想い
駿は、やはり会う事も出来なかった椿を思って塞ぎ込んでいた。
政務を騮に任せきりなのはいけないのは分かっているのだ。
二人の皇子の縁談も、こんな風なのでなかった事になり、二人も今はそんな気になれないと、その事に関しては歓迎していた。
宇州からもどうするつもりなのか、と最後通告のようなものが先ほど来た。
どうやら瑤子は、このまま月の宮で療養を続けて、宮を乱したくないので駿の元は辞したいと、宇州に文を送ったようだ。
蒼はいえば、そんなことは知らないのでもう元気になったので、そろそろそちらへ返したいと言って来ている。
駿は、こうなってももう、瑤子の事を考えられない自分にほとほと困っていた。
箔炎はというと、特に椿を娶るような動きもなく、話しただけで帰っていたようだった。
どうやらあの日は、翠明に頼まれた楽器を届けに行っただけのようで、たまたま椿と会って話しただけのようだ。会いに行った、ということではないらしい。
それでも駿は会えないのに、箔炎が会っているのは確かで、もし翠明が箔炎に椿をと考えていたらと思うと居たたまれなかった。
真意を確かめようにも、次の会合まで顔を合わせる機会もない。
駿は、どうすることも出来なくてただ、沈んでいた。
騮が、やって来て頭を下げた。
「父上。本日の政務も終わりご報告に参りました。」
駿は、顔を上げすに頷く。
「ご苦労だった。」
騮は、駿をじっと見つめた。このままでは、退位すると言い出してもおかしくはない。
なので、言った。
「父上。母上は大変に頑固な方であるので、否と思われたら否なのでしょう。これ以上は、蒼様にも宇州様にも申し訳のないことになりまする。瑤子殿をこちらへ帰すように、手配してくださいませ。」
駿は、椿以外のことを考えるのも面倒だったのだが、仕方なく答えた。
「それは無理ぞ。宇洲殿から、瑤子がまだ月の宮で療養したいと申しておって、こちらを乱すのも嫌なのでここを辞したいと申しておると言うて来た。瑤子は、こちらへ戻る気がないのだ。」
月の宮のような場所を知ったらそこから出たくないのも分かるが。
騮は思ったが、首を振った。
「父上が長く捨て置かれておるからではありませぬか。月の宮へと様子を窺いに行き、そのまま連れて戻れば良いと思いまする。せっかくに上手く行っておる宇洲殿との関係が、悪くなってしまいまするぞ。」
分かっている。分かっているが、椿が去ってしまった事実が重くて、受け入れられないのだ。
「主らは、母を説得しようと思わぬのか。」
騮は、それを聞いて悲し気な顔をしたが、首を振った。
「…母上には、顔向けできませぬ。何より母上は、宮を出られるのに姉上や柚、楓にはお話があったのに、我らには一言もありませなんだ。我らが疑っておったのをご存知であられたし、それゆえに己の潔白を証明するために記憶の玉を取らせたほどでした。この上は、母上には思うように、何の心の重荷もなく暮らして頂きたいと願うもの。宮へと帰られた以上、どうなさろうと我らに何か言う権利などもう無いのです。」
皇子達は、もう諦めてしまっているのか。
騮の言うことがもっともだと思うにつけ、それでも椿を失ったと思いたくない駿は、まだ全てを決め切れずに鬱々とその宵を過ごしたのだった。
維月が困ったことになった、と思いながら自分の部屋へと帰ると、十六夜が待っていて、なぜか蒼も深刻な顔をして座っていた。
維月は、十六夜に言った。
「お待たせ。蒼も行くことにしたの?」
維月が言うと、十六夜が言った。
「だからこいつは王だっての。言わねぇ約束だから黙ってるんだろうが、オレ達はみんな月だ。」
蒼は、頷く。
「見えるんだよ、結界の中だと余計に。」
維月は、聞いてたのか、とバツが悪そうな顔をした。
「別に、後で十六夜にはこっそり言おうと思っていたわ。私一人には荷が重いと思ったから。」
