あたしは誰?
人が滅多に通らない暗い路地を奥まで進むと、帽子の少女は小さな口を開いた。
「あたしが誰なのか、分かってるんでしょうね」
「ご自慢の未来視で、俺が答えた未来を視ればいいんじゃないか?」
文脈の繋がらない答え。
少女は小さく身震いをし、景品の入った袋を立てかける。
「未来視なんて、うさんくさい力の代名詞じゃない。あたしのことを詐欺師か何かだって言いたいの?」
「ゲーセンの前で俺を待っていただろう。真偽などそれで充分だ」
成美から逃げるために全力を尽くした悠太を、待ち伏せることは無理なのだ。
ゲームセンターに行くと決めたのはクラスメイトで、誘ったのもホームルームが終わってから。悠太でさえどこに行くかも分からない場所で待ち伏せていたのなら、方法はともかく効果は本物である。
「ふーん……つまり、あたしが天乃宮の関係者だって言いたいの?」
日本において、最も有名な未来視を保有するのは天乃宮家。
悠太自身、ゴールデンウィークでその力を体感している。また、少女が天乃宮家の一員であるなら、昨日、生徒会室で香織と会っていたことにも説明が付く。
「剣人会と天乃宮家との関係はあまり良くないから、それはない」
「あたしが剣を振るような野蛮人に見えるの?」
剣人会の会員には小学生もいる。
悠太も幼い頃に武仙に師事しているため、少女が剣人会のメンバーでも不思議ではない。
だが、少女の腕は剣を振るには細すぎた。
「俺を閣下と呼ぶのは、お前を含めて二人だけだ」
もう一人とは、剣人会の奥伝。
夏休みに悠太と戦い、二度も不意を突いた鏑木響也である。
彼と同じように閣下と呼んだのは、少女が剣人会――それも夏休みの一件に深く関わっていることを言外に伝えるため。
「観の目、だったかしら? 視野を広げるとかいう、よく分かんない境地」
「脳の使い方、認識の仕方に関する技術だ。主観を排した上で客観で世界を俯瞰する。だがより重要なのは、客観して得た情報をいかにして処理するか。腕が出るのはここだな」
「ふーん……じゃあ、推理ドラマとかでも犯人とかトリックが分かるとか?」
「ドラマや小説は主観の固まりだからな。情報の出し方がフェアな本格推理モノなら、慣れればある程度はいけるとは思うが――斬る方が早い、に思考が落ち着くから合わん」
「野蛮人の考えね。政治も理解するって聞いてたのに」
「好き嫌いと、出来る出来ないは別モノだからな」
剣人会では、高位の者ほど観の目を会得している。
周囲の状況をいち早く掴み、斬るべき対象を見定めることが出来ることは、剣を振る以上に重要なことだからだ。
「ところで、天乃宮じゃないならあたしは誰だと思うの?」
「初空家関係者」
魔導一種保有者、初空霊視官。
スクラップ破壊のために剣人会を動かした者である。
「踏み込みが浅いわね、それじゃ四〇点しかあげられないわ。――というか、本当はもっと深いところまで分かってるんでしょ? 空の目、とかいう目が剣聖閣下にはあるんだし」
「答えの重さは問いの重さに比例する。言葉遊びがしたい程度ならこれで充分だ」
名前とは、最も短い呪。
魔導師の心得の一つではあるが、魔導抜きにしても通じる理屈だ。
人の思考は名前に支配される。木の板の四隅に木の棒を付けたモノがあるとする。これの大きさを聞かれて、何を思うだろうか?
