乱れ
次の日、炎嘉が龍の宮へとやって来た。
維心は、早く政務を終わらせてしまって月の宮に行きたいのに、炎嘉が来たので処理が止まってしまい、イライラとして炎嘉を迎えた。
炎嘉は、居間へと入って来て維心を顔を見、途端に呆れたように言った。
「またか。あのな、わざわざを足を運んでやるのだから少しは愛想良くせぬか。常、そのように不機嫌にしよってからに。それでは前世と変わらぬではないか。」
維心は、恨めし気な目で炎嘉を見た。
「政務が止まるからぞ。早う終わらせて我は月の宮へ参りたいのだ!」
里帰りか。
炎嘉は、合点がいって、息をついた。
「全く何百年同じことをしておるのだ。少しは追いかけて行かずに我慢してみよ。十六夜も碧黎も機嫌が悪うなるぞ?」と、横を向いてまた息をついた。「まあ良い、そんな事を言いに来たのではない。主、駿の事を聞いておるか。」
維心は、むっつりと炎嘉を睨むように見ながら答えた。
「椿が里へ帰って瑤子は月の宮。それ以外に何ぞ?」
炎嘉は、答えた。
「彰炎から文が来ての。宇洲が酷く憤っておるらしい。同族であるならこれ以上の場はないと手中の玉を送り出したのに、扱いが悪いとの。あれからふた月半にもなるのに、一度も瑤子の様子を見に参っておらぬだろう。その上、蒼に預けっぱなし。瑤子は駿の元を辞したいと申し始めておって、宇洲もどうするつもりだと駿に連絡しておるが、まだ返事が来ぬとか。」
維心は、眉を寄せた。だからどうした。
「我には関係なかろうが。駿が決めることぞ。」
炎嘉は、こら、と、維心を小突いた。
「あのな、よう考えよ。同族同士の争いは面倒だと主も身に染みたのではないのか。せっかく上手く行こうとしておったのに、宇洲と駿が争うと事が面倒になる。それも、女絡みで。だから主に話に参ったのよ。」
維心は、はあとため息をついた。だから短絡的に妃を迎えるなと申すに。
「せっかくに穏便に回っておった宮が妃を娶ったことで乱れたということであろう?だから己にその器量がないなら一人にしておけばよかったのに。駿は女が嫌になって瑤子も要らぬと言うておるのか?」
炎嘉は、首を振った。
「要らぬのではない。椿を取り返したいのだ。だが、椿はさっさと宮を辞して、西の島南西の宮で気楽にやっておるらしい。もう、これっぽっちも出て来た宮を省みてはおらぬようぞ。あれは前世の命の力があるゆえ、老いも止まっておってまだ姿が若い。ゆえ、次の嫁ぎ先を望んでも大丈夫であるし、既に新しい方向へと目を向けていて、駿からの文も見ぬし、会おうともせぬらしい。女は、見切ったら早いの。」
前世が陽蘭であるからか。
維心は、恐ろしいと思った。それが自分の身に起こったとしたら、維月も同じさっぱりとした性質なので、維心の顔も見てくれぬだろう。駿の気持ちが、痛いほどわかった。が、相手が陽蘭となると、もう絶望的だった。
「…ならば再縁は望めまい。駿にはさっさと瑤子を迎え取ってそっちとしっかりやることを考えよと言いたいが、それは無理なのか。」
炎嘉は、首を振った。
「箔炎に話を聞きに参ったのだがの。どうやら箔炎が翠明に頼まれた楽器を持って参った時に、庭で少し椿と話したらしいのだ。椿はあっさりとしておって少しも思い悩んでおる様子はなく、前向きでさばさばしておったそうな。だが、そうやって話したことがどういう筋からか駿に知れて、遠回しに箔炎はどういう用件で南西に出入りしているのか、と問い合わせが来たらしい。面倒なので楽器の件も包み隠さず伝えさせたらしいが、癪なのであちらの様子をついでに佐紀に調べさせたら、駿は狂ったように椿を取り返そうと必死になっていて、それを騮が諫めているのだとか。瑤子の事も面倒に思うておるようで、今は全く眼中にないらしい。仕方なく騮が、宇洲からの書状にも蒼からの、そろそろ返したいという書状にも今しばらく待って欲しい、と返事を書いて、何とか収めておるそうな。結局駿は、椿が一番で他はまあ、戯れ程度だったのだろうの。瑤子も、若く美しい淑やかな皇女であるから、目新しい分最初は夢中であったようだが、椿が去るとそちらの方が大切だった、と気付いたという事のようよ。」
維心は、ますます恐ろしい、と思った。自分は絶対に他を娶らぬと決めているので、絶対にそんなことは無いが、もし魔が差したりしていたら、取り返しのつかぬ事になっていた、と、震えが止まらなかった。
