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懐かしい声

椿は、あっさりとしていた。

自分は、何か一所に留まって生涯を過ごすような、生き方は似合わないような気がする、と最近思っていたのだ。

驚いた事に老いが停まったのか、300を超えた辺りから老けなくなった。

駿も同じように老いが停まったようで、二人はいつも、同じような見た目のまま、穏やかに生きていたのだ。

どちらかが死ぬまで一緒に居たら、その後自分が残ったならどんな生き方をしようか。

椿は、そんなことを考える自分に自分で驚いた。王の駿より長生きするなんて、自分の気はそこまで大きい訳ではないのに。

だが、いろんな神が死ぬのを見送っていたような、そんな遠い記憶があるような、そんな気がして最近は落ち着かなかった。

母が不憫がり、父が気遣ってくれて今は西の島南西の宮で過ごしているが、いつまでも厄介になるのは悪いな、とも思う。

だが、これからどこかへ嫁ぐというにも敷居が高い。何しろ、自分が駿の妃であった事実は皆の記憶に新しいし、自分は妃という職業とは別の、何か他のことをして生きて行きたいような気がして来ていたのだ。

駿からは、毎日ほど文が来ている。だが、もう実家へ戻ったのだ。あの宮では、もうやり残したことはないように思う。駿は、瑤子に気持ちを移したのだし、後は若い瑤子に任せて、次の人生を考えようと思い、もうあちらへ帰るつもりは無かった。

椿が毎日退屈だと、駿の事も忘れてぼーっと過ごしていると、ふと、翠明に客が来ているのに気付いた。

誰が来たのだろう、とそっと覗きに行くと、そこには箔炎が、何やらたくさんの包みを持って、父と話していた。

椿は、箔炎を見て思った。

そうだ…箔炎様がとても懐かしいのだった。

椿は、じっと箔炎を見つめた。あの若い頃に将来を誓い合って話したのが、二人で会った最後だった。あれからは、駿について宴などに出る度に、姿は見ていたが言葉を交わすことは全く無かった。

だからといって、箔炎と婚姻とかそんな気持ちではない。

ただ、懐かしい昔語りしたい、と思った自分に驚いた。

昔語りと言って、あの時滝の前で話したことぐらいしか、二人の間には無かったのだが、ただ懐かしい、と今も思った。

父が、箔炎に言っている。

「そんなにたくさんの楽器をすまぬな、箔炎殿。綾が、椿の鬱々とした気持ちを晴れさせたいのだと申して、十七弦以外にも教えてやりたいと申すのだ。あれの老いが参っておって体力も無いし、残りの生は椿にいろいろ教えてやりたい…と。」

箔炎は、微笑んだ。

「良い。我が宮には昔から良い職人が居っての。宮の者達には軒並み下賜しておるから、臣下もよう楽しんでおるのだ。これは、我ら王族用に作られたもの。気に入ってもらえたらと思うがの。」

楽器を持って参ってくださったのだわ。

椿は、思ってみていた。すると、後ろから綾の声がした。

「椿。箔炎様ですか?」

椿は、ハッとして振り返った。母は、気配も無く寄って来ていたのか。それとも、自分が必死に見入っていたから気付かなかったのか。

「え?あの…」

椿が、驚いてしどろもどろになっていると、綾は扇をサッと胸元から引き出して、顔を隠すと、翠明の横へと静々と歩いて行く。

椿は、焦った。まさかお母様、私が盗み見ているとかばらすんじゃないでしょうね。

椿がハラハラして見ていると、綾はそれは優雅に頭を下げた。

「これは、綾殿。」

箔炎が言う。綾は、頭を上げて、にっこりと笑った。

「誠に、このようにたくさんのお品をありがとうございます、箔炎様。これで椿の気も晴れようと、我も安堵しておりますわ。」

箔炎は、神妙な顔で頷いた。

「誠に、記憶の玉まで取って己の無実を証明されたとか。誠に並々ならぬ覚悟を感じた。清々しいご気性は変わらぬようであるの。」

やはり陽華であるな。

箔炎は、そう懐かしく思っていた。今は別に、娶りたいとも娶りたくないとも、特に考えてもいない。あまりに長く生きた前世の記憶を戻したことにより、そんな感情も忘れてしまったような感じだ。

一度話してはみたいもの。

箔炎がそう思っていると、綾が言った。

「ならば…あの、お暇潰しにでも、一度お話を聞いてやって頂けませんでしょうか?誠に、宮に居るだけで何もしておらぬで。あの活発な子が、あのようなのは我も案じてなりませぬの。お時間が許す限りでよろしいので、お庭にでも、いかがでしょうか…?」

翠明も驚いた顔をしたが、箔炎も驚いた。そういえば、駿の妃であったからあれから口を利いていないが、もう戻っているのだから話すぐらいいいかもしれない。

なので、懐かしい気持ちに抗えず、頷いた。

「…ならば、少しだけ。あまり長いと、椿殿にもお疲れになろうしな。」

綾は、ぱあっと明るい顔をした。

「まあ!では、南のお庭へ。椿に、そちらへ参るように申しておきますわ。」

箔炎は、頷いた。

「では、そのように。」

箔炎が答えて、翠明に挨拶をしているのを横目に見ながら、綾は脇の仕切り布の間へと目配せした。

早く戻って、着替えてらっしゃい!