これに椅子と名付けられていれば、小さなものを。
これに机と名付けられていれば、椅子よりも大きなものを思い浮かべるだろう。
名前があるだけで、人の主観は縛られる。
「ふふふ、ふ、ふふ――試すはずが試されるだなんて、閣下は剣聖なのね。ここまで戦上手だとは思わなかったけど、いいわ」
威が解き放たれる。
「――あたしは誰?」
違えようのない神の力。
スクラップのような純粋な力ではなく、呪力混じりの不完全なモノ。
だが、一流の魔導師でも気圧されるほどに重い威があった。
「初空家の未来視にして、十二天将・天乙の襲名者。それが君が」
「九〇点。そこまで分かってるなら名前を言いなさい」
「知るわけないだろう、お前の名前なんて」
袋の中に手を突っ込み、大きなぬいぐるみの頭を鷲掴みすると、悠太に投げつけた。
悠太が危なげなくキャッチすると、すねに痛みを走った。
「なんで! 十二天将って分かって! 名前を知らないのよ!!」
「高校生が十二天将の名前を知ってるわけないだろう。特に天乙なんて機密の固まりだ。当代の襲名者が居ること自体、初めて知ったくらいだ」
「あんたは剣聖!! 知ろうと思えば十二天将の襲名状況も! 襲名者の個人情報もある程度手に入るでしょう! 特に名前なんて簡単に分かるわよ!!」
ゲシゲシ、ゲシゲシ、ゲシゲシ。
叫んだ後も、二分ほどすねを蹴り続けた。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ…………」
「年齢の割に体力がないな。何をするにも体力は必須だ。集中力はもちろん、持続力や睡眠にも影響がある。伝手があるようだし、剣人会でも頼ってエクササイズのが良いんじゃないか? 奥伝なら指導力も確かだぞ」
「奥伝を……、小間使いするわけ……、ないわよ……」
通学カバンから未開封のペットボトルを取り出し少女に渡す。
ゴクゴクと飲み、息を整えている間に、大きなぬいぐるみを袋に戻した。
「ありがとう。残ったのは……うぅ」
顔を赤くして小さく俯いた。
一度首を傾けてから、顔を赤くした理由を察した。
「間接キスを気にするくらいなら持って帰れ」
すねに蹴りを入れた。
「非力で痛くないから俺は気にしないが、お転婆は大概にした方がいいぞ? 感情に振り回される年頃なのは分かるが、暴力に晒された側からは恨みを買う。十二天将の神格を保有している以上、人格への影響は無視できない」
十二天将とは、神格を核とした魔導である。
戦略級に分類されるこの魔導を作り上げたのは、大陰陽師・安倍晴明。
現在、十二天将の襲名を取り仕切るのは、彼の子孫である陰陽宗家・土御門家。
素養のある魔導師ならば誰でも神格を使用できるのだが、襲名という形式を取る以上、名前の影響を受けてしまう。荒ぶる神格であれば暴力的に、邪悪とされた神格であれば悪辣に。そして、神である以上、人々からの信仰にも。
彼女は暴力的な人だ、と多くの人から認識されれば、神格は暴力的な性質を帯びてしまう。
「だったら人の精神を逆撫でするような……ううん、違うわね。あんたには煽る気はない。ただ見たままを評価して、相手の求めに応じてるだけ。あたしを試したのだって、あたしが試したから返しただけ」
観の目は、主観を排して客観で世界を観る技法。
そこから空の目に至るほどに観の目を極めのなら、その者の世界はどのようになるだろうか?
「気に食わないわ、その目」
「死んだ魚とか、枯れてるとか、そう言いたいのか?」
「歴代の未来視と同じで、自分がないところが気に食わないわ」
観の目を極めることが難しいのは、主観を排することが出来ないからだ。
主観とは自己であり、自身という人格そのものだ。コレを排するとはつまり、自己を殺すことである。
「自分がないとは、随分な言いようだな。俺には空を斬るという目的があるし、その目的のために気付けば剣聖になった。とても自分がないとは言えないだろう」
「目的以外はどうでも良いタイプでしょう? そこ以外に自分がないから、鏡みたいに相手に合わせた対応ができる。違う?」
色即是空。
この世の全てが空虚であるのなら、自身も他人も同じく空虚である。
自身と他人が空虚ならば、この世の全ては等価である。
これこそが、悠太の至った理である。
「なら、未来視と同じとは? 俺には未来なんて見えないぞ」
「あんたが今しか観てないなら、未来視は未来しか視てないの。そこに自分なんてあったら邪魔でしょう? ほら、同じじゃない」
理とは自分だけのものであり、人に理解されないモノ。
それを言い当てられる者がいるとしたら、その者は似た理を持っている証拠に他ならない。
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