何が大事か
十六夜が迎えに来て帰って来た月の宮では、蒼が維月を待って出迎えてくれた。
本当に帰って来るのは久しぶりで、前に帰ったのは一年ぐらい前ではないだろうか。例え帰って来なくても、十六夜とは毎日月から話しているので全く問題ないのだが、ここへ帰って来る事で、十六夜と童心に帰って羽目を外して遊び回れるのもあって、維月はやっぱり嬉しかった。
「蒼、出迎えありがとう。やっと帰って来られたわ。でも、維心様が悲壮な顔をしていたから、きっと数日中に来ると思うの。来られたらよろしくね。」
蒼は、苦笑して頷いた。
「維心様もここのところ見なかったものね。そうか、維月が帰って来てなかったから維心様も来てなかったのか。分かったよ、来られたらまた相手しとくよ。」
十六夜が、脇で言った。
「で、お前聞きたいことがあったんだろ?部屋へ帰る前に先に聞いとけよ。やることやってから遊びに行きてぇ。親父が南の無人島に温泉掘ったって言っててさ。ちょっと行って来ようって思ってるんでぇ。」
維月は、目を丸くした。
「え、温泉を掘ったの?!お父様が?!」
十六夜は、頷く。
「なんか自分の体の事だし、この辺りが出るって分かるんだってさ。で、その上にある島を探したら、その無人島があったから、掘っといたって。温度はぬるめらしいけど、冷たければ沸かすから良いって言ってた。」
維月は、手を叩いて喜んだ。
「嬉しい!」と、蒼を見た。「蒼も行く?」
蒼は、困ったように笑って首を振った。
「オレは王だからそうポンポン行けないんだって。今は預かりものもあるし。」
維月は、それを聞いてスッと真顔になった。そうだった、そのことを聞きたかったんだった。
「そう、それなの。あれからもうふた月半よね?駿様は何も言うて来ぬの?」
蒼は、居間へと歩きながら首を振った。
「こっちから問い合わせたら返っては来るんだよ。でも、今それどころでないようで、もうしばらく預かってくれって言って来る。もう何回も問い合わせの書状を送ってるのに、いつもそれなんだ。段々やる事だって無くなって来るだろうしさあ、オレが毎日毎日話し相手ってのもおかしいだろ?初子も慣れて来てここの侍女と仲良くしてるんだけど、なんかここが家みたいになって来てるんだよな。」
維月は、眉を寄せた。
「初子って誰?」
蒼は、え、という顔をした。
「瑤子殿の侍女だよ。大陸からついて来た乳兄弟だって聞いてるけど。ああ、そういえばこっちでは三条って呼ばれてたって言ってたっけ。でも瑤子殿は初子って呼んでるからオレもここの侍女も初子って。」
侍女達は、そこで呼び名を付けられたりして、それが芸名のように、仕事をしている時はそれを使うということがある。初子も、こちらへ来て三条という名を付けられたのだろう。
「瑤子殿はどう?ここへ来て、楽になった感じ?私、多分龍王妃として記憶されてるから、この軽い感じで会うのはどうしようかなって思っていて。それでなくても模範的な皇女なんだもの、私がこんな感じだって知ったらショックでまた寝込むかもしれないし。」
しかし、それには十六夜が横から言った。
「オレだってしょっちゅう話に行ってるが、あいつはそんなこた気にしねぇぞ。ここへ来てもきっちりしようとしてたんだが、そんなきっちりしなくて良いって蒼もオレも諭したんだ。そしたら、憑き物が落ちたみたいに楽に過ごすようになってさ。毎日のんびりしてるさ。やっぱり、気を張って暮らしてたみてぇだな。」
ここの気は、それでなくても清浄で癒される。気を張って一生懸命過ごしていたのなら、ここへ来てきっとホッとしているはずなのだ。まして、この宮は礼儀にうるさい者などおらず、侍女も常に詰めているのではなく、呼ばなければ来ない。
そんな放って置いてくれる環境が、また瑤子の心を癒したのだろう。
「良かったわ。でも、ここは仮の居場所であるのだし、そろそろ駿様にお迎えに来て欲しいでしょうね。お寂しいこともあるのではないかしら…。」
蒼は、頷く。
「十六夜はそんなこたねぇとか言うけど、オレもそれは思うんだよな。維月だってしばらくしたら維心様に会いたくなるだろ?十六夜は飽きて来て月に帰ってしまうし。」
維月は、苦笑しながらも頷いた。
「それは維心様はいつもお傍に居てくださるかただから。お会い出来ないと寂しくなるわ。それも、ふた月も顔も見に来てくださらないなんて…悲しくなってしまうかも。」
十六夜が、ハハハハと笑った。
「維心に限ってそりゃねぇよ。来れなかったら手紙送って来るじゃねぇか。今日だって絶対夜に来るぞ。賭けてもいい。」
維月は、ぷうと頬を膨らませた。