「…誠、前世から臣下の勧めも絶対に受けぬで我は正解であった。そんなことになったら、我は生きては行けぬ。駿も辛いであろうが、己のせいであるのだから、そろそろ神世の王として、あちこちほったらかしではならぬな。まずは瑤子だけでも、どうするのか決めねばなるまい。蒼に聞いたとか申して、我が忠告するか。」
炎嘉が、頷く。
「どうせ月の宮へ参るのだろう。ならばその時に、蒼に聞いてくれぬか。その上で、駿にどうにかせよと申してくれ。彰炎も、また仲違いとか面倒だからやめてくれと言うて来たし、我もはっきり言って迷惑なのだ。まずは、これから駿の宮へ寄って話しては来るが、それで駄目なら主、後は頼むぞ。」
炎嘉は、自分が言っても聞かないだろう、と予測して、先に維心に話に来たのだ。
維心は、頷いて答えた。
「分かった。主で駄目なら少々強めに申す。蒼も面倒を押し付けられたままなど…あれも、神世の面倒をすぐに押し付けられる奴よ。瑤子があの宮の居心地良さに、居つかねば良いがの。」
炎嘉は、それを聞いて顔をしかめる。
「まさかそこまで厚かましくはあるまい。とはいえ、あの宮は居心地が良いのは確か。あり得ぬことは無いの。そうならぬうちに、さっさと終わらせようぞ。」
維心は、頷いた。
「では、そのように。我は政務を終わらせて早う月の宮へ。」
炎嘉は、苦笑して立ち上がった。
「此度は行く理由があって良かったではないか。十六夜に言い訳が出来ようぞ?ではな。」
…言い訳など必要ないわ。
維心は、思ってその背を見送った。
「…だから早いっての!」十六夜が、維心に叫んだ。「やっと温泉から帰って来たとこなのによ!お前、一週間ぐらい頑張れよ!まだ四日じゃねぇか!」
維心は、言った。
「だから駿の事を炎嘉に頼まれたのだ!蒼も困っておるのだろう、我が駿に忠告して何とかさせようとわざわざ参ったのに!」
維月が、横から庇うように言った。
「十六夜、確かに蒼のあの考えだと早く瑤子様を何とかしないとまずい事になるわ。早くどちらかへ迎え取ってもらわないと。」
十六夜が、け、と気を吐いた。
「どうせそっちの要件がついでなんだろうよ、維心には。でもな、面倒だと言うんならもう面倒なんでぇ。瑤子がここに居たいと宇洲に言ってるみてぇだし、蒼はそんな気ねぇのに瑤子は蒼が好きなんだって維月に言ってたし、とっととここから追い出すって、瑤子が嫌がるんじゃねぇかってこっちはひやひやしてるんでぇ。」
維心が、それを聞いて両方の眉を跳ね上げた。蒼を?!
「ちょっと待て、なぜにそうなったのだ。蒼は何か言うたのか。」
維月は、もう、と十六夜を睨んだが、維心に答えた。
「いえ、蒼は何も。ただ、預かりものなので世話はしておりました。蒼には妃が居らぬので、直接にいろいろと気を遣っておったようなのですが、あの子は、あの、元は人でああいう性質でありますので…。」
維心は、変に納得した。言われてみたら、傷ついた女にとって、蒼は癒しの存在で、想うようになるのも道理なのだ。
「…困ったものよ。」維心は額を押さえた。「とにかくは一刻も早くこちらから出さねば。宇洲に娶って欲しいとか言われたら、あちらが諦めて迎えを寄越すまでこのままになってしまおう。こうなったら駿が迎えに来ずとも、熨斗をつけて返せ。つまりは、もうこちらは十分に世話をしたのに、挨拶も無しとは何事ぞ、と抗議の文を付けるのだ。表向きまだ駿の妃であるし、このままではややこしい事になる。こちらはいつまでも瑤子を世話する義理はないし、いきなり返しても神世の理上問題はない。そうせよ。とにかくすぐに。駿が離縁すると言うてしもうたら、もっと面倒な事になるぞ。」
黙って聞いていた、蒼が何度も頷いた。
「では、返したら良いのですね?こっちの輿に乗せて、嫌がっても強引に返して良いのですね?」
蒼が念を押すように言うと、維心は頷く。
「その通りよ。ここはあれの宮ではない、ただの居候ぞ。主の厚意でここに居る。主が否と言うたらすぐに出ねばならぬ。それに、駿の妃であるのだから駿が世話する義務がある。宇洲に返すなら、あちらから返すのが世の倣いよ。今しかない、駿がもたもたしておる間に、さっさと返せ!」
維心は、まるで己の事のように焦っている様子だった。確かに世の流れが見えている維心からしたら、今の状況はまずい流れに行く寸前なのだろう。
蒼は、それを気取って嘉韻を呼び、急いで輿を準備させた。
そして、侍女達が大挙して客間へと訪れ、お帰りの準備を、とわらわらと瑤子の準備を始め、瑤子は何が起こったのか分からないままに、初子と共に輿へと乗せられ、どうなるのかと聞く余裕すらないままに、慌ただしく月の宮を連れ出されて行ったのだった。




