宴席へ
そうして、舞いも終わり、また祝詞が読まれて催しは終わった。
維心が席を立たねば誰も立てないので、維心は維月の手を取って立ち上がった。
それにつれて、全員が立ち上がる。
維心は、隣の炎嘉と匡儀に言った。
「では宴席へ参るか。」
炎嘉は、満足げに頷いた。
「今年は良かったわ。神主の声もよう届いて何を言うておるのか良く分かったしの。やはり人は懸命に務めておるのを見るのが心地よい。衣装もようなっておったし、目新しくて楽しめたわ。」
維心は、歩き出しながら頷いた。
「最近は詣でる人も多くなってあれらも余裕があるようで何よりよ。臣下には今年の願いは良く見て聞いてやるように申す。酒も今年は例年より多いようだし、皆が幸福なら良かったことよ。」
匡儀は、それについて歩きながら言った。
「誠にこのような交流があれば、我らももっと気を入れて願いを聞いてやるのにの。こちらでは信心深い人が多いようで癒されるわ。」
炎嘉がそれに答えた。
「こちらとてそう多いわけではないが、こういった催しが残っておるのでそれにつられて己が楽しもうと来ておる人も多いのだ。見えておるから、誠の信心を持つものには目をかけてやるがの。まあ人も生業があるゆえ、信心ばかりでは生きて行けぬし、難しいのは理解してやっておるつもりよ。」
かく言う炎嘉の宮でも、祭る神社では毎年盛大に催しを行う。炎嘉は世話好きなので、臣下も同じように人の世話もしっかりとしている。なので、余計に来る人は多く、ここの比ではないぐらいだった。
維心は、苦笑した。
「主の方はもっとすごい人数であるものな。あれでは一人一人が見えぬで大変であろうに。しかも舞いも派手で動きの激しいものが多いし、仕える神によってそういったことも変わるものよ。」
炎嘉は、維心を軽く睨んだ。
「うちはただ山であるからここまで狭い事はないからぞ。滝の近くが狭いゆえ人があれ以上入らぬから、ここは見えておるのがあの程度なだけで、入りきらぬ者達がこの山の敷地の中に溢れて居るではないか。それらも見てやると良いのよ。」
維心は、言い返した。
「主の所はそれでも多すぎるのだ。山の麓までびっしりではないか。うちは人が入るだけしか規制して入らせぬからこれで良いのだ。夜中から並んで入る者まで居るのに。そこまでするのだから信心も深いし、上手くふるいに掛けられて良いのだ。」
維月は、それを聞いて苦笑した。確かにここは、山へと上って来る車道が狭く片側一車線で、入ったは良いが身動き取れなくて退くに退けない状態になってしまうので、山の入り口付近に立つ人が、入山規制をしてそこまででは無い。その上、山には入れても滝へと降りる階段や、人が留まれる場所が限られているので、そこから入るのも人が規制していて、ここまで来るのは至難の業なのだ。そんなわけで、維心の結界の中にはそれなりの人がひしめき合っていて、全部を見るのは無理だろう。
とはいえ、神気に触れることは出来るので、来ただけでも人にとってはそれなりにメリットはあると維月は思っていた。
炎嘉の所は、一々全ての人を臣下に見させて信心深い人にはそれなりの禊などを与えてやっているらしいので、臣下は大忙しだろうが、人にとっては行くメリットがここより大きいのは確かだった。
匡儀が、割って入った。
「どちらが良いとは言えぬから。そこここで合ったやり方があろうしの。我の所では無いゆえ精査はつかぬし、それはもう良いではないか。」
維月は、それを聞いて匡儀は思ったほど維心に似ていないのだと思った。維心は、他が言い合っていてもそれを取り持とうとはしない。だいたい面倒だから大きくならない間は黙って成り行きを見ているだけだ。炎嘉と維心はいつもこうなので、他の慣れた神達は黙って聞いているだけだったが、匡儀は誰かが収めなければと気を遣ったのだろう。
志心が、そんな匡儀に苦笑して言った。
「気にせずで良いのだ、匡儀。こやつらはいつもこうであるから、我らは慣れておる。このようだからといって、これらが絶対的に仲違いするようなことはないから。」
