矮小な存在
竜、鬼、妖精などの古き種族達は、およそ二つに分類される。
一つは、霊長類としての古種。 人としての肉体を持つ生物。
一つは、現象としての古種。呪力によって構成された現体を持ち、現代では魔導災害に分類される生命。
朱い妖精は、後者の妖精として誕生した。
魔導災害は現代では警戒されているため、現体が生まれるまで放置されることは少ないが、それ以前では別だ。特に神霊種が地上を跋扈していた神代と呼ばれる時代では、赤子に踏まれるだけで霧散するような矮小な現体も出現した。
朱い妖精は、吹けば飛ぶような矮小な存在であった。
赤子はもちろん、小動物に触れられるだけで消えてしまう。運良く生き延びたとしても、自然消滅してしまう。彼が幸運だったのは、ある神にであったこと。彼が他と違ったのは、神に憧れ後を追ったこと。
(……認めない、認めない。僕はお前を認めない!)
妖精は、ある神の生涯を見届けた。
詩の蜂蜜を求め天空や地下世界を巡る冒険も、知識の泉で水を飲むために目を担保に差し出す様子も、世界樹で首を吊りルーンを得る儀式も、神狼の牙にかかり死ぬ定めも、全てを見届けた。
だが、妖精は気付かなかった。隻眼の神が最後まで妖精の存在に気付かなかったことを。
他者から見れば哀れかも知れないが、妖精にとっての不幸はそこではない。神が死ぬときに砕けた槍の破片が、妖精に刺さり、適合してしまったことである。
叡智の権能による加護を得た妖精は、知恵を得てしまった。
知恵を得たことで、妖精は知ったのだ。仕えていたと思っていた神にとって、己は羽虫以下の存在でしかなかったことを。槍の破片に宿った叡智の中に、神を復活させる可能性があったことを。
(お前は羽虫だ! 呪力を持たないお前は、羽虫であるべきなんだ!!)
朱い妖精は世界を巡る旅を始めた。
神代を終わりを乗り越えてしまった神造兵器を拾い、叡智の槍を復元するために人の魂を集め、主の住まいであるヴァルハラの異界を整え、エインヘリャルを揃えるために勇士を集め、化け物や例外、本物から逃げ、いつしか朱い妖精自身が化け物となった。
世界を見渡しても、間違いなく上位に位置する強者である。
高位の魔導師が血涙を流すほどの秘奥にも至った賢者である。
その朱い妖精が、呪力などないに等しいただの人間に、追い詰められていた。
「お前は、羽虫でなければいけないんだ!!」
宮殿の外を徘徊する兵士達とは、比べものにならないほどに強い勇士達。
技量も高く、連携をする知恵を持ち、一度見た攻撃に対処する対応力もある。なにより、殺したところで一分も経たずにまた出現する。それらが数千人の軍勢として襲いかかってくれば、化け物であっても屠ることが出来るし、幾体もの化け物を屠って槍の材料としてきた。
理不尽の権化とも呼ぶべき不死の軍勢は、悠太が剣を振る度に数を減らしていた。
「その願望は無意味どころか有害だぞ、妖精。お前を殺す前に俺を殺せば、俺が羽虫であると証明したことになる。故に俺を殺すことにこそ注力すべきなのだ。憤れば視野を狭め、焦れば柔軟性を失う。どれも負けるリスクを高める愚行で、願望を口にするなどもっての他だ」
「黙れ――■■■」
神代のルーンを斬ろうとするも、勇士が邪魔をして現象が発現する。
空の目を持ってしても認知も観測も出来ず、自身の半身が消失したという結果のみを認識する。ただの人間でしかない悠太は死亡――しなかった。
「神の力、アストラとは凄まじいな。蘇生が瞬時に終わり、再生した手足は違和感なく動く。……詰まらないどころの話じゃない。剣士にとっては甘い毒だ」
「そんなわけがあるか! アストラがあったところで蘇生が簡単なはずはない! 失った身体の再生も同じだ!!」
吸血鬼のような不死の怪物で、ようやくその域に至る。
