月の宮へ
蒼が会合に出て来なくなって数ヶ月、会合の内容は上位の宮の王達が持ち回りで蒼と交流がてら月の宮へ行くのが恒例となっていた。
今回は志心が来たのだが、その時にどうしてもと言われて、誓心も共に来た。
蒼もそれは断れないので、受け入れることにした。
誓心は、それは嬉しげに宮の到着口に降り立った。
「ここはなんと清浄で心地良い地であることか、蒼殿。身が内側から洗われるようよ。」
蒼は、苦笑した。
「よく来られた、誓心殿。」と、志心を見た。「志心様、わざわざありがとうございます。」
志心は、呆れたように微笑して頷いた。
「無理を申してすまぬな、蒼。これがどうしてもと申すから。匡儀や彰炎、宇洲は来たことがあろう?なのに己はないからと。」
誓心が、隣りで膨れっ面になった。
「宇洲がやたらと自慢げに申すのだ。もちろん、あれはそんなつもりはない体で、愚痴るようにあの桃源郷に娘をやりたいのになかなか娶ってくれぬ、我は何度も足を運ばねばならぬのだとか言うて。己が行きたいからそれを口実に行っておるくせに。」
蒼は、それが出来ないようになった今はどうしているのだろうと思った。もう、攻めるとかそんなことは考えていないだろうが、それでもかなり意気消沈していると思えた。
何しろ、月に2、3回は来ていたのだ。
「ここは遊戯場ではない。主もあまり行って来たとか申すでないぞ。我も我もと駿やら炎嘉やらに言うてこちらへ来ようとするやもしれぬではないか。蒼が何のために宮を閉じたと思うておるのだ。」
誓心は、叱られた子供のようにしゅんとした。
「分かっておる。」
蒼は、そんな様が少し、可哀そうに思って、言った。
「では、オレは今から志心様に会合のご報告を受けるので、誓心殿には軍神に案内をさせようか。宮を見て回りたいのだろう?」
誓心は、パッと明るい顔をすると、頷く。
「誠か。ならば見て参りたい。志心は、蒼に報告したらすぐ帰るとか申すし。」
蒼は、あちらの神達は皆、素直に顔に感情が出るな、と思いながら、傍に控える嘉韻に頷き掛けた。嘉韻は、頭を下げて、誓心を見た。
「では誓心様。こちらへ。我がご案内を。」
誓心は、嘉韻の顔を見てハッとしたような顔をして、それから重々しく見えるように頷いた。そして、嘉韻について、宮の中を歩いて行った。
志心が、それを見送って、うーんと顔をしかめる。
蒼は、気になって志心を見た。
「志心様?どうかなさいましたか。」
志心は、蒼を見て片眉をあげると、また誓心が去った方向を見た。
「…我と誓心がああいう仲であると聞いておるか。」
蒼は、いきなりだったので驚いて、ドギマギしながらもなんとか頷いた。
「はい…あの、あちらも両刀であられるとか。」
志心は、頷く。
「そう。だがの、あちらから寄って来て我がどっちでも良いからと受けておるだけであったのだが、最近ではあれも飽きて来て、もうそんな仲ではないのだ。あれは、ああいう仲にも愛情を求めるヤツで、我はそこまでは無理であるからな。で、あれは主にも興味を持っておった。主のような穏やかな神が好きな奴で、維心や炎嘉のようなガツガツ戦いそうな男は好みでないのだ。」
蒼は、仰天してドン引きした。誓心は、自分が好みなのか。
「そ、そ、それは…その、オレは妃が居ないとはいえ、そっちには興味がなくて…。」
「知っておる。」志心はあっさり言った。「だから我が相手をしておる間だけでも気を反らせたらと思うておったのだ。此度も本当は連れて来たくはなかったが、言い出したら聞かぬ奴で。仕方なく連れて参ったのだが…。」
志心は、そこで言葉を止めて、もはや姿が見えない誓心を、探すように去った方向を見た。蒼は、段々不安になって来て、志心にせっつくように言った。
「連れて参ったのだが、何ですか?まだオレですか?」
志心は、ちょっと考えてから、首を振った。
「いや…違うようよ。」
蒼は、はあ、と肩の力を抜いた。良かった。
だが、志心は続けた。
「嘉韻に興味を持ったようよ。」
蒼は、固まった。嘉韻?!
「え、え、嘉韻ですか?!」
志心は、また頷く。
「あれは確かに美しい顔立ちであるし、軍神であるから顔付きも鋭いのだが、月の宮に長く住むゆえ気が穏やかなのだ。もしかしたら襲われるのではないかと少し、案じて見ておった。」
先に言ってよ!
