そのまま
侍女からは、維月が部屋でウトウトとしている、と報告を受けた。起こして参りましょうかと聞く侍女に、我が行く、と答えて、維心はそちらへ足を向けた。
普通の宮の侍女なら、有無を言わさず起こして王がお呼びです、と妃を連れて来るのだが、ここでは維心が維月が忙しくしていたり、眠って居たら起こすなと言ってあるので、こうして報告に来るのだ。
維心が維月の部屋へと入って行くと、維月は窓辺で、歌を書こうと必死に悩んでいたようだった。
窓枠に腰かけて、筆を握り締めたまま、窓にもたれてスースー寝息を立てている。
そもそもが、こんな所に押し込まれているのが嫌で、何事も窮屈なのを嫌う維月が、こうしてきっちりと着物を着付け、髪を結い上げてウトウトしているなんて、胸が掴まれるようで、維心は維月を寝台で寝かせてやろうと、そっと維月を抱き上げた。
カランとその手から筆が抜け落ちて床へと落ち、維月はハッと目を開いた。
「…維心様?」
維心は、維月を抱いて運びながら、微笑んだ。
「疲れて居るのだろう。少し休めば良いぞ。」
維月は、首を振った。
「いえ、私は大丈夫ですわ。あの、お呼びでしたか?申し訳ありませぬ。」
維心は、維月を寝台へと下して、じっとその目を見つめて、言った。
「維月。我はの、主が主らしくあって欲しいのだ。申したではないか。主が主であるのを愛しておると。淑やかでおとなしやかな女なら、神世に山ほど居る。そんな人形のような女などには興味はない。我は2千年もの間、そんな女に興味を示して来なかったのだぞ?主が無理をしておるのを見るのは心が痛む。我は主を箱に籠めようと思うておるのではない。」
維月は、維心を見上げた。
「でも…こうしておらぬと、安心出来ずで。私は維心様のお気持ちを失いたくないのですわ。他と比べて遜色のない様にならねばと…。」
維心は、維月の頭を撫でて、頷いた。
「分かっておる。だがの、我はそのままの主を愛しておるのだ。このような窮屈な思いをしている主を見るのはつらくてならぬ。主は我を苦しめたいか。幸福に過ごしておったのではないか。我らはお互い良いように暮らしておったのに、このような…反って戸惑うわ。」
維月は、しゅんとした。
「はい…維心様。」
維心は、これはこれで一生懸命なのが愛おしいし、自分のためにと励んでくれるのは嬉しくてかわいくてならなかったのだが、維月がつらいのは自分もつらかった。
なので、その髪の簪を抜いた。
「さあ、いつもの姿に。我は飾らぬ主も好ましい。こうして化粧をしておったら紅が着くゆえ口づけるのも気を遣うしの。白粉も我の着物に着くゆえ、よう考えたらいつものままが良い。」
維月は、維心が簪を抜いて髪を解くのを見上げた。維心の目は、少し寂し気だった。維月がどう言ったら自分の気持ちを分かってくれるのかと、維心の心が手に取るようにその触れる手から感じられた。
維月は、その髪に触れる維心の手に触れ、頬に押し当てた。そして、じっとその手を感じて目を閉じてすりすりと頬を摺り寄せた。
「維月?」
維心が言うのに、維月は答えた。
「…維心様が、今、私を愛してくださっておるのは分かっておりますの。だからこそ幸福であるので、それが崩れる未来が不安で仕方がなくなりました。でも、分かりましたわ。未来がどうなろうとも、維心様が望まれるように、私は私のまま、今の幸福を信じて生きてみまするわ。」
維心は、微笑んで頷くと、脇の桶を持って来て、その桶の中の湯に布を漬けると、それを絞って維月の頬を優しく拭いた。維月は、驚いてその布を掴んだ。
「まあ、王がそのようなことをなさっては。私が化粧を落としますから。」
維心は、首を振って維月の手から布を取ると、また布を洗って絞り、維月の頬に触れた。
「我が落とす。維月よ、我はの、主の世話をするということが楽しくてならぬのだ。主が楽しげにしておる様が一番に見たいのよ。そのように我に、気を遣うでない。いつものように、我に文句を言うても良いから。」
維月は、涙ぐんだ。維心は、どこまでも維月を気遣ってくれている。だからこそ愛しているし、数百年も共に来たのに。
維月は、もう一度未来を信じてみよう、と思った。
「愛しておりますわ。」
維心は、微笑んで頷いた。
「知っておる。我もぞ。」