皆は桟敷から離れて宮の中へと抜ける通路へと歩き始める。足場が安定し、維月はほっとして足を進めた。衣装が重いので歩くのはいつも困難だが、維心がうまく裾を気を使って避けてくれるので、わざわざ蹴捌く必要も無くて助かっていた。衣装も、気で持ち上げてくれるのでなんとか歩けているが、それが無ければ侍女達に囲まれて大層な事になっていただろう。
維心の優しさに維月は自然、頬が緩んで、取られている手をそっと握った。維心はそれを感じてスッと維月に視線を向けたが、維月が扇で顔を隠しながらも目が微笑んで自分を見上げているのを見て、フッと口元を弛めて微笑み返し、その手を握り返してくれた。維月が慕わしいと心から思うと、困った事に陰の月の力が勝手に維心に気を送る。すると、回りに密集している炎嘉以外の王達が、軒並みフラフラとふら付いた。
やばい、と維月は思ったが、炎嘉がじとーっとした目で維心と維月を見た。
「主ら…歩いておるだけであるのに何をしておる。せめて宴席までぐらい我慢せぬか。立って歩いておる時にその気にやられたら皆こうなるのだ!」
匡儀が、訳が分からない顔をしながら、必死にハッキリしない頭を振って額に手を当てた。
「ちょっと待て…なんだこれは。感じた事が無い気ぞ。恐ろしい。何とも無いのか、維心、炎嘉。」
焔が、恨めし気な目で匡儀を見ながら言った。
「しょっちゅうなのだ、これが。こやつらは慣れておるからこうであるが、維月が陰の月であるから、いつなりこうしていきなりに催淫の気を放ちよってからに。我らだって男であるから、困るのだと申すに。」
維月が、申し訳なさげに言った。
「誠に申し訳ありませぬ。ただ維心様を慕わしいと思うただけで、勝手にこのように…。ならぬと思うのですけれど…。」
維心が、維月の手を引いて肩を抱くと、皆をキッと睨んだ。
「我が正妃が我を慕わしいと思うて何が悪いのだ。歩いておっても座っておってもお互いに慕わしいのだから良いではないか。主らにごちゃごちゃ言われる筋合いはないわ。」
焔が、維心を睨み返した。
「だから困るのだと申すに!この気の効果は長引くのだからの!宴席で酒など飲んだら身を持て余そうが!どうしてくれる。」
維月は、慌てて維心の腕の中で、手を上げた。
「十六夜。」
すると、月から十六夜の陽の月の気が降りて来て、さーっと辺りを洗い流す。
その気が通り過ぎると、皆の顔が一斉に賢者のようにスッと改まった。
「…退いた。」
匡儀が、不思議そうに自分の手を見る。黙って聞いていた、蒼が言った。
「維月の力は十六夜が消せるのですよ。維月は常、勝手に十六夜の力をこうして自分の気の不始末を処理するのに使うので。十六夜はそれを許しているので。」
維月は、維心の腕の中で扇を上げて、顔を隠して頬を膨らませた。不始末って口が悪いこと、蒼ったら。
《こーらお前ら、後ろがつっかえてるぞ。さっさと歩け。》
十六夜の声が、突然言った。
言われてハッと後ろを見ると、維心達が立ち止っているので、後ろは自然立ち止る事になり、ぎゅうぎゅうと回廊に詰めて来ている。
維心は、急いで足を進めた。
「さあ、早う宴席へ。維月の気ぐらいで騒ぎよってからに。」
維心は不機嫌になったが、炎嘉がそれを横について歩きながら、諫めた。
「維月の気ぐらいとは何ぞ。我だってあれに慣れるまで数百年掛かったわ。皆困るのだから、主らも節操なくあっちこっちで愛情を確かめ合うでない。何百年一緒に居るのだ。」
維心は、フンと鼻を鳴らした。
「うるさい。十六夜が洗い流してくれるのだから良いのだ。」
十六夜の声が、それに答えた。
《別に力ぐらいいくらでも使ったらいいけど、気を付けろよ。面倒は起こすな。》
碧黎が見ているだろうから、とは十六夜は言わなかった。
しかし、維心も維月も、十六夜がそれを気にしているのだと、やはり維月を月から下したくないのだと知って、顔を見合わせた。
それからは皆黙って、宴の席が設えられている内宮の東大広間へと粛々と歩いたのだった。