全ては等しく無価値
(無理だな、これは)
朱い妖精が呼び出した数千の軍勢を前に、まっさきに諦めが浮かんだ。
(内包しているアストラも、実力も、判断力も桁違い。これが個人の技能でしかないのだから、化け物と言う他ない……本当に、化け物を相手するときはいつもこれだ……)
本物は、化け物に殺しうる切り札であるが、その間には絶望的なほどの差がある。
今の悠太はアストラを用いることでリスクなく絶刀を扱えるが、それ以外はただの人間だ。斬られれば血が出るし、五体も容易く欠損する。攻撃を弾く便利な障壁を使えるはずもなく、何十人をまとめて吹き飛ばす方法もない。
己の身一つ、手にした剣一つのみで、軍勢を突破して朱い妖精を斬る。
剣聖である悠太でも無理と判断するしかなかった。
(だが、泣き言を口にしても意味がない。剣を納めても死ぬ、軍門に降っても死ぬ、もちろん戦っても死ぬが、勝つ以外に生き残れないのならやることは一つ)
幸いなことに、一対多の戦いには慣れていた。
自分以外が全て敵など、魔導戦技では常である。魔導と武の達人に徒党を組まれるのも、魔導戦技で当たり前。数が多すぎることが懸念点であるが、アストラにより絶刀が使える状況は有利と言える。
気負うことなく、剣を振った。
一人斬り、二人斬り、三人斬る。剣を振る度にアストラが減るが、斬る度に補充される。
一〇人斬り、二〇人斬り、三〇人斬り、避けられない攻撃が増える。
(無人の野を行くがごとく、とはいかないな。未熟だ)
攻撃を避けられないのは当然のこと。
いかに最善の行動をとり続けようとも、悠太は一人だけ。四本の手足と剣一本では対処しきれない物量を相手にしているのだから。
むしろ、三〇人を斬ってまだ指の一本も欠けていないのがおかしい。
だが、一〇〇人も斬る頃には必然が訪れた。右太股に大きな穴が空き、激痛が走り、それでもと勇士を斬る。そこから数人を斬って、自身の身体に違和感を覚えた。
(待て、なんで俺はまだ動けている? 負傷した右足で、なぜ過不足なく踏み込める?)
疑問を解消するのは簡単だ。
穴が空いた右足を見れば良いが、それをすれば首が飛ぶか腹か心臓に穴が空く。
見たいという感情と、生き残るために動く理性の衝突は、隙と呼ぶにはあまりにも小さい動揺を生み、右肘が消し飛んだ。
動揺、後悔、苛立ちを抱くと同時に、剣を握る右手の残骸を捨てる。
悠太がいるのは死地。人である以上、揺れることは仕方がないが、生死に直結してしまう。己の未熟に呪詛を吐きつつ、片腕で剣を振るい続ける。
だから、だろうか?
自身の身体に起こっている異変に気付いたきっかけが、視界に入った己の右腕ではなく――重心がいつも通りであることだったのは。
(…………なんで腕が生えているんだ?)
