消沈
どこの宮にもその話し合いの様子は伝わっては来なかったのだが、椿が徹底的に駿を拒絶したのは確かのようだ。
駿は、宮へ戻ったかと思うと、宇洲に書状を出して、瑤子を返す段取りをした。
宇洲は火のように怒ってどういう事だという書状と共に、疎まれてまでその宮に娘を置いておけぬと迎えを寄越した。
宇洲自身は来なかったが、瑤子は侍女の三条と共に、あちらの獅子の宮の迎えの軍神達に囲まれて、すぐに飛び立って行った。
駿は、その見送りにすら、出て来なかったらしい。
騮と騅が見送りに出て、迎えに来た臣下に詫び状を渡したらしいが、当の駿が居ないのに、許されるわけもないだろう。
駿は、もうどうでも良い気持ちになってしまっていたのだ。
己の愚かさにただ腹立たしく、政務もまともに出来ないので、王に相応しくないと騮に譲位すると言い出しているほどだった。
騮は、なので譲位を考えるほどに世を儚んでいる状態なので、瑤子殿にはもっと良い縁の方がと返すことを選んだのだ、と、弁明の書状を送った。
それでも、宇洲の怒りは収まらず、ともすると攻め込んで来るのではないと言うほど、宮同士の関係は最悪の状態になっていた。
さすがにそこまでに拗れると、維心の耳にもその様子が入って来ることとなった。
「彰炎がなだめてくれておるようであるが」炎嘉が、維心の居間へと訪ねて来て、愚痴った。「あの様子では攻め込んで来てもおかしくはない。長く世話をして、宇洲ともやり取りのある蒼が間に入ってなだめておるようであるが、ならばこちらへ来て申し開きをせよと、蒼にまで言うておるようよ。さすがにそこまでする必要はないと、蒼にも言うたのであるがの。」
維心は、顔をしかめて言った。
「蒼は絶対に参らぬ方が良い。」炎嘉が片方の眉を上げると、維心は続けた。「なぜに我が早う返せと進言し、瑤子を獅子の宮へ返させたと思う。瑤子が、どうやら蒼を想うておるらしく、月の宮へ居つきたいと宇洲に言うておったようだった。急いで返せ、でなければ駿が離縁してからでは娶るまで宇洲が月の宮から迎え取るとは言わぬぞ、と蒼に申したのだ。だからこそ、蒼は慌てて突き返したわけよ。宇洲は蒼が取りなしに入って来たのをこれ幸いと、許す代わりに娶れとか言うて来る可能性が高い。わざわざ宮へ呼びつけることからそう考えられる。蒼が駿の事を庇おうと、妥協する可能性があろう。そんな理不尽なことを許すわけには行かぬ。」
炎嘉は、嫌なものを見たような顔をした。
「なんだと?全く宇洲のヤツは姑息な事を。どうせ月の宮の清浄な環境を見て、こちらの方が良いと思うたのではないのか。返されたので何も言えずに居たが、今回蒼が乗り出したことで、棚から牡丹餅を狙っておるのでは。蒼にはようよう言うておかねば。あれは、殊の外駿に同情的で、何をするか分からぬからの。」
維心は、頷いた。
「駿には困ったものよ。気持ちは分かるが、譲位はまだ早かろう。確かに騮はよう出来た皇子であるが、駿があれほどに若い姿でまだまだ君臨出来るのだ。困った事になった…誠、最近は大陸から次から次へと面倒があるの。主と志心は上手くやっておるようで助かるわ。」
炎嘉が、大きなため息をついた。
「我もそのように。ここ最近でバタバタと、ヴィランを皮切りに外から面倒ばかりがやって来る。どうなっておるのだ…これまで平穏であったのに。落ち着いたと思うたらすぐに次。何かの流れであるのか。」
維心は、首を振った。
「分からぬ。だが…そういえば、この一年ほど碧黎が忙しいと維月にもなかなか会いに来ぬ。もちろん、呼べがすぐに来るのだが、何かに忙しいらしく我に任せてすぐに帰る。それが気に掛かっておるのだ…これまで、あれがあそこまで忙しいとうろうろすることがあったか?」
炎嘉は、顔をしかめて腕を組み、うーんと唸った。
「どうであったかなあ。我が月の宮に居った頃は、のんびり陽蘭と宮で子育てをしておったような。いつなり子守りをしておって、あやつは生きておるだけで良い命なのかと羨ましく思うたほどよ。そんなに忙しくしておるなど、見た事は無いの。」
維心は、神妙な顔で頷いた。
「そうなのだ。ここへ訪ねて来ても、長く維月と庭を歩いておったりといつなり時はあるようだったのに、最近は異常ぞ。何かあるのではないかと、気になっての。」
うーんと炎嘉も維心も考えても仕方のない事を悩んで黙り込んでいると、不意に、声がした。
「…そうか気取るわな。」
びっくりして二人共に顔を上げると、碧黎がそこに出現してこちらを見ていた。
「な…」炎嘉が、仰天して言った。「何ぞ!また急に出おってからに!」
維心は、もう慣れているのでもはやあきらめて、うんうんと頷いた。
「何ぞ。話す気になったか。」
碧黎は、頷いた。
「もう、我だけではどうしようもなくてな。」と、椅子に座った。「主らに迷惑を掛けるつもりは無かったが、しかしこうなって来ると我も見てみぬふりは出来ぬようになった。主ら神の気の持ちようなのは分かっておるが、気の流れに流されるのが主らという命であるから。ちょうど主らがその事を話しておったし、もう話しておかねばならぬと参ったのだ。」