その目は、そう言っていた。

椿は、母の形相に驚いて、慌てて転がるように部屋へと戻った。軽く化粧をして、父に仕立ててもらった新しい着物を引っ張り出し、それに腕を通すと、神の自分の戻る気がする。というか、自分は神なのに、どうしてこんなことを思うものか。

椿は、急いでベールを引っ張り出して、南の庭へと急いだのだった。


急いだつもりだったのに、南の庭へと出ると、もう箔炎が待っていた。

やはり鷹族の王なので、他の宮の庭に出るには、軍神達が足元に控えているようだ。

箔炎は、椿が歩いて行くと、目を細めてそれは穏やかな、遠くを見るような顔をした。

「…椿殿。久しいな。」

椿は、その顔を見て、会いたかった、と思った。そして、それが遠いあの日、庭を初めて一緒に歩いた日にも、持った印象だったのを鮮やかに思い出した。

…そうだ。我はあの時、このかたに会いたかったと思ったのだった。初めてお会いしたにも関わらず…。

「箔炎様。」椿は、自分から手を差し出した。「なんとこのように長い間お会いしなかったにも関わらず…初めてお会いした日の事を、今思い出しましたわ。」

箔炎は、微笑しながらその手を取ると、言った。

「お互い子供であったもの。だが、主は女神には珍しく老いが止まっておるような。美しいままぞ。」

椿は、フフと笑った。

「お互い歳を取りましたこと。我も…いろいろあって、あの頃のように何も分からぬ子どもではありませぬわ。こうしてお会いできて、大変に嬉しく思うておりまする。」

それは、艶めいた意味でも無く、ただ命が震えるような気持ちを素直に言っただけだった。箔炎も、驚いたことにそれが分かるのか、頷いて歩き出した。

「参ろうか。我も久しく庭など歩いておらなんだ。主と共に、しばし話そう。」

そうして、二人はずっと会っていた間柄のように、すぐに打ち解けて笑い合いながら、庭の奥へと歩き出したのだった。


箔炎は、隣りを歩く椿に、懐かしい気持ちでいっぱいになった。記憶が戻ったのを打ち明けた後、維心と炎嘉から、椿が陽蘭の、つまりは自分が陽華と呼んでいた女の、生まれ変わりなのだと聞いてはいた。

しかし、既に椿は駿の妃であったし、自分が転生の時に陽華を捨てて来てしまったのは覚えていたので、お互い様だと諦めた。一度捨てたものを、また拾いたいとは勝手なことだと思ったからだ。

しかし、こうして久しぶりに面と向かって、記憶を持った自分が会ってみると、やはり懐かしく慕わしい気持ちが胸を打つ。

陽華は、どれほどに自分を愛してくれたことか。

自分が死ぬ前はずっと気を補充し続けてくれ、死んだ後も黄泉までやって来て共に居た。だが、箔炎の転生が決まり、寿命のある普通の命でまた箔炎が死ぬことに耐えられなかった陽華が、不死の命を求めて現世に帰り、箔炎のために不死の同族達との間に命が欲しいと狂ったように同族との間に軋轢を生んだ。

その結果、碧黎を激怒させて箔炎が記憶を失くして普通の命に転生することになってしまい、陽華はそれに絶望し、そうして己もまた、死ぬことが出来る命へと転生し直したのだ。

そこまで愛してくれていたのに、自分は陽華を捨てて、記憶を捨てて、普通の命で生まれたい、と碧黎に言った。

それは、まだ昨日のことのように覚えている。

それなのに、自分はこうして記憶を持って、陽華を懐かしんでいる。

勝手なことよ、と、箔炎は自嘲した。一度は面倒だと思うほどに愛してくれた女を、離れて再会した今、また懐かしく慕わしく思う。

椿はというと、そんな記憶は持って来ていなかった。

ただ、懐かしそうに微笑んで、あの時のように美しく快活そうな顔で、こうして自分に寄り添って笑っている。

そのまま、箔炎と椿は、時が経つのも忘れ、まるでずっと昔から共に居たように、庭の木々や花などを愛でながら、話して歩いていたのだった。

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