蒼は思って、うろたえた。
「嘉韻だって両刀じゃないんです、息子も居るし!今じゃ仏のようにそっちの方には興味が無くて、性欲なんかないんじゃないでしょうか。そんな嘉韻になんて、困るんですけど!」
志心は、神妙な顔をしながらも、足を宮の中へと向けた。
「まあ襲われたとて嘉韻なら逃げるわ。あれが嘉韻に敵うはずがあるまいが。」
だからって襲われるなんてあまりにも哀れじゃないか。
「律!」蒼は、叫んだ。「簾!」
すると、蒼が悲壮な声で呼んだので、慌てて二人がやって来て蒼の前に膝をついた。
「王。どうなさいましたか?」
「あの、嘉韻が誓心殿という大陸の獅子の王を案内して行ったんだが、ちょっと問題があって。主らも共につけと言われたと言って、常に傍に居て目を光らせておけ。」
蒼が言うと、律と簾は顔を見合わせた。長くさすらっていたので見た目は武骨な二人だが、とても優秀な軍神だった。
「…訳をお聞きしておいてもよろしいでしょうか。」
何かあった時の対応を先に考えておける。
二人がそう思っているのは分かった。蒼は、どうしようかと迷う顔をしたが、志心が横から言った。
「あれが両刀で、嘉韻を襲うかもしれぬからよ。」二人が仰天した顔をした。「主らが見ておったら何もなかろう。いくら何でも他の軍神の前でそんな狼藉は働かぬと思うしな。嘉韻なら突っ撥ねようが、それでも嫌な思いをするには変わりない。主ら、傍に居てやると良い。」
蒼が、うんうんと思い詰めた様子で頷くのを見て、二人は慌てて頭を下げた。
「は!」
そうして、戸惑いながらもその場を嘉韻の気配を探って去って行った。
蒼は、どうしてそんなことまで気を遣わねばならないんだよ、と思ったが、自分が連れて来て良いと言ってしまったのだから仕方がない。
諦めて、志心と共に応接間へと歩いたのだった。
志心に報告を受けている間も、蒼は頭の片隅で、せいと嘉韻を見ていた。二人は律と廉が真後ろに控えている目の前で、あちこち歩き回って、嘉韻がいちいち説明をしたりしている。
誓心が嘉韻との間合いを詰めようとしても、嘉韻は上手く間合いを取って一定距離を保って歩いていた。さりげなくはしているが、あれで嘉韻は、相手の性癖を見抜いているのかもしれない。
心ここにあらずな蒼への報告を終えて、志心がため息をついた。
「…気になるか。」
蒼は、ハッと志心を見た。
「はい…申し訳ありません。嘉韻はオレの大事な筆頭軍神なので、気になって仕方がないんです。」
志心は、頷く。
「当然よ。我はもう帰るゆえ、あれも連れて参るから。案ずるでないぞ。」
すると、そこへ嘉翔が入ってきて膝をついた。
「王。結界外にレオニート様がいらしておりますが。」
蒼は、顔をしかめた。
「また?断ったはずだがな。」
志心が、眉を上げた。
「レオニート?初めて聞く名前だの。」
蒼は、渋い顔で頷く。
「毎日毎日書状が来るんですよ。北の大陸で、ドラゴンの領地近くに城を構える王で。ヴェネジクト殿に聞いてみると、北の中でもアルファンス殿やイゴール殿より力があり、そこそこの大きさの領地がありドラゴンとしても油断の出来ない相手なのだとか。戦の時は父王であったのが、今は代替わりしてレオニートになっておるらしいのですが、娘のアンゲリーナを娶れとそれはうるさくて。何度も断っているし、宮を閉じて誰も入れぬと言っているのに、話がしたいとしつこいのですよ。つい一週間前も、何の知らせも無くいきなりに来たので、嘉韻に追い返させたのですが。」
志心は、顔をしかめた。
「それは恐らく、主と近付きたいと思うておるのだな。月の宮は、あちらから見たら初めて知る神以外の統治する宮で、神世の桃源郷だと噂されておる。寿命も伸びるほどの清浄な気で、病も立ち処に治るのだと。だが…それほどに力のある城の王が、主と近付きたいとは穏やかでないの。あちらからしたら面倒なことであろうて。ヴェネジクトは言うておらなんだか?」
蒼は、首を振った。
「何も。ただ、あまりにしつこいならこちらから圧力を掛けるゆえ申せ、とだけ返ってきました。」
志心は、考え込む顔をしてから、立ち上がった。
「ならば我が。一度話して参ろう。主はここで待つが良い。嘉翔、案内を。」
嘉翔は、蒼に問い掛ける視線を投げた。
蒼は頷き、嘉翔は志心を連れて、結界外へと出て行ったのだった。