気味が悪く、気持ちも悪いが、贅沢は言ってられない。
片手持ちから両手持ちに切り替え、違和感なく勇士を斬っていく。
(アストラが原因なのは間違いないな。俺は斬る以外は普通の人間だ。……だとしても、おかしいが。百歩譲って手足が生えるのを受け入れるとしても、リハビリいらずなのはさすがに異常すぎる……)
疑問を抱くが、解消する気はない。
考える暇がないこともだが、答えを出せるほどの頭もないからだ。
「お前は、羽虫でなければいけないんだ!!」
何を今更、と嘆息する。
化け物の中でも最上位に位置する朱い妖精と、最弱の剣聖である悠太では比べることの出来ない差がある。
羽虫呼ばわりされるのが当然の断絶がある。
悠太という羽虫が毒を、神にも届きうる刃を持っているのは事実だが、毒である以上届かなければ意味がない。物量で囲んで封殺している現状を続けさえすれば、悠太に勝ち目など存在しないのだ。
「その願望は無意味どころか有害だぞ、妖精。お前を殺す前に俺を殺せば、俺が羽虫であると証明したことになる。故に俺を殺すことにこそ注力すべきなのだ。憤れば視野を狭め、焦れば柔軟性を失う。どれも負けるリスクを高める愚行で、願望を口にするなどもっての他だ」
故に、悠太は妖精の神経を逆撫でする。
勝ち目がないのなら、揺さぶって状況を動かさなければならない。
最悪の状況を招きかねないと分かっていても、現状維持よりはマシであるから。
「黙れ――■■■」
だから、これは悠太が賭に負けたに過ぎない。
神代のルーンにより、悠太は死亡した。発現する前に斬ることが出来ればさらなる動揺を誘えただろうが、勇士の軍勢が邪魔をして、現象が発生する。
悠太には何が起こったのかは分からない。
だが、自分が死亡したことは理解した。
理解した自身が、存在し続けていることに驚愕した。
「神の力、アストラとは凄まじいな。蘇生が瞬時に終わり、再生した手足は違和感なく動く。……詰まらないどころの話じゃない。剣士にとっては甘い毒だ」
「そんなわけがあるか! アストラがあったところで蘇生が簡単なはずはない! 失った身体の再生も同じだ!!」
朱い妖精の叫びに「やはりこれは異常なのか」と納得する。
では何が異常かと考えて、己自身の理――色即是空が関わっているのではと考えるが、考えはそこで止まる。
「なら、俺の理に原因があると? まあ、使えるから別にいいが」
追求したところで意味がないのだ。
仮に、異界の外、現実で同じことが出来たとして、何の意味があるというのか。
外傷による死がなくなればやれることの幅は増えるが、それが活きる場面は戦闘関連か、危険地帯での活動だ。また、何人かに不死性が知られれば、蘇生の秘密を知ろうとなりふり構わない行動をされる。
剣聖である以上、どこかの段階で止まるだろうが、次は身内が狙われる。
であるならば、追求することに意味はない。むしろ害悪にしかならないのなら、今を乗り切った後に斬り捨てるだろう。
「お前は価値観まで羽虫だとでも言うのか、気持ち悪い……」
妖精の言葉は、すとんと胸に落ちた。
自身がなぜ、理から先、業に進むのを躊躇しているのかを、言い当てられた気がした。
普通の人間であれば、死んだという事実に耐えられない。生き返ったとしても「この身体は本当に自分のものなのか、この意思は本当に自分のものなのか?」とアイデンティティを揺るがされる。
いわゆる、スワンプマンの思考実験。
死んだと自覚し、アストラの力で生き返ったと認識している今の悠太は、スワンプマンになったと言えるかも知れない。これで「自分は間違いなく自分である」と言い切ることの出来る人間が何人いるだろうか?
この場で分かることは、悠太は「今の自分は、間違いなく過去の自分と同じである」と言い切れる側の人間であること。色即是空の理の前では、全ては等しく無価値なのだから。
「迷ったな。悪手だぞ」
朱い妖精の迷い、悠太は迷わなかった。
賭けて、欠けて、駆けた。アストラによる不死性に頼る自身の未熟を飲み込み、ここにしか勝機はないと駆け抜けた。
身体を失い、武器を失い、それでもと手を伸ばし、足りないと関節という関節を外してまで指先を伸ばす。
「絶招・虚空」
中指の爪が、朱い妖精の薄皮に触れた。
神すらも例外なく斬り裂く、全てを斬る剣が届いた。
ほんの僅かであっても、届いたのだ。異界の中心を、悠太は斬った。
斬り裂いて、しまったのだ。
(……なるほど。これが、理不尽の押しつけ。普通にしてれば出来るとは、こういうことか)
異界の中枢に付けられた傷から、浸食が始まる。
悠太の理――色即是空の理が、ヴァルハラの異界に静謐を呼び込んだ。
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