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庭で

維斗は、夕貴を連れて行くなら父と軍神達が母のためにと奥に作った、野の花ばかりを咲かせた花畑が良いだろうと、そちらへ足を進めた。

夕貴は足腰が本当に強いようで、維斗が普通に歩いても難なく話ながらついてくる。その速度の方が、どうやら自然で楽らしかった。

一方、弓維はと言うとおっとり歩く事しか知らずに生きて来たので、そんなにサクサク歩けない。

みるみる維斗と夕貴に間を開けられるのに慌てて必死に足を動かしていたが、そんなに頑張った事がないので息が切れてきてしまった。

ふと、黎貴はそれに気付き、慌てて足を止めた。

「少し速いだろうか。すまぬ、我は妹以外を連れて歩いた事がなく、勝手が分からぬで。」

弓維は、気を遣わせてしまった、と己の不甲斐なさに顔から火が出そうだったが、答えた。

「申し訳ありませぬ。夕貴様にはあのように歩けるのに、我はこのようで。ご迷惑をお掛けしてしまいます。」

本当にすまないと思っているらしく、すっかりしょんぼりとしてしまった弓維に、黎貴は慌てて首を振った。

「そのような。あれは我と共に野山を駆け回って育ったので足腰が強いのだ。身を守ろうと立ち合いの真似事までして…なので、あのようなのも道理なのだ。主は案じるでない。」

まあ、立ち合いも。

弓維は、感心した。

「ならばお母様と同じであられるのですわ。」

ゆっくりと慎重に歩き出した黎貴に合わせて歩きながら、弓維が言う。黎貴は、驚いた。あの、誰がどう見ても模範的な龍王妃が?

「…母とは、あの、本日居った?」

もしかして脇腹の娘なのかと黎貴はそう言った。しかし、弓維は頷く。

「はい。お母様には非の打ち所のない貴婦人であられますが、月の宮でお育ちであるので。あちらは神の宮とは少し違うのだそうですわ。そちらで双子の兄の十六夜と、駆け回ってお育ちであったとか。時に、今でも訓練場でお父様と立ち合ったりなさいまするが、お父様以外は太刀打ち出来ぬ腕前であられます。」

…見掛けによらぬものだ。

黎貴は、ただ驚いた。あのおっとりと座っていた龍王妃が、龍王と立ち合うと。

黎貴は、遥か前を行く維斗と夕貴に目をやった。相変わらず楽しげに話ながら歩いている。

維斗が夕貴と話すのを見て、もしかして気を遣って無理をさせているのかと思っていたが、案外にあれで、気に入っているのやもしれぬ。厳格そうな宮であるので、あの夕貴がやっていけるのかと案じていたが、ここに嫁いだ方が、反って良いのでは。

何より、夕貴は楽しそうだ。

黎貴は、弓維の足元に気を付けてやりながら、歩いた。弓維は、黎貴をチラリと見た。黎貴は、涼やかな目元で匡儀によく似ていて凛々しい上に、他の皇子達のようにガツガツと迫って来たりしない。今も手を取ってはいるが、一定の距離を保って手以外に触れようともしなかった。

そんな様子が安心出来て、弓維も少しずつ緊張が解けて来るのを感じていた。

このかたは、すぐに体を近付けて来る他の皇子とは明らかに違う…。

弓維は、何やら安心していた。

「あの…黎貴様には、ご苦労をなさったのだと父から聞きました。お聞きしてよろしいでしょうか。」

弓維は、黎貴に興味が湧いて、そう言った。

黎貴は、何を話したらいいのかと悩んでいたところだったので、その話題に飛び付いた。

「良い。我は、宮下の外れの、小さな屋敷に母と夕貴の三人で暮らしておったのだ。少ないながらも使用人も居り、不自由はしておらなんだ。母に聞いたところ、父が気まぐれに立ち寄った事があり、その時に我らを身籠ったのだと聞いて居る。母は昔宮で侍女として仕えていたことがあり、学問や礼儀などは母から教わった。苦労と申して、なのでそこまで困っておったわけではなかったのだ。」

弓維は、正式に宮へ上がっていたかたではなかったのだ、と思って聞いていた。普通、身籠ったら男に知らせるものだが、一夜だけと思っていた母上は、それも出来なかったのだろう。

