宴の席2
維月がそうやって懐かしくヴェネジクトを眺めているのを、維心が目ざとく気取って、スッと自分の背でそれを隠すと、小声で言った。
「似ておるからとそのように見つめるでない。あやつが気取ったらどうする。」
維月は、ムッとした。ただ懐かしんでいるだけなのに。
「…お懐かしい事と思いましただけでございますわ。お孫様であられるのですし。あちらは我などご存知ありませぬし、ご興味もおありにならないかと。」
維月は、誰が聞いているか分からないので、そうやって答えた。すると、やはり耳が良い神の王達が、一斉にこちらを向いた。その中には、ヴェネジクトも居た。
維心は、しまった、という顔をしたが、もう遅かった。
「…維心殿の正妃であられるか。」
ヴェネジクトが、維心に言う。維心は、断固とした様子で頷く。
「そう、我の正妃の維月よ。ゆえに、あまり見るでない。」
それには、炎嘉が嫌なものを見るような顔をした。
「またか。見せたくないなら宴に出すでないわ。どうせ新しい着物を着せたのを我らに見せたいとかで連れて参っておるのだろうが。ま、美しいがの。深紅がよう似合っておるわ。」
維月は、炎嘉に思わず微笑んだ。
「ありがとうございます。」
炎嘉は、スッと維月の手を取った。
「主は素直で良い。」
維心が、その手を叩いた。
「触れるでない!」と、維月を後ろへ押した。「もう帰すわ。油断も隙も無いしの!」
維月は、困ったように扇の裏で顔をしかめた。本当にやりたい放題なんだから…。
すると、ヴェネジクトが、横を向いた。
急に顔をしかめたので、どうしたのかと隣りに居た紫翠が気遣わし気に問うた。
「ヴェネジクト殿?いかが致した。」
ヴェネジクトは、難しい顔で言った。
「…どうもこちらの酒が合わぬようよ。」と、杯を置いた。「我らあちらの果物を発酵させた酒しか普段は飲まぬゆえ。先ほどから胸の具合がおかしくて。米の酒が合わぬかの。旨いのに。」
紫翠は、ヴェネジクトに手を貸した。
「それはならぬ。我もあまりそちらの酒が合わぬので、そうやもしれぬな。ならば治癒の対へ行けば、良い薬草をくれるので、我が案内しようぞ。」
ヴェネジクトは、もう腰を上げている紫翠に、感謝しながら自分も立ち上がった。
「すまぬの。では、少し席を外させて頂こう。」
焔が、案じて言った。
「大丈夫か?酒はのう、種類を変えると結構回るからの。我も酒は決めたらそれだけを飲むのだ。戻って参るなら維心に果実酒を準備させておくがな。」
ヴェネジクトは、苦笑した。
「気を遣わせてすまぬな、焔殿。だが、このまま控えへ参ろうかと思う。せっかくの席に、これ以上気を遣わせるわけには行かぬ。」
そうして、この宮には詳しい紫翠に案内され、ヴェネジクトは席を辞して行った。
炎嘉が、じとっとした目で維心を見た。
「主が維月維月申すから、気分が悪うなったのではないのか。主の悪いところぞ、そこは。公の場では少し遠慮せぬか。まして、本日はいつもは居らぬ神が居る場ぞ。我らは分かっておるが、他の神には奇妙に見えるのだぞ?気を付けよ。」
維月も、それは思った。酒が入ると更にこうなるので、維心が帰れと言うのなら早く部屋へ帰りたい。
だが、維心は横を向いた。
「うるさい。我は我の良いようにする。」
維月は、それにはさすがにまた、ムッとした。いくら王は我がままでも良いからって…!
