宴の席
どちらの土地でも、妃は連れて来るという選択肢は無かったらしい。
そんなわけで、王妃は維月ただ一人で、他は皇女が侍女達にかしずかれて宴の席の、後ろの仕切り布の後ろで控えていた。
どこの宮でも妃の方が皇女より地位が上になるうえ、維月は正妃で龍王の妃であったので、一人一番前に座らされて待っていた。
皇女達の好奇の視線はチラチラと感じるものの、宴が始まるまでは維月も誰が誰の皇女で、果たして話してもいいのか維心にも聞いてはいないので、黙っているしかなかった。
そして、振り返るには重過ぎる王妃の正装のせいで、動くのが億劫でもう、維月は何でも良くなっていた。
この宴が始まる前は、月であった維月も、こんな公の場に出る時は、他の王を変に刺激したりしないように、地に戻って地になっていた。
何になっても維月は維月なので、重い衣装は嫌いだったし、とりあえず早く会合が終わって宴の席になって、維心の傍に行きたかった。
維心に聞かないと、何も出来ないからだった。
そうして待つこと小一時間、やっとガヤガヤと騒ぎが聴こえて来て、皆がこちらへ移動して来たのが分かった。ホッとした維月が顔を上げると、維月の侍女が維月に頭を下げた。
「王妃様、王がお越しに…、」
そこまで言った時、目の前の仕切り布がバッとめくれて、維心が顔を出した。
「維月、迎えに来たぞ。」
後ろに居た、皇女達が息を飲むのが分かる。
維月は、慌てて言った。
「まあ王、今侍女がそちらへ我を連れて参ろうとしておりましたのに。わざわざこちらへお越しにならぬでも…。」
皇女達の前なので、維月は最大限に気を遣ってそう言った。本当なら、こんな皇女がたくさん居るところにわざわざお越しにならなくても、私から行きますのに、と言っていたところだ。
維心は、維月の手を握った。
「待ちきれぬでの。おお、本日もよう似合うておるわ。やはり我が選んだ柄が良かったであろう?主は地味な方を選んでおったが。」
聞いてない。
維月は思ったが、とにかくここから出なくてはと、頷いた。
「はい。やはり王が選んでくださった着物の方が良かったと思いますわ。それより、宴の席へ。皆様をお待たせしても…。」
維心は、機嫌よく頷いた。
「参ろうか。あれらにも見せてやらねば。やはり主は美しいの。」
維月は、本当に他の何も見えていないんだから、と思いながら、急いで足を外へと向けた。
「まあ王、そのように仰って頂いてうれしゅうございますけれど、あの、ほら、皆様が…。」
見ると、炎嘉たちがこちらを、呆れたように振り返って見ているのが見えた。維心は、途端に不貞腐れた顔をしながら歩き出した。
「どうせあれらは妬いておるのよ。己らもさっさと妃を娶れば良いのに。」
維月は、分かったから早くあちらへ!と内心思いつつ、頑張って重い衣装を引きずってずんずん進んだ。
背後から、皇女達がザザザッと着物を引きずって、仕切り布の側へと移動して、維心を見ているのが分かる。
維月は、つくづく維心が、自分の容姿を意識していないことが恨めしかった。
何しろ、今日会った皇女達は、皆維月も面識がなく、つまりは恐らく維心とも面識のない皇女達だったからだ。
それらが、この維心を見て何も思わないわけがないのだ。
維月がそんな風に案じているなど露にも思わず、維心は維月の手を引いて炎嘉たちと合流した。
炎嘉が、それを見て顔をしかめて言った。
「…あのな、ここで待っておるのが普通であろうが。侍女が連れて参るわ、主はもう、己から妃をわざわざ控えの場に連れに参るなど…我が恥ずかしいわ。」
そうでしょうそうでしょう炎嘉様、皇女達が大変でしたの。
維月は、心の中でそう炎嘉に相槌を打っていた。
維心は、不貞腐れながら、席へと座る。見ると、後ろから遅れてわらわらと皇女達が侍女に連れられてやって来て、それぞれの王の後ろへと離れて座った。
こちらをチラチラと見ているが、どうも炎嘉や志心、焔なども見ているようで、皆が皆顔を赤らめて、扇の下で何やら小声で話しているようだ。
炎嘉も焔も箔炎もそれぞれにそれは華やかに美しさを競うような様であるし、志心の穏やかで清浄な感じのする静かな美しさもそう、しかし、何より紫翠があまりにも美しいので皆の視線は釘付けだろう。
譲位の宮々の王は、軒並みそれはそれは美しいのだ。維月も、常それを眺めているだけで癒される心地だった。
だが、婚期を迎えた皇女達にとっては、もっと興味深く嬉しいことなのだろう。
彰炎が、フッと息をついて、後ろを振り返った。
「ええっと、主らにも紹介しておこうかの。我の皇女のうち、200ぐらいの皇女を三人連れて来たのだ。端から、結華、麗華、聡華。よろしくの。」