「まあ…。お母様は、夕貴様に似ておられるのでしょうか。」

黎貴は、視線を前に向けて、苦笑した。

「確かにあれは父と並べたら父に似ておるように思うが、母を知っておる我から見たら母にそっくりよ。気が強く、大変にきびきびとしていて。あれで宮仕え出来ておったのだから驚きよな。」

確かに、宮の侍女は品の良いとされているおっとりと動く者が選ばれる事が多い。それでも、母の維月を見ていて思うのだが、やはりきびきびと動けた方が王の助けにはなるように思う。

「我は、そうは思いませぬわ。やはり、きびきびと動く侍女の方が頼りになるかと。お母様は優秀なかただったのですわ。」

黎貴は驚いたが、確かに母がそうならそういう価値観なのかもしれない。

すると途端に、黎貴は弓維が近しく感じられた。感性が似ているような気がしたのだ。

「…そう言うてもらえたら母も喜んでおろうの。」と、また視線を前に向ける。「…とはいえ、戦の折りに亡うなってしもうたがな。」

黎貴の表情は、俄に暗くなる。弓維は、心配そうに黎貴を見た。

「まあ…恐ろしかったでしょうに…。」

こちらの島は戦場にはならなかった。

なので、弓維にはそれが分からなかった。それでも、軍神達が大挙して襲って来るなど、考えたくもないほど恐ろしい事だった。

「…いや、母は最後まで夕貴を守って死んだ。」黎貴は、答えた。「恐れなどないようだった。我がやっと辺りの軍神を始末して行った時には、もう母は斬られておって。母は踏み入って来た軍神から、夕貴を守って前に出て斬られたのだ。我は相手の軍神を斬り殺し、母の最期に立ち会った。母は、我と夕貴が無事であることをそれは喜んで、満足げに旅立った。我らの父が、王であることを言い残して。それまで、我らそんな大層な血であるなど、思ってもおらなんだのだがの。言われてみたら、我は気が誰より突出して大きかったし、それゆえかと納得したものよ。」

弓維は、それを聞きながらみるみる目に涙を貯めた。目の前で、母上を亡くされたのか。

宮に居たなら、生き残れたかもしれないのに。

弓維は、それが他人事なのに悔しかった。臣下は十六夜が助けたのだと聞いている。宮にさえ居たら、十六夜に運ばれて無事だったろう。

「まあ…なんということ…。宮に居られたらなら…きっと…。」

弓維が言葉を詰まらせて涙を流すのを見て、黎貴は慌てた。こんな話をしてしまって。

「すまぬ。このような時にこのような話を。我は…何を話せば良いのか、何しろ女神と話した事など妹と母以外はなくての。気の利いた事も言えぬで。」

と、懐紙を胸から引っ張り出してくしゅくしゅと揉むと、弓維に手渡した。弓維は、びっくりしてそれを見た。きれいに折り畳まれていた懐紙をわざわざ揉んで…?

黎貴は、ハッとした。もしかして、不味かったか。

「ああ、このような懐紙では否か。我は…その、母がよくこうして柔らかくして渡してくれたので、妹にもこのように。」

弓維は、それを知っていた。何しろ維斗も、こうして弓維に渡すのだ。だが、侍女達は違う。これは子供にやる事なのだ。

「フフ」弓維は、思わず笑った。「まあ、誠に兄のよう。お兄様も我が幼い頃、こうして渡してくれたものですわ。誠に…懐かしいこと。」

弓維は、その懐紙の柔らかさに黎貴の優しさを見たような気がした。確かに、回りの皇子達のように気取った様子は無いのかもしれない。だが、そんなものより、弓維にはそういったやさしさが心に染みた。安心するのだ…兄や父のように、王族らしい誰に対しても堂々とした様は無いかもしれない。こうして、弓維に対してはどこか慣れないで必死な感じを受けるのも、弓維から見たらなぜか安心出来た。このかたを、信じても良いような気がする。

弓維は、笑顔になりながら涙を懐紙で拭いて、まだ戸惑う黎貴の手を握る、手の力を少し強くした。

黎貴は、驚いたような顔をしたが、それでも弓維が微笑んでいるのにホッとしたような顔をして微笑み返し、そうして今や遥か遠くになってしまった維斗と夕貴の背を追ってゆっくりと歩いたのだった。

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