そもアストラとは、決して万能の力ではない。神の力と呼ぶに値するエネルギーであるが、魔導を効率よく、より高度に扱える燃料でしかない。殺した直後に蘇生するのも、再生した肉体を過不足なく動かすのも、悠太だからこその理がある。
「なら、俺の理に原因があると? まあ、使えるから別にいいが」
テセウスの船、という思考実験がある。
ある船を保存するために、損傷した部品を別の部品に置き換えていく。何年かすれば元あった部品は存在しなくなるが、残った船は同じ船であろうか? というパラドックスの一つ。
明確な答えの存在しない問題であるが、色即是空の理を持つ悠太であれば断言する。
全てが平等に無価値であるのだから、部品が変わったところで同じ船である、と。
「お前は価値観まで羽虫だとでも言うのか、気持ち悪い……」
蘇生に関しては、悠太が生きたままヴァルハラという冥府にいることが原因だ。
死ねばヴァルハラの住人になるが、生と死が同列である悠太の認識は生死の境を曖昧にする。この曖昧な状態の中で、悠太の認識が少しでも生に傾けば、アストラは悠太を生の状態に戻すために作用する。
アストラを消費しきれば果てる命であるが、勇士を殺すことで補充されてしまう。
つまり、妖精が悠太を殺したければ、アストラを奪われないように殺し続けるしかない。
(いや、分かっている。ヴァルハラを解けば、異界を解けばそれで終わる。羽虫がいくらアストラを奪ったところで、基底現実では保つことが出来ない)
アストラとは、非常に繊細なエネルギーだ。
現実でアストラではなく呪力という形で存在しているのも、呪力という形が安定しているからに他ならない。異界という特殊な環境下でなければ、アストラという形で存在できない。
また仮に、現実でアストラを保有できたとしても、ヴァルハラでしているように容易く蘇生することは不可能。悠太の蘇生はあくまでも、生きたまま冥府にいるという状況と、悠太の理が干渉することによって発生した現象だからだ。
そこまで分かっていながら、妖精はヴァルハラを解くという選択が取れない。
(……だが、ここで解けば僕は終わりだ。神造兵器がいなければ、ヴァルハラを拡大することは難しい。羽虫を殺し、範囲の命を全て燃料にして、正常に閉じなければ、ヴァルハラが破綻しかねない……)
朱い妖精は追い詰められていた。
悠太にではなく、天乃宮の星詠みによって、追い詰められていた。
異界へ侵入するだけならば放置して良い神造兵器を破壊したのは、異界を解いて逃げることを躊躇させるため。躊躇をすれば、悠太が異界のリソースを削ると分かっていたから。
神代から現代まで生き延びた妖精は、己に課した命題によって身動きが取れない。
(……どうする、どうすれば、どれを選べば……僕は)
「迷ったな。悪手だぞ」
駆けた。
地を踏みしめ、最短の道を、最速で駆けた。
守りなど考えない。全身は切り刻まれ、魔導による破壊を受け、再生と同時にまだ消し飛ばされても、速度は緩むどころか上がっていく。
「武仙流・皆伝――絶刀」
「……――っ、■」
ルーンが悠太の身体を消し飛ばす。
剣型のデバイスも消失するが、とっさの行動により範囲から逃れてしまった肉片が一つ。
肉片は瞬きを許さぬ速さで膨れ上がり、消し飛ばされる前の悠太が出現した。
「絶招・虚空」
武器はない。
だが、腕はある。
極限まで伸ばした腕を伸ばし、それでも足りぬと関節という関節を外し、限界まで伸ばし、中指の爪先が、妖精の頬を斬り裂いた。
薄皮一枚。
血など出るはずもない、傷とも呼べない一筋。
だが、届いた。届いてしまった。
――異界に静謐が訪れた。
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