あまりよろしくといった感じではなかったが、20人も娘が居たらこうなるのかもしれない。
次に、宇洲が言った。
「我は二人連れて参った。燈子と庄子。こちらも見知っておいてもらいたい。」
維月は、いちいち皆の顔を名前を必死に覚えていた。そうか、あの二人が瑤子殿の妹の二人なのね。
するとその隣り、フレデリクが言った。
「うちも皇女を三人。左からアクサナ、アレクサンドラ、アーラぞ。」
横文字だから覚えにくい。
維月は思ったが、心の中で皆の胸に名札を着けて、いちいち覚えた。
次に、隣りのマトヴェイが言った。
「次は我か。ええっと、こっちからヴェロニカ、ジアーナ、イヴァンナぞ。歳は同じぐらいではないか?200を超えたばかりぞ。」
これ以上無理よ、そんなに一度に覚えられないわ。
と維月が思っていると、隣りのアルファンスが言った。
「我は誰も連れて来ておらぬわ。皇女は一人居ったがザハールに嫁いでおるし、他は皇子ばかりであるし。皆のように嫁ぎ先がどうの無いしな。」
すると、マトヴェイがアルファンスを小突いた。
「主は己が片付いたからと。我らはまだ城に居るのだぞ。これらは成人しておるし、早う見つけねばと連れて参ったのに。あちらはもう、どこも飽和状態であったから、こちらならあるかと思うて。見たら、この上位の宮でも独身の王がようけ居るではないか。」
駿が、脇で酒を飲みながら渋い顔をする。
炎嘉が、笑って言った。
「どこも悩みは娘の嫁ぎ先か。こちらも同じであるぞ?どこも飽和状態よ。我らは前世の記憶も手伝って、余程の女でなくば娶ろうという心地にならぬだけ。だが、そうであるな…」と、広いこの部屋に、所せましと座って酒を飲んで歓談している王達を見回した。「見よ、この数を。これだけあったらどこかあるだろうて。そちらで探すが良いぞ。」
しかし、それにはフレデリクが顔をしかめて言った。
「嫁げるならどこでも良いというのではないからの。出来たら豊かな宮へやりたいし、主らに期待したいと思うのは間違いか。」
焔が、とんでもないという風に首を振った。
「我らに期待をするでない。こちらはそんな簡単に妃を娶らぬのよ。何しろ、全部が全部きっちり通えという考えが浸透し始めておるからの。余程気に入らねば、宮へ入れられぬのだ。」
イゴールが、驚いたように目を見張った。
「誠か?」と、うーんと眉を寄せた。「それは面倒だの。それなら我だって娶るのは二の足を踏むわ。こちらはいちいち考え方が違うのだの。では、ヴェネジクト殿はどうよ?」
言われて、ヴェネジクトが顔を上げる。
維心は、それを横目に見て、思った。
…誠に、ヴァルラムにそっくりになりおったの。
それは、炎嘉も思ったようで顔を上げて、割り込んだ。
「主、誠にヴァルラムにそっくりであるなあ。若い頃は似て居るな、程度であったが、今はそのものに見えるぞ。ヴァルラムが生きて戻って来たようよ。まさか記憶があるとか言うまいの。」
ヴェネジクトは、クックと笑った。
「まさか。主らのように、我まで前世の記憶がどうのとおっしゃるか。そのようなものは無いが、臣下も軍神達もそのように申す。だが、我はその祖父に会ったことも無いし、己では分からぬの。」と、イゴールを見た。「ところで、我はそれどころではないから。サイラスを説得せねばならぬのに、あれはあれからもう百年にもなるのに、出て来ようとせぬだろう。一度、会いに参らねばと思うておるところよ。」
イゴールは、それを聞いてむっつりと黙った。
そういえば、サイラスが来ていないと思っていたのだ。炎嘉も、気になったようで言った。
「そうなのだ、サイラスが居らぬなと思うておったのよ。あれはまだ拗ねておるのか。イゴールはもう、イリダルとは違うのだと申すに。」
ヴェネジクトは、頷く。
「そうなのだ。主にも連絡は無いか?」
炎嘉は、首を振った。
「無い。そういえば、長く会っておらぬな。いつもいきなりに夜、来ておったのに、あれから見ておらぬわ。こちらも忙しゅうて思い当たらなんだ。困った奴よな。」
ヴェネジクトは、ふうと息をついた。
「その通りよ。やはり近々参るか…あれと話して参らねばならぬわ。」
言いようが、またヴァルラムにそっくりだった。育ったらここまで似て来るとは、誰も思わなかっただろう。
維月も、その姿を懐かしく見た。ヴァルラムは、いつも維月の誕生日になると、ダイアモンドの装飾品を送ってくれたものだ。それを凄く喜ぶ維月を見て、維心がいつも怒っていた。
遠い日の事に、維月は思いを馳せて、ヴェネジクトをただ眺めていた。




