理解しているだけ
真門は、天乃宮の星詠みから指示を受ける立場にある。
どのような指示かを悠太には分からない。ただ、状況証拠から半月先、つまり現在を見越してのものなのは間違いない。
間違いないが、どのような未来があり、指示を実行することで何が起こるのかを、真門は知らない。知る必要もないし、知ろうとも思わない。
「……悠太先輩は、星詠みに勝ちたいとか、負けて悔しいとか、思ってるんですか?」
「それはない。未来視と剣術では分野が違いすぎるし、競ったところで俺の益になるわけでもない。同じ分野では勝てないと理解しているだけだ」
「理解、ですか。確かに競うのが馬鹿らしくなりますが、不安になったりしないんですか? いえ、わかってはいるんですよ。ゼファ……星詠みの指示通りにすることが一番良いって。でも、だからこそ怖いと言いますか。味方でも不安になるんですから、敵にも味方にもなりうる先輩ならなおさらかと」
手のひらの上で転がされる、とは比喩でも何でもなく事実だ。
星詠みから出される指示とは最善の未来に至るためのものであるが、全員がその指示に従うとは限らない。だが、天乃宮の星詠みは、自由意志による選択さえも予測して人を動かす。
ゴールデンウィークに妖刀を追い詰めた手腕などはまさにそれである。
「競ったところで負けは確定。抗うことはおそらくは織り込み済み。従ったとしても俺にとっての不利益になるかもしれない。――不安を言語化するならこんなところか?」
「……ええ、そうですが、よく分かりますね。それと言語化できるのによく正気でいられますね」
「色即是空、空即是色、というだろう」
「この世の全ては空、つまりは空虚。しかし空は色、物質でもある、とかいう仏教用語ですよね? ……いえ、この場で出したということは、違う意味なんでしょうが」
「俺が至った理だ。簡単に言えば、この世は全て等価であり、不安も期待もどちらも同じ。未来視や星詠みを相手にしてもそうだ。己が信じる何かのために、今できる全てをもって精一杯足掻く。相手の想定を超えれば勝ち、超えられなければ負ける。そこまでいかなくとも、手強いと思わせれば交渉事に持ち込めるかもしれない。だが、最初から抗わねば確実に負ける。――つまり、誰が相手でもやることは変わらない、ということだ」
真門は、胡乱な視線を悠太に送る。
言っていることは理解できるが、人には感情がある。
例えば、期末テストの前。テストで良い点を取り、成績を上げれば良い大学に入ることが出来る、と理性では理解できる。しかし、実際に期末テストに向けて机に座れる人間は少ない。直前であればヤバいと一夜漬けなどをすることもあるが、中間テストが終わった後はどうだろうか?
まだ数ヶ月ある、と別のことを優先するのではないだろうか?
悠太の理屈は、数ヶ月後に期末テストがあるから、中間テスト直後でも勉強をしなければ、とテスト対策を優先するようなもの。
もちろん、合理的なのは悠太の理論だ。
だが、合理的を優先し、感情をないがしろにする者は、人間社会からはじき出される。
「……残念ながら、僕にはマネできません。今だって、何が起きるのかと不安で。少しでも気を抜くと手どころか身体中が震えてしまいます」
未来を知ることは、良いことばかりではない。
もしもこの瞬間に、明日大地震が起こると知ったら? 生き残る唯一の方法が、生き埋めになって三日後に救出されることだけだと、昨日の時点で知ってしまったら?
間違いなく、恐怖で身動きができなくなる。
生き埋めになるという孤独を嫌っても、他の道では必ず死ぬ。三日間の飢餓に耐えれば生き残れると知らされても、本当に助けが来るのかと必ず疑念を抱く。大地震が起こる前から、他の道を模索して消耗する。
だが、明日大地震が来ることを知らなければ?
生き埋めになってからの恐怖は変わらないが、前日から不安に押し潰されることはない。
未来視や星詠みとは、常に未来に対する恐怖を抱き、よりより未来を模索して消耗する者達のことなのだ。
「そうだな。それが人間で、それが正常なことだ。俺のようになる必要なんてないし、なっちゃいけないんだろう」
悠太は、己が人として外れていることを知っている。
人殺しだからでも、人斬りだからでも、剣を極めて剣聖になったから、己の理を知ったからでもない。
空を斬る以外を些事と斬り捨てられる自身の精神性が、人から外れていると知っている。
「ん、三〇分経った。見回り、行ってくる」
奥からトコトコと出てきて、トコトコと出ていく。
少しすると言い合いが聞こえ、人が外へと放り出される。
「機械のように正確に出てきたな。思った以上に勤勉というか、素直というか」
「素直はそうですが、勤勉とはちょっと違いますね。好きなことが関わると絶対に譲ろうとしませんし、学校をサボることにも躊躇がありませんので」
「なら、星詠みの指示に従うことが重要なことに分類されている、ということか? 俺としてもいたずらに逆らうつもりはないから理解できるが」
「それはありますね。星詠みの正しさは、天乃宮家の人間であれば誰でも知っているので」
外で騒ぎが起こる以外は、平和な時間が過ぎる。
列は順調に短くなり、昼時まで三〇分という頃には最後の一人が部室から出て行く。
「全員、さばけましたね。絶対に無理だと思ったのに……」
「昼が近いからというのが大きいと思うが、これで一息つける」
来場者のいない部室で、悠太は肩を回し、真門は机に寝そべる。
綾芽はまだ外にいる。普通ならば誰もいなくなった時点で中に入るが、見回り時間が終わっていないという理由から帰ってこないのだ。
「小隈家、というか天乃宮家の教育方針が気になるな。星詠みには絶対服従、とでも言い続けているのか?」
「まさか、そんなことは言いませんよ。綾芽が一般常識に欠けているのはその通りなので、倫理観やらなんやらを叩き込むのを優先していますが、指示に従っているのは自由意志です」
「一般常識に欠ける、の時点でどうかと思うぞ。まあ、そろそろ昼だ。戻ってきたら二人で何か食べてくるといい」
「ありがたいですが、それじゃ先輩が一人に」
続く言葉は、ドアの開く音に遮られた。
「戻った。あと、お客さん」
「もう、綾芽! 案内するなら最後までしなきゃダメだよ!」
トコトコと奥の部屋に入り、マニュアルを捨てて戻ってくる。
自分で連れてきたであろう来場者を放置しているのは、一般常識に欠けていると言われても仕方ないだろう。
「あのー、珍しい体験ができる、というのはここでいいのかしら? アスレチックのようなもの、と聞いていたのだけれど、何もないのね」
来場者を形容するなら――赤い女、だ。
赤みがかった黒髪と黒目。
頬や唇も常人よりも赤みが強く、長袖から除く指や手も赤みが強い。
服や帽子も赤を基調としており、カバンまでもが赤い。
「アスレチックなら、ここで間違いありませんよ。あそこに機械を使って仮想世界に意識お送り込みます」
「まあ、それは随分と、ハイテクなのね。人がいないようだけど、閉めてしまったの?」
「辺鄙な場所ですからね。昼食を優先した人が多いだけだと思いますよ。参加を希望するなら、どうぞあちらに」
「では、体験させてもらうわね。――まあ、難易度を選べるのね。まるでゲームのようだわ」
赤い女は薦められるままに操作をし、仮想世界へと入り込む。
悠太は、彼女の一挙手一投足から目を離せなかった。
言語化できない違和感のようなものを覚えたが、それが何であったかは分からなかった。
――天魔大学附属高校が、異界に呑まれたからだ。
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