維月は、扇をスッと下へとずらすと、皇女達からは見えないように、キッと維心を睨みつけた。少しやり過ぎだ、と思ったからだ。いくら酒の席で無礼講だとは言っても、今日のはやり過ぎだ。
維心にも見えたが、炎嘉からもそれはばっちり見えていたので、一瞬、息を飲んで、黙った。
維心も、最近は、特に地の時は穏やかでこんな目で見ることがなかった維月が、本気で怒っている時の目を見て、凍り付いたように固まった。まずい、と心底感じたのだ。
「…維月、我は…、」
維心が言い訳をしようとすると、維月は維心に深々と頭を下げた。
「では、王。もう戻るようにとのことですので、我はこれで…。」
確かに維心はさっき、維月をもう帰す、と炎嘉に言ってしまっていた。
侍女達が、わらわらと寄って来る。
維心は、首を振った。
「まだ帰らぬで良い。先ほどは言うてみただけぞ。維月、話を聞かぬか。」
しかし、維月はそれは穏やかに言った。
「我が居ってはお話も進まぬかと。そのようにお気を遣わせてしまっては、心苦しいのでございます。どうぞ皆様と、ごゆっくりご歓談くださいませ。」
そう言って、踵を返すとそこを、しずしずと退出して行く。
維心は止めようとしたが、炎嘉がそれを後ろから袖を引いて止め、声を潜めて言った。
「やめよ。更に恐ろしい事になるぞ。この場で皆の面前で罵倒されて良いのか。あれはやるぞ。やる目であった。」
思い出したのか、炎嘉は身震いした。維心は、それでも維月を怒らせたままなので、そちらが気になって仕方がない。
しかし、宴の席を放り出して戻ったとなると、更に維月を怒らせるかもしれない。
維心が仕方なく崩れるように席へと座り込むと、炎嘉が慰めるように言った。
「ま、飲め。帰ったら大変であろうし。とにかく今は飲んで、あれは忘れよ。誠恐ろしい思いをしたわ。我も久方振りに身が凍る思いをしたわ。」
維心は、呆然と炎嘉に酒を注がれながら、自動的に酒を飲む機械のようにそこに座っていた。
皆が何を話していても、頭に入って来なかった。
維月はと言うと、別にカンカンに怒っているわけではなかった。
なので、退出出来てスッキリして、むしろ前より機嫌が良かった。
外宮と繋がる大回廊を歩いていると、かなり向こうに紫翠とヴェネジクトが並んで歩いて行くのが見えた。
維月は、声を掛けるにも遠いのであきらめてそれを見つめながら歩いていると、あちらの二人が気配を気取ったのか、こちらを振り返った。
そして、何を思ったのか、立ち止まって維月が来るのを待つ素振りをした。
維月は、もしや待たれている?と思い、それでも衣装のせいで自由が利かないので、ゆっくり歩いてその側まで来た。
すると、ヴェネジクトが言った。
「維月殿。先ほどは失礼した。まさか龍王殿があのような反応をするとは思いもよらず、振り返ってしもうて。」
維月は、やはり気を遣わせてしまったのだ、と慌てて答えた。
「王はあのようにおっしゃいましたが、お気になさらずに。そちらの紫翠様にも、この宮で赤子の頃にお世話したことがございますのに、今となっては同じように申されますの。」
それを聞いて、紫翠とヴェネジクトは視線を交わす。
どうやら、先に紫翠が同じ事をヴェネジクトに言っていたようだった。
「…維心殿にはこのようにいつまでも若く美しい妃であられる維月殿を側に置いておるので、案じられてならぬのでしょう。我にもその心地は分かるつもりでおりまする。」
紫翠が言うのに、維月は扇の下で微笑んだ。
「紫翠様にはこのようにご立派にお育ちなのですから。王はご心配なさるのでしょうね。」
ヴェネジクトは、じっと維月を見ていたが、言った。
「…その珍しい気は月のものとは違うような。龍王妃殿は月だと聞いておるのに、不思議なことよ。」
維月は、それに微笑んだまま答えた。
「ただ今は地の陰でありまするの。事情がございまして、月と地を行ったり来たりしてどちらも我でございます。」
ヴェネジクトは、驚いた顔をした。
「…そうなのか。」と、回廊の窓から空を見上げた。「そうか…今はそのように。」
今度は、維月が不思議そうな顔をした。
「こちらの事をご存知であられるのですか?」
ヴェネジクトは、ハッと維月を見て、微笑んだ。
「知っておる。我はこちらの事もあちらで学んでおるからの。だが、最近の事までは書にも書いておらず。やはりもっと交流を深めてお互い知り合わねばならぬの。この会合は、良い事やも知れぬ。」
紫翠も、頷いた。
「我もそのように。」と、ヴェネジクトを促した。「さあ、治癒の対へ。具合がお悪いのだろう。」
ヴェネジクトは、苦笑して首を振った。
「いや、何やら維月殿の気に触れておると憑き物が落ちたように楽になったわ。」
維月は、そういえばお父様の気に触れたら大概が良くなるっけ。と思った。
紫翠が、首を傾げる。
「ならば…席に戻るか?しかしまた具合が悪くなってもの。」
ヴェネジクトは、首を振った。
「いや、このまま控えに戻ろう。」と、維月の手を取って持ち上げた。「維月殿、お話出来て良かったことよ。それでは、我はこれで。」
維月は、頬を赤らめた。本当にヴァルラム様に似ておられること…。
そうして、ヴェネジクトはまた、紫翠に案内されて、本宮の方へ渡って行ったのだった。




