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心の誠

碧黎は、維月が呼べばすぐに来る。

今は、特に維月が地の陰も兼ねるようになって、地上の気も落ち着いているので、碧黎はおっとりとしていた。維月が、つれつれとたわいもない事を話すのにも、穏やかに相槌を打ち、イライラすることもなく聞いていた。

「…なので、分からないのですわ。」維月は、碧黎と共に庭の北の滝の前で座って言った。「他の殿方の事は知りませんの。きっと陰の月の気のせいで寄って来られるのだと思うから。ですけれど、維心様は違いますでしょう?私がまだ、陰の月として未熟な時から想うておられたと仰った。確かに、とてもよく助けてくださいましたし、そんな筋では無かったのは今、神世をよう知るようになって分かりますわ。今はこのようですけれど、始めは何も分からないし、礼儀も言葉使いも何もできなかった私を、いちいち一から教えて育ててくださった。今生では書だけでなく琴も御自らお教えくださいましたの。お忙しいのに…最初から知っておる皇女であれば、そんなことをせずとも共に楽を楽しめたのだと思うのですわ。誠に手間が掛かるのに…しかも、結構面倒な事を申すのに、いつまでも私だけを想うてくださって…そのお心の疑っておるのではないのですけれど、不思議なのですわ。」

碧黎は、維月の頭を撫でながら、答えた。

「そうであるな…どう説明したら良いのかの。維心の心地がもし我と同じだ申すなら参考になるであろうか。我だって、主が愛おしい。手が掛かって面倒なのは確かにその通りよ。だが、その面倒が心地よい。主が言うのなら、何でもしてやりたい心地であるから苦ではない。愛しておるので全てが許せるのだ。その、愛しておるのがなぜかと聞かれたら…この気持ちは…理屈ではない。何であろうか…それは最初から好意はあるのだ。我の場合は己が生みだした命であったしな。だが、始めはここまでではなかった。共に過ごして来た時の中で、主と接して段々とその想いが強くなって参って、ある時、己が魂から主を求めておることを知ったのだ。そして、それこそが愛するということであり、抗えぬことなのだと悟った。だからこそ、我は主と命を繋ぐと決め、主を命の限り愛して行こうと思うた。それにより主以外を対には選ばぬと、子すら成さぬと決めた。我の生でこれと決めたもの、ここから先変えようなどとは思わぬ。我は不死であるし、この長い生の上で何かを決めてしまうのは大変に重いことなのだ。だが、我はそれほどに主を愛しておるということぞ。」

維月は、ポッと赤くなった。そこまで言ってもらうのは嬉しい事だけれど、そんな大したものではないのに…。

「…とても嬉しいのですけれど。」維月は、おずおずと言った。「どうしてそこまで私を、と思うてしまうのですわ。私は自分を知っておりますけれど、そんな良いものではなくて。十六夜と息抜きに走り回ったり未だにしますし…自分勝手なところもあると思うのですわ。段々にとか魂からとか、なんだか私はまだ未熟で分からなくて。いつかフッと全てを失うのではないかって、時に不安になりますの。だって、どこが気に入ってくださっているのか分かっておったらそこを努力すれば良いのですけれど、曖昧だとどうしたら良いのか分からないのですもの。いつか、嫌われてしまうのではないかと思うてしまいますわ。」

維月がいじけたように言うのに、碧黎は微笑んで抱き寄せた。

「そのように。維月、主を嫌うなどあるはずはないではないか。我も維心も、決めるまでに長い時が必要だった。だが、これと決めたらそれだけぞ。それ以外など考えもせぬ。他の選択肢が無い。主が我らの幸福であり、失くす事など出来ぬのだ。ゆえに、主はそのように案じることは無いのだ。」

碧黎はそう言うが、それでも維月はハッキリとした答えが得られなくて、不安は解消されなかった。自分のことを良く知っているからこそ、不安になるのだ。十六夜は生まれた時から一緒で一緒に育ったし離れるなどあり得ないと思っていたので、そんな不安のない相手で、とても楽だった。

維月は、ふうと深いため息を付きながら、碧黎の胸に顔をうずめて考え込んでいた。

碧黎は、維月が納得していないのを感じて苦笑したが、どう説明したら良いのかも分からなかったので、そのまま維月が離れるまでじっと抱きしめてそこに、座っていたのだった。


そうやって時々に十六夜も降りてきて一週間、維心が政務を片付けて月の宮へやって来た。

相変わらず二人は何年離れていたのかというほどガッツリと抱擁し、再会を喜び合う。

蒼は、出迎えに出ていて毎回思う…もう数百年にもなるのによく飽きないな、と。

十六夜は相変わらずで気が向かないと月から降りて来ないので、そこには来ていなかった。

維心は、ひとしきり維月と抱き合って気が済んだのか、蒼を見た。

「蒼。断りの書状は送ったか?」

蒼は、頷いて答えた。

「はい。おっしゃる通りに書いて送ったら、それぞれが押し付けがましく申して申し訳ない、と下から目線で返答が来ました。やはり、嫌なら嫌とハッキリさせねばならないのですね。」

