最も危険で厄介な魔導災害
魔導災害。
呪力によって引き起こされる災害。
一般的には霊脈の異常によって発生する自然災害だが、魔導技術の発展と普及に伴い人の手によって引き起こされる人災であるケースも増えている。
また、一言に魔導災害と言っても、性質によっていくつかに分類される。
一つは魔獣。核となった呪力が、キマイラやヒュドラのような神話に語られる怪物へと収束し、怪物のように振る舞う災害。
一つはアーティファクト。すでにある物質を起点に呪力が収束し、特異な現象を引き起こす呪物へと変貌する災害。魔導戦技部が関わった中では、妖刀《綿霧》などが典型例となる。
このように、呪力がどのような形で収束するかで、魔導災害は大きく変わる。
魔獣であれば、神話の怪物へと収束すれば国家規模の脅威となるが、何の力のない兎であったなら見つけにくいだけである。
アーティファクトであれば、人が死ぬ呪詛を広範囲に振りまく現象であれば最悪だが、切れ味がよくなる程度の現象であれば回収して適切に運用する。
「失敗した……」
では、最も危険で厄介な魔導災害は何か?
人によって答えは違うが、最も支持を集める答えは存在する。
それが――異界だ。
「希少種二匹は捕まえたけど、純血種を逃した。これじゃ意味がない……」
空間に作用する魔導災害が異界に分類されるが、ある魔導師は「異界こそ魔導の真髄である」と語る。
過去に発生した異界の事例としては、農地が毒沼に変化した、アパートの一室に大名屋敷が収まっている、小さな島が空へと浮かび上がった国になった、などなど。魔導災害の中でも最も現実との乖離が大きい形態だが、ある魔導師の語る真髄のキモはそこではない。
曰く「異界を極めた先に存在するのは世界の創造である」
さらに「世界を創造する魔導師に何が出来るのか?」と問われた魔導師は「創造した世界の中では何でも出来る」と返答した。
これが何を意味するのか?
端的に言えば、人が神になれる。
「くそ、くそっ、くそっ! どういうことだ! なぜヴァルハラに堕ちない!?」
天魔附属高校を襲った魔導災害の正体は、人為的に展開した異界に呑まれたこと。
異界の発生源となったのは――朱い妖精。
四体の神造兵器を触媒として、己の異界――ヴァルハラで現実世界を塗り潰したのだが、その試みは失敗した。
「いや、堕ちないだけならいい。相手は純血種。俗界に染まろうと格上だ。どのような理不尽だってやってのけるだろうが――この結界は違う」
神域の力をもった朱い妖精は、空を見上げる。
そこにあるのは空ではなく、箱。天魔付属をすっぽりと覆う巨大な箱の一部であり、朱い妖精の異界が箱の外に流出するのを防いでいた。
「ヴァルハラに対する防波堤ではない。内側の存在を外に出さないための檻。つまりは、僕を逃がさないという意思表示。……羽虫ごときが僕を? ……――ふざけるなっ!」
憤怒の形相で箱の内から世界を見下ろす。
そこに広がるのは、何一つ変わらない天魔付属の姿。朱い妖精がヴァルハラと呼ぶ異界が展開していれば、この領域は妖精が思い描く世界が広がっているはずであった。しかし、妖精の理想は何一つとして現実を浸食しない。
だが、不完全であっても異界は展開していた。
生きて動き回っているはずの、人間を含めた全ての生命が、ごく一部の例外を除いて倒れているのだ。
「……だが、認めるしかないな。純血種以外にも、あの奇妙な羽虫以外にも、僕に届く何かを持った羽虫がいる。……いいだろう、いいだろう」
朱い妖精の呪力が放出した。
「――認めよう」
憤怒に染まった妖精から、表情が抜け落ちた。
虫のように無機質に、世界を俯瞰する。
「認めよう、羽虫共。お前達は数少ない、僕の敵だ。僕に届きうる刃で、僕を殺しうる毒だ」
国際機関から指名手配されている朱い妖精の力は強大だ。
異界の真髄という神のごとき領域に位置し、神造兵器という国に匹敵する戦力を保有し、神話の時代から現代まで生存するだけのしぶとさを併せ持つ、正真正銘の化け物だ。