十六夜は、それにはすんなり頷いた。
「だろうな。だが蒼も聞いちまっててどうしようのねぇっての。瑤子はお前に言われた通り、宇洲にここに残って療養したい、あっちの宮はもう辞したいって文を送ってたぞ。どうすんだよ、居ついちまったら。蒼は妃はもう要らねぇと思ってるんだぞ。」
蒼は、何度も首を振った。
「要らないよ、四人の妃を見送ったんだぞ?瑤姫は離縁したけど最後には会ったし、残りの三人も、最後の華鈴を見送って、もうこんな悲しいのは真っ平だって思ったんだからな。なんでオレなんだよ、駿の方がよっぽど男らしいし神らしいのに。」
維月は、困ったように答えた。
「あなた、人だったでしょう。そのままだから、神世じゃ珍しいぐらい女に優しい王って感じるのよ、向こうは。人にしたら珍しくない価値観と性格なんだけど、神世じゃ珍しいもの。それにね、こう言っちゃなんだけどあなたの姿だって老いて無いし結構凛々しい顔してるし。」
「おまけに月の癒しの気だしな。」十六夜が、うんうんと頷いて言った。「仕方ねぇよ、モテるのは。どうする、もらうか?」
蒼は、ブンブンと首をもげるほど振った。
「もらわないよ!ややこしい事になるじゃないか、駿の妃なんだぞ?あっちが興味なさげとはいえ。確かに綺麗な女神だと思うけど、オレ、綺麗な女神なら死ぬほど見て来たからそんなんで妃を決めたりしないよ。」
最初の妃が絶世の美女の瑤姫だったものね。
維月は思い、苦笑した。前世の維心の妹であった瑤姫は、維心によく似ていて世に並ぶ者が居ないと言われるほどの美女だったのだ。
確かに、あんなのを見慣れている蒼にとって、美しいだけじゃ心は動かないだろう。
「でもさ、楽も出来るし。退屈しねぇかもしれねぇぞ?宇洲から話が来たらどうするつもりなんでぇ。」
蒼は、むっつりと十六夜を見て、答えた。
「断るよ。そもそもじゃあ十六夜に、て言われたらそれを受けるのか?オレにばっかいろいろ振らないで欲しいんだよ。前の妃だってそうじゃないか。ほとんどオレの希望じゃなく、回りとの兼ね合いでオレしかないからって迎えたりで。オレ、生涯面倒見終わって責任果たしてホッとしてるんだから、そういうのやめてくれ。今度は自分で結婚したくなってからする。」
維月は、それもそうだと思った。前世はまだ、蒼の母親だという意識が強かったので、次々に思いもしない方向から妃を娶らされることになる、蒼を案じたものだった。そのせいで最初の妃の瑤姫ともうまく行かなくなって出て行ってしまい、蒼も妃のことでは苦労していた。
なので、言った。
「そうね。蒼がもし、良いならと思ったの。瑤子殿はとてもよく出来た女神だし、あなたああいう子が好きだったでしょう。だから、もし良かったらって思っただけ。その気が無いなら断ったらいいわ。この宮には力があるんだし、気にすることは無いと思う。瑤子殿の気持ちを考えると少し重いけど、初恋は実らないことの方が多いものだしね。」
蒼は、ハッとした。今生、生まれ変わってから十六夜と子供の頃から駆け回って育っているのを見ていた維月なので、母という意識が薄れて来ていたが、今の瞬間だけは、それは前世の母だったように見えた。
「母さん…。」
蒼が言うと、十六夜が言った。
「ま、嫌ならいいんじゃね?お前も不死だしいつでも誰でも良い時に嫁にもらったらいいさ。」と、維月を見た。「ほら維月、じゃあ温泉行こうや。親父が待ってる。もたもたしてたらまた維心の奴が来やがるから急ごう。」
だから急いでたのか。
蒼が思っていると、維月はコロッと表情を変えて、手を叩いた。
「そうね!楽しみだわ、お父様にはお礼を言わなきゃ!」
そうして、キャッキャとはしゃぎなら十六夜と手を繋いで飛び立つ維月は、やはり今生の維月だった。
蒼は、長く生きている自分の前から去って逝った、記憶の中にある様々な存在に、思いを馳せたのだった。




