宴の後
それからは、皆が皆暗い気持ちになってしまい、宴は静かに進み、いつもより早い時間に終えた。
維心は、まだ夕刻で日が沈んだばかりだったのもあって、その日は志心の宮に泊まらずに、龍の宮へと帰還した。
炎嘉と焔はまだ飲むと言って、自分たちの控えの間へと行くことにしたようだ。
箔炎も引きずって行こうとしていたが、箔炎も今日は帰ると言い出しているようで、少しもめてはいた。
だが、結局留め切れずに、箔炎は出発口へと出て来ていた。
そこには、蒼と、駿が居た。
箔炎は前世の記憶も持っているので、駿が居ても何でもないふりを出来るが、蒼はあいにく、長く生きていても素直で自分を隠せない性質なので、箔炎が来たのを見て、あからさまにうろたえるような顔をした。
箔炎は、やはり駿はまだ椿を引きずっておるか、と思いながら、何でもないように帰る準備をする佐紀達軍神の動きを眺めていた。
すると、蒼の懸念を気にすることなく、駿がこちらへずんずんと寄って来た。
蒼が、慌てたようにその袖を掴もうとしたが、駿はそれをすり抜けて、箔炎の前に立った。
「箔炎。話があるのだ。」
箔炎は、駿を見た。なるほど、前にちらと見た時よりは、落ち着いておるようよ。
箔炎は、片方の眉を上げて、言った。
「何ぞ?我にか?」
意外だ、という顔をしながら言ってみると、駿は渋い顔をした。箔炎が、全く自分を気にしていないと思ったのかもしれない。
駿は、それでも気を挫かれることもなく、箔炎をじっと見据えて、言った。
「…主、最近西の島南西の宮へよう参るのだの。」
箔炎は、頷く。
「楽の宴の後からよく参る。翠明が我に筝を譲って欲しいと申したのが始め、それから他の楽器やらを持って参って、そして翠明に我が筝と十七弦を指南しておる。翠明が我の方へ参ることもあるが、綾殿が同席したいと申すので、体を悪くしておるのもあり、我から参ることが多いの。それがどうしたのだ。」
箔炎も楽には堪能であったか。
駿は、眉を寄せた。
「我は、何度も訪ねておるが中へも入れてもらえぬのだ。椿がどうしておるのか知りたいと思うておる。」
箔炎は、驚いたように両方の眉を上げた。
「椿?あの皇女は翠明が迎え取って離縁となったのではないのか。翠明も綾殿もそう言うておったぞ。何より、椿は今それどころではないであろうの。綾殿の具合が殊の外悪くなっておって、最近は翠明の筝の指南も出来ずでおるほど。綾殿は、我に筝を演奏して欲しいと申しておるとかで、近々また参る予定ではあるが。」
駿は、ずいと箔炎に寄った。
「我も、共に参れるように申してはくれぬか。」
箔炎は、あからさまに顔をしかめた。
「主は分かっておるのか。綾殿がもう、先が無いのだぞ?そんな時に押し掛けてどうするつもりなのだ。我と共に筝でも弾くのか。」
駿は、ムッとした顔をした。自分が楽を嗜んでおらぬのを知っておって。
「そうではないわ。椿と話さねばならぬのだ!あれに我の話を聞いてもらわねば…!」
箔炎は、呆れたように駿を見た。
「主は己ばかりぞ。」駿は、ぐ、と詰まった。箔炎は続けた。「親が死に逝こうとしておる時に、己の気持ちばかりを押し付けようとする男の話しなど、聞こうと思うと思うのか。そんな風であるから、あれは宮を出て主に見向きもせぬのではないのか。己の事しか考えられぬのなら、もう付きまとうのはやめよ。我でもそこまで厚かましくはないわ。」
「何を…!」
駿が言い返そうとした時、蒼が慌てて割り込んだ。
「駿、待て!」と、箔炎を見た。「箔炎様、申し訳ありません。あの、椿としっかり話し合って、別れたわけではないのです。だから、まだ別れたことが、実感出来ておらぬのです。確かに駿が悪かったのだし、駿も後悔しておるのですが、それでも納得できない事なのですよ。出来たら、一度で良いので時間を取ってもらえるように、箔炎様から申してみてくださいませんか。綾殿が落ち着いてからで良いので。そうしないと、駿も先へ進めないのですよ。」
