだ。
「そうだ。この曇天の空を斬りたいから剣を学び、斬る過程で必要だから剣聖に至っただけの凡人だ」
「ふざけるな! 勇士でさえ足を取られるほどの泥の中、何一つ変わらない貴様が凡人だと!? そう抜かすのか――!!」
泥に足を取られる距離で、ようやく分かる。
最も深いぬかるみに捕らわれているのは、世界の中心にいる悠太なのだ。
足どころか腰が浸かるほど沈んでいるのに、足さばきも、振りも、速度も、何一つ平時と変わりない。
剣聖だから、では説明がつかない。
アストラの加護があるから、でさえない。
確かに、泥による洗礼は悠太に近付く者全員に降りかかる。本人だけが逃れるというのなら、異界としては真っ当な部類であり、妖精も理解できる。だが、泥の影響を最も受けているのが悠太なのだ。他の者達は、悠太から派生する余波に足を取られているに過ぎない。
これこそが、悠太の世界なのだ。空を斬るために、泥に沈みながらも剣を振り続けることこそが、南雲悠太という人間の心情風景であり、これが漏れ出したに過ぎないのだ。
「科学万能、魔導全盛の時代において、武術を納めるために最も必要な才能が何か、答えられるか?」
「そんなもの呪力に決まって――……っ」
口にして、気付いてしまった。
悠太の呪力は、一般平均の一〇分の一ほどであり、ないに等しいと。
呪力による加護、魔導による身体強化を受けて修めることを前提とした武術において、これは凡庸などと呼ぶのが烏滸がましいほどのハンデだ。泥に足を取られるどころではない。自分だけが泥に埋まりながら剣を振るのに、周りは平地でのびのびと剣を振るっている。
そう、これこそが悠太にとっての風景であり、平時。
このハンデは一生つきまとう。剣聖に至るほど剣技を身に付けようと、泥の中にいることは変わりない。常にデバフを受け続け、戦わざるを得ない。最も弱いと言われながらも、だからこそ悠太は敬意を表される。
――最弱の剣聖、と。
「動揺するのは構わないが、この距離では致命的だぞ」
悠太の理は、悠太を中心に広がる。
近付けば泥に捕らわれるが、彼に近付かれても同じこと。
膝下まで泥に沈んでしまえば、朱い妖精であってもとっさには動けない。
――虚空・絶刀。
全てを斬り裂く手刀が、妖精の心臓を貫いた。
お読みいただきありがとうございます。
執筆の励みになりますので、ブックマークや評価、感想などは随時受け付けております。よろしければぜひ是非。