文字通り世界を滅亡させるだけの存在であるが、人は無力ではない。
文字通り世界を滅亡させるだけの存在であるが、上には上がいる。
悠太や香織のような本物であれば、化け物を殺し世界から排除することができる。
精霊種や神霊種のような例外は、存在自体が化け物よりも強大で膨大。
朱い妖精は強者であるが、絶対でも無敵でもない。
殺しづらくとも、どうすれば殺せるんだと悩むにしても、殺せば死ぬ程度の化け物だ。
「故に、全力で挑もう」
長い歴史の中で、朱い妖精は数え切れないほど死にかけた。
格上の例外、同格の化け物、格下の羽虫、そのどれもが油断ならない敵になり、無様に逃げるしかないこともあった。
「僕を逃がさないというのであれば、食い破ろう」
狡猾で悪辣な罠にかかり、逃亡を許されないこともあった。
必殺の陣形と、必滅の奇跡によって存在の一欠片までも滅しかけたこともあった。
だが、朱い妖精はそれらから逃れ、現代でも存在している。
「――だが、忘れてもらっては困るな」
殺せば死ぬ存在ではあるが、朱い妖精は正真正銘の化け物だ。
必殺を切り抜けて殺し返す技量を持つ。
奇跡を塗りつぶし国家に必滅の呪詛を返す術を持つ。
殺すことが可能である事実と、実際に殺せるかの間には、海よりも深く山よりも高い溝があるのだ。
「僕を閉じ込めたということは、僕からは逃げられないということでもあることを」
状況は、依然として朱い妖精が有利である。
不完全であっても異界は展開されている。
四体の神造兵器は瑕疵なく配置されている。
なにより、箱の内側にいる人間のほとんどは、朱い妖精の異界に捕らわれている。
「僕が羽虫共を燃料する前に、僕を殺せるか否か。これはそういう遊戯だ」
人の目で見る限り、天魔付属に異変はない。
動く気配は一切ないが、人々は生きている。
ならば、朱い妖精の異界――ヴァルハラはどこに展開されているのだろうか?
「お前達が魔導師だと言うのなら、精々見つけ出すがいい」
答えは、すぐに示した。
空に静止する朱い妖精の足下が、黒く波打った。
影と呼ぶには濃く、闇と呼ぶには薄く、泥と呼ぶには滑らかで、水と呼ぶには粘ついている。朱い妖精は、そんな黒い波に沈んでいく。
これこそが、ヴァルハラの入り口であった。
「見つけたならば、羽虫であろうと歓迎しよう。盛大にもてなすとしよう」
名前とは、最も短い呪である。
人は名前によって世界を認識し、時に事実を誤認する。
異界のように現実から遠い存在は、名前という呪の力をより大きく受ける。異界の性質に合う適切な名前を付ければ、呪の力によって異界の力はより強くなる。これは魔導師によっての常識であるが、欠点もある。
それは、異界の性質が名前によって制限されるということだ。
異界に焦熱地獄と名付けたならば、まさに灼熱の世界になるが、極寒の世界にはならない。
朱い妖精の異界とて同じだ。ヴァルハラと名付けられたならば、神話に語られるヴァルハラから大きく乖離することはない。
「羽虫ではなく、僕のエインヘリャルに加わるに相応しい勇士と認めて――」
北欧神話に語られるヴァルハラとは、戦士の集う冥界だ。
戦争のために勇士の魂を集め、戦争のために勇士が日夜戦い続ける修羅の巷。
魔導師の尽力によって、地上に冥界が顕現することはなくなった。
「――その魂をもらい受けよう」
だが、冥界としてのヴァルハラは確かに展開さ、朱い妖精は冥界へと身を隠した。
朱い妖精を殺すためには、どこかに隠された冥界の入り口を探し、修羅のごとき勇士が徘徊する冥界の中で、主たる朱い妖精を探し出さねばならない。
地上に冥界が顕現する最悪は逃れた。
しかし、最悪に近い厄災であることに変わりはなかった。
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