二人は、微笑み合ってその後は、維月が苦労して詠んだ歌を添削してもらったりしながら、楽しく過ごしたのだった。
そうやって宮が通常通りに回り始めた頃、蒼が龍の宮へとやって来た。
以前はよくこうやって来てはいろいろ維心に助言を求めたものだったが、最近では珍しい。維心と維月が並んで居間で迎えると、蒼は言った。
「維心様。お忙しいのにお時間を取って頂き、ありがとうございます。」
維心は、答えた。
「良い。珍しいの、蒼よ。何かあったか。」
蒼は、頷いて前の椅子へと座る。そして、言った。
「実は…あの、大会合の日からこっち、縁談はさすがに無くなりましたが、月の宮を訪問したいと言う神が増えて参って。月見の宴にしろ何にしろ、客を呼ぶにしても島の神達だけにしておったのですが、どこから聞くのかそれを聞き付けて、自分も来たいと申し入れて来る神が多くなりました。こちらとしては内輪だけなのでと毎回断るのですが、正月の挨拶にもいきなり来たりするのです。月の宮は外からの神を基本、入れないので、正月などもこちらへご挨拶に出ていてオレも居ないし、留守を預かる軍神達が追い返しているのですが、オレが帰るまで結界外で待っている神まで居て。何を言われても簡単には中に入れないスタンスは守ろうと思い、結界外で話して帰したりしているのですが、もう疲れて来て。」
維心は、顔をしかめた。桃源郷か。
「…恐らく桃源郷と言われておる月の宮に、行ってみたいと観光気分なのだろうて。そういえば宇州があしげく通うとか。」
蒼は、困ったように頷く。
「宇州殿とは顔見知りですし、来たら追い返す事は出来ませんしね。一度は瑤子殿を預かっていたので、宇州殿を招き入れておりますから。でも、毎回皇女達を連れて来て、ほんとにしつこいんです。確かに皆美しいし出来た皇女達なんですけど、オレは静かに暮らしたいんで。」
維心は、答えた。
「それも断れば良いのよ。数回に一回ぐらい受けるようにせよ。毎回受けておったらあやつの良い遊び場にされてしまおうぞ。それとも、月の宮を閉じるか?我らだけ行き来出来たら問題はないしの。そもそもあそこは神世であって神世ではない。ゆえに桃源郷と呼ばれるのであるからな。」
蒼は、じっと維心を見た。
「良いでしょうか?また月の宮は何か良くない事を考えている、とか噂されないでしょうか。最近では周辺の宮から皇女が軍神に嫁いで来たりしているし、閉じたら誰も来られなくなるので案じておって。最近出入りが激しいので十六夜と見張るのが面倒だって話してて。」
維心は、頷いた。
「良い。宮の方針は王が決めたら良いのだからの。主はどうしたいのだ。」
蒼は、首を傾げた。
「…維心様や炎嘉様、焔様、駿、志心様など島の上位の神はいつでも来てくだされば良いのですけど、他は断りたいです。以前のように、時々誰かが訪ねて来るような落ち着いた静かな宮に戻したい。」
維心は、何度も頷いた。
「それが良い。そうせよ。軍神に嫁いだ皇女だとて、家族に会いたければ結界を出て会いに参れば良いのだしの。あちらが来るのが問題なのだ。前のように、滅多に誰も入れぬ宮にするが良い。我が宮がそれをしたら神世が立ち行かなくなるので出来ぬから、羨ましい限りよ。」
蒼は、苦笑した。
「ですがこちらは入る時にかなり厳しい精査をされるし、入宮規制されているから数も決められておりますでしょう。礼儀を弁えなければ斬られてしまうし。下位の宮には敷居が高いのではありませんか。」
維心は、それには当然と頷いた。
「我の膝元へ参るのだからの。当然だと思うておる。それでも毎日あの数であるから、もういっそ宮を閉じたい心地ぞ。」
出来ないけど。
維月は、隣で思っていた。龍の宮に陳情に来る宮は、それこそ万策尽きてもう、頼るのはここしかないと決死の覚悟で来る者達が多い。それを知っているので、維心も助け合い精神の島に君臨している神として、それが出来ないのだ。
裏を返せばそれだけ困っている宮が多いということにもなるのだが。
蒼は、ホッとしたように頭を下げた。
「では、近いうちに宮を閉じると布告致します。本日はありがとうございました。」
維心は、頷いた。
「良い。いつなり参るが良いぞ。」
そうして、月の宮は宮を閉じ、蒼は会合にもなかなか出て来なくなったのだった。