維心は、満足そうに頷いた。

「その通りよ。こちらも同じように落ち着いた。縁談などこちらから言わぬのに押し付けるべきではないのだ。」と、維月を見た。「我には維月が居るのに、他など霞んで皆石ぐらいにしか見えぬわ。」

それを聞いて、維月は困ったような顔をした。碧黎と話してもまだ納得していなかった維月だったので、維心にいくら誉めてもらっても、どの辺りがどう気に入っているのか話してくれないことには素直に喜べないのだ。

維心は、それを機嫌が悪くなったのかと勘違いして、慌てて言った。

「維月、縁談など気にするでないぞ。我は約した事は違えぬだろう?案じることはないのだ。」

また、他を娶る事を想像でもしたのだろうか。

維心は、そう思ったのだ。

しかし、維月は寂しげに頷いた。

「はい…。あの、維心様をお疑いしておる事などございませぬ。」

しかし、どうも暗い。

維心には訳が分からなかったので、蒼を見た。蒼も、何が維月の懸念になっているのか、分かるはずもない。何より今、維心が来てそれは嬉しそうに抱き合っていたのだ。維心が何かしたなどあるはずもない。

なので、困惑した顔で維心を見返した。

維心は、蒼も知らぬのかととにかく維月の手を取った。

「さあ、そのように浮かぬ顔をするでない。我が来たのだぞ?庭にでも出るか。」

維月は、それにも気のない返事をした。

「はい、維心様。」

維心はまた蒼と顔を見合せたが、仕方なく沈む維月を連れて、北の庭へと出て行った。


北の庭へ出ると、いつもながら奥の滝の前まで歩いた。

そこまで維心と仲良く話して少し元気になってきていた維月だったが、そこへ到着した時、碧黎とそこで話した事を思い出し、また暗い顔になった。

維心は、さすがに話を聞かねばと、言った。

「いったいどうしたのだ、維月?我が来て嬉しゅうないのか。」

維月は、首を振った。

「維心様がいらしてくださって、大変に嬉しいですわ。でも…あの、維心様。お聞きしたい事がございます。」

維心は、ゴクリと唾を飲み込んだ。いったいなんだ…まさか、何か嘘の噂でも聞き付けて、気に病んでおるのだろうか。

とにかく、自分にはやましい事など何もなかったのだが、維月が何を聞いてどう感じたのかまで分からない。

なので、俄に緊張した顔になった。

「何ぞ。申せ。」

維月は、維心の懸念など気付かずに、維心を思い詰めたような顔で見上げて、言った。

「あの、父にも聞いてみたのですわ。でも、納得出来ずで。私は、具体的な話が聞きたかったのですわ。」

何の話だ。

維心は、眉を寄せて考えた。碧黎に聞いたのにその答えに納得出来なかったのに、我にその答えを求めるなど敷居が高過ぎるのではないのか。

維心は思ったが、とにかく聞いてみないことには分からない。

なので、言った。

「我に答えが出せるか分からぬが、申してみよ。」

維月は、頷く。そして、思い切ったように言った。

「維心様は、いったい私のどこをそれほどに愛してくださっておるのですか?」維心の目は、点になった。維月は続けた。「父は自分の気持ちと同じだとしたら、接している間に段々と想うようになり、ある時愛しているのだと気付いたとおっしゃって。理屈ではないので、なぜ愛しているのかと聞かれても分からぬと。私は、納得出来ぬのでございます。」

維心は、絶句した。なぜ、どこを愛していると。…そんなもの、とにかく全てが愛おしいのにどこと決められるものではない。

碧黎の言う通り、理屈ではないのだ。

維心が黙っているので、維月は続けた。

「私など、縁談に来たあの皇女達の絵姿より美しいわけではありませぬし、淑やかでもないし、何もかも維心様に教えて頂いた。あの皇女達なら最初から知っておるようなことまで、維心様は私に教えねばなりませんでした。それに、宮でもうろうろしますし、里では未だに十六夜と駆け回っておるし、妃も複数なんて嫌だと無理も申します。従順でもないし、変わった女が好きだとしても、それなら椿だって前世の母で私と似たような性質ですし。それでも私だけをそんなに愛してくださるなんて、幸運以外の何だと言うのでしょう。どこが気に入っていると言うてくださったら努力も致しますし、まだ安心も出来ますものを。ただ愛しているから愛している、と言われても、運任せでこれからも続く事を祈り、いつか嫌われてしまうかもと怯えながら不安に過ごさねばならないのかと…。」

維月は、そこまで話して、ポロポロと涙をこぼした。維心は、呆然としていたのだが、それを見て慌てて維月を抱き寄せた。

「何をそのように嘆くのだ。我が気持ちを変えると申すか。前世から何百年共に来たのだ。その間に、主への気持ちが無くなった事などない。離縁だと騒いだ時ですら、我は主を愛しておった。それが今さらに変わると申すか。」

維月は、恨めし気に維心を見上げた。

「いつもそのように申してお茶を濁してしまわれるのですわ。格別にここだと言えるところがないからではありませぬか?」

維心は、ため息をついた。そう思われても仕方がないが、本当に全てが愛おしくてどこをと言えぬのに。

「…ならば、我も共に考えよう。主が納得できるまでの。時はある。」

維心は、遠い目をして話し始めた。

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