維心は、また面倒かと身を乗り出した。
「何ぞ。申せ。」
碧黎は、手を振った。
「維月も呼べ。あれも気にしておったであろう。あれにも聞かせねばならぬ。」
維心は、炎嘉と顔を見合わせたが、仕方なく頷き、侍女に合図して維月を呼んで来させた。
維月は、碧黎が来ているのに驚いた顔をしたが、炎嘉と維心の深刻そうな顔に、おずおずと言った。
「あの…何かありましたか?」
それには、碧黎が答えた。
「主は案じることは無い。だが、我が最近忙しくしておることについて、主にも話しておかねばと思うたのよ。座るが良い。」
維月は頷いて、維心の隣りに居心地悪げに座る。
碧黎は、言った。
「では、話すかの。」と、炎嘉と維心の方を見た。「まず、我の事よ。ここ最近、我は己の気を何とか抑える方向で、違う効果で流すことは出来ないかと模索しておった。というのも、月は陰陽であるの?」
維月が、頷いた。
「はい。十六夜と私は全く反対の力を持っておって、逆の効果を持っており、それぞれの役割を担っておりまする。」
碧黎は、頷く。
「そう。だからこそ、維月を月から下した時には、地上が清浄になり過ぎて皆が悟ったようになり、子が少なくなってしもうた事があったの。それで、維月を月に戻した。それは覚えておるな?」
維月は、頷く。
「はい。鳥の宮で宴を開いて、そちらで我らが舞いましたのも陰の月の効果で皆に婚姻を促すためでありました。」
碧黎は、また頷いた。
「我ら地の陰陽も、実はそれぞれに役割があった。我ばかりが地の世話をしておったようであったが、実は陽蘭は、居るだけで我の力を押さえ、地を穏やかに流しておった。」
維心は、眉を寄せて言った。
「…つまり、陽蘭が居らぬようになって数百年、その穏やかに流す者が居らぬようになっておったと。」
碧黎は、維心を見て頷いた。
「そう。仕方がないので我が何とかしておった。だが、我の気だけでは強過ぎる。我の気には勢いがあり、それを抑える陽蘭の力が無くなって、流れ放題になっておった。己でそれを抑えるものの、それではぬるいようで、上手く行かぬ。抑え過ぎたら命が死ぬし、押えねば皆が皆血気盛んになってしもうて、やりたい放題になる。それでも戦の時には、さすがにしばらく完全に抑えておった。なので、維心など大きな気を使う神にだけ力を集中して送るようにしておった。我の体が大きいゆえ、全てに意識を向けるのは難しい。なので、出来たら維月を地にしたいと思うておったが…十六夜がなかなか良いと申さぬし、月の方も陰が居らぬようになると面倒な事になる。そんなわけで、ここの所は何とか己で出来ぬかと試行錯誤をしながら、あちこち気を配っておったというわけよ。」
炎嘉が、戸惑うように言った。
「ということは、これまでのいざこざは皆、陽蘭が居らぬようになったからなのか?主の気の勢いで?」
碧黎は、顔をしかめた。
「皆が皆とは言わぬが、後押しされたと考えた方が良いだろうな。我の気は、いい意味でも悪い意味でも神をやる気にさせるようでの。憤ったら攻め込む、嬉しければ騒ぎ過ぎる、娶りたければ娶る。勢いがついてしまうのだ、気が潤沢であるし。それを上手く理性で制御できる神であれば流されぬのだが、そんな神ばかりではないからの。むしろそうではない神の方が多い。ゆえに、神世が乱れるのだ。戦も然り、アマゾネスも然り、もしかしたらドラゴンの、ミハイルもそうであったやもしれぬ。そして、匡儀の内に秘めた懸念がつい、溢れてしまい、駿は美しい皇女を見て魔が差して娶り、獅子の侍女達は仕える皇女を庭へと突き落とし、宇洲は同族相手に攻め込むほどに憤っておる。これが全て我の気のせいかと言われたらそうではないかもしれぬが、その影響がなければ今少し抑え気味であったやもしれぬ。まあそもそもが、理性が強ければ問題ないのだから我のせいばかりでも無いのだが…維心も炎嘉も、志心も焔も特におかしなことはしまいが。これでその神の資質が分かるなと思うて見ておったわ。」
炎嘉は、困惑した顔で維心を見る。維心は、それを見返して、そして碧黎を見た。
「…全てが主のせいだとは思うておらぬ。今主が言うたように、問題なく過ごしておる者達も多いしな。ただ、そんな神ですら巻き込まれて面倒な事になってしまうのがまずいのだ。地の陰を作るよりないのではないのか。そういえば、陽蘭が転生しておる姿が椿であるから、あれをまた地にするわけにはいかぬか。」
碧黎は、それにはすぐに首を振った。
「あれはもう、寿命のある神ぞ。不死の命ではない。つまりはもはや我らと同族ではないのだ。もし出来たとしても、我はもう二度とあれを片割れにはせぬしの。」と、維月を見た。「十六夜にはもう話したが、主と十六夜が子を成してその子を陰の月にし、主が陰の地になるか、我と主が子を成してその子を陰の地にするか、どちらかしかないのだ。」
維月は、息を飲んだ。
維心も、仰天して碧黎を見た。