箔炎は、眉を寄せたまま駿を見た。確かに、事が発覚した時に、一方的に帰ると言って、翠明に迎え取らせて宮を出て行ったと聞いた。駿にしたら、申し開きぐらいはさせて欲しいと思うのだろう。それで駄目なら諦めも付くが、このままではいつまでも、復縁できるのではと無駄な希望を持ってしまうということなのだろう。
箔炎は、険しい顔のまま、頷いた。
「…ならば、落ち着いた時、我から申してみる。主もそれまで、しつこく付きまとわずに少しは気遣うのだ。気持ちの押し付けではならぬ。分かったの。」
駿は、黙って睨み返しているだけで、何も答えない。
蒼が、脇から言った。
「申し訳ありません、よろしくお願いします。オレも、駿とよく話し合いますから…。」
箔炎は、頷く。
蒼、主はいつ見ても誰かの世話をしておるなあ。
箔炎は心の中で苦笑しながら、準備が出来てこちらを心配そうに見ている佐紀の方へと歩いて行ったのだった。
維心は、帰って維月に綾の病のことを話した。
維月はかなりのショックを受けていた…つい、三月ほど前には、元気に素晴らしい琴を聞かせてくれたのだ。あの折、楽しげに遠く鷲の宮を懐かしんでいた横顔は記憶に新しい。
それなのに、そんなに急に。
「そのような…もう、あの琴の音は聴けぬのですか。」
維心は、維月の手を握り締めて労るように言った。
「無理であろうな。椿が側にずっと詰めておるのだと翠明は申しておった。あれも辛かろうの…長く共に来たのだし。綾とはいろいろ面倒もあったが、あれはああして翠明に大切にされて良い妃であった。最後には己の名誉を回復して、幸福に逝くのだ。我はあれにとって不足のない生涯であったと思うぞ。」
維月は、涙を浮かべた。不死の自分が先に逝く友を見送らねばならないのはよく分かっていた。だが、それは何度経験しても慣れるものではない。
綾との様々な瞬間が思い出されて、悲しみが胸に迫った。
「維心様…お見舞いに参りとうございます。どうかお許しくださいませ。」
維心は、涙を堪えてそう言う維月に、頷いた。
「参ろうの。我が連れて参る。忍びで参れば問題あるまい。また主の琴を聞かせてやるが良い。持って参ろう。」
維月は、頷いた。綾が逝く。世の理とはいえ、なんと悲しいことか…。
維月は、これが時の流れというものだと、悟りながら悲しみに耐えていた。
一方、蒼は月の宮に帰って来ていた。
駿とは、あれから何くれと無く話し、駿の気持ちは理解していた。
瑤子の事は面倒だと思っていたが、そういう理由なら駿が放ったらかしでいたのも理解出来る。ここなら、瑤子も問題なく幸福であると思っていたのだろう。
だが、蒼が瑤子の世話をするわけには行かなかった。宇州は蒼が駿に瑤子を返してから、何も言って来なくなって来ていたが、時に瑤子はどうしているか、という問い合わせは来るらしい。
元気にしている、とだけ返すらしいが、あちらの不満は分かる。顔も見に行っていない事は、恐らく侍女からあちらに届いているだろう。
とはいえ、今日の誓心の話からも、宇州も自分の妃、全てに通っているわけではないので、強くは言えないようだった。
何が不満か、と言われたら、何も不満はなかった。ただ、駿にとっては椿が何より大切な存在であった。それを失う原因となってしまった瑤子を娶るという行動を、自分自身に許せなくて、瑤子の所へどうしても通う気になれないのだ。
瑤子が悪くないのは重々分かっていたのだが、瑤子を見ると思い出す。それが、駿には堪らなく辛いのだ。
ここはまず、駿の椿に対する気持ちだけでも整理して行かないと、先へ進めない。
蒼は、そう思って箔炎にああいう風に頼んだのだ。
箔炎は、あれで前世の記憶を持つ落ち着いた神だ。きちんと話せば、間違いなく助けてくれるはずなのだ。
蒼は、箔炎が椿に上手く話してくれることを願った。きっと維心のように、助けてくれるはずだ。
駿は箔炎に椿を取られるのでは、と危惧していた。
蒼も、もしかしたらと思っていた。だが、箔炎はそんな小さな神ではない。もし椿とまた一緒にと思っていようとも、話す場は与えてくれるはずだ。
蒼は、上っている月を見ながら、何事も上手くいきますように、と祈ったのだった。