「もう、そんな言い方しないで。いつも思ってくださってるなって、安心するんだから。」と、言ってしまってから、ハッとした。そうだ、瑤子もきっとそうなのに。「…瑤子様だって、寂しいと思うわ。駿様は何を考えていらっしゃるのかしら…。」
十六夜が、維月の肩を抱きながら、言った。
「じゃ、一回瑤子の顔見に行こうや。大丈夫だって、お前が帰って来ることは言ってあるし、龍の宮に嫁ぐまではめっちゃ甘やかされて育った撥ねっ返りなんだぞって話してあるから今さら驚かねぇと思うぞ。」
維月は、目を丸くした。
「ちょっと!せっかくきっちり龍王妃として振る舞ってたのに!ネタ晴らししないでよ!」
言いながら、十六夜に連れられて維月は移動して行く。
蒼も、だったら顔を見に行くか、と思い、その後について歩いて行った。
一方、駿は、それどころではなかった。
本当は瑤子をこちらへと迎え入れ、元へと戻してから椿のことを考えるべきなのだろう。
だが、椿が出て行ってしまってこのかた、勝手な事に駿は、椿の事ばかりを考えていた。あの時、瑤子が来て瑤子にばかり通っていた自分なのに、椿にもう二度と会えないかもしれないと思うと、まるで胸に大きな鉛を込められたように重苦しく息苦しくなり、立ち直れないほどに後悔が襲って来る。
それに、これまでは椿がいろいろと采配して回してくれていた宮なので、椿が居なくなった途端に、皇女達が必死になって、騮や騅に聞きながら回すしかなくなっている。
そんな宮なのであちこち乱れていて、どことなく落ち着かない雰囲気になってしまっていた。
駿は、自分が椿が居たからこそ、瑤子を娶って幸福にしていられたのだと思った。
今、椿と瑤子、どちらを取り返したいと言われたら、迷わず椿と答える。まさか、椿が居ないということが、これほどにつらく苦しい事だとは思わなかったのだ。
椿まだ、若く美しかった。若いといっても、歳は自分より少し下なだけだが、自分と同じように老いが停まっているのか、その歳とは思えない若々しい姿だった。
瑤子が若くて美しいとはいって、椿だって並べても遜色はない。ただ、新しい女に浮かれていた自分が、駿は恨めしかった。いったい、何をしていたのだろう。椿は、それでも上手くやろうとしてくれていたのに。自分が上手く回せなかったばかりに、椿はここを出て行ってしまった。何度文を送っても、宮へ直接訪ねても、決して返事が来ることも無く出て来ることも無く、あれから声すら聴けぬまま過ぎて行ってしまっていた。
このまま、二度と会えないのだろうか。
駿は、絶対に説得したら帰って来てくれるものだと思っていたのだ。
だが、椿は話も聞いてはくれない。果たしてあの宮に本当に居るのかどうかも、分からない有様だった。
今日も、送った文に綾からの丁寧な断りの返事が返って来て、椿の気配すら、感じられぬまま日が過ぎてしまった。
駿がガックリしていると、騮が入って来て、言った。
「父上。」
駿は、気が無い風に顔を上げた。
「何ぞ。何があったか。」
騮は、頷いた。
「噂なのでありますが。母上のことでありまする。」
駿は、目を見開いた。椿の噂…?!
「椿が、何か言うて来たのか。」
騮は、首を振った。
「いえ、母上からは何も。しかしながら、母上は父上のお文にも全く反応も返されないので、本当にあの宮に居るのかと思い、母上にと反物を贈る時に、岳に行かせたのです。」
岳とは、筆頭軍神だ。駿は、何度も頷いた。
「それで?椿は居ったか。」
騮は、ゆっくり頷いた。
「居られたようです。誰か、忍びで来ておるようだなと思いながら文を持ってお祖母様に対面したそうですが、隠したそうな素振りで、早く帰って欲しいという感じであったとか。それでもお返事を待つと言うと、綾様が渋々奥へ引っ込まれ、お返事を書いて来られたとのこと。その待ち時間の間に、ふと庭を見たら、鷹の軍神が居て。甲冑は、間違いなく鷹の甲冑の色だったと言うておりました。気になって目を凝らすと、軍神達が向く方向、遠く庭を、母上と、箔炎殿が並んで歩いていらしたとか。」
箔炎…?!
駿は、絶句した。確かに昔、箔炎との縁談があった。それを推し進めようとした父親の箔翔の意向を無視して、脇から椿をかすめ取ったのは駿だった。
あれから、箔炎には、まだ妃は居ない。
まさか、椿が実家へ帰ったのを見て、すぐに椿に言い寄っておるのでは…!
駿は、居ても立ってもいられなくなり、立ち上がった。
「父上?!」
駿は、窓を方を見た。
「翠明の宮へ行って参る。」駿は、窓枠に足を掛けた。「話さねば。」
騮は、それを慌てて追って首を振った。
「父上、もうそれはお諦めください。母上は頑固でいらっしゃるから、これ以上は逆に面倒だと逃げてしまう恐れがありまする。それよりも、蒼殿に長く預かってもらっておる瑤子殿をこちらへ迎え取らねば、いくら何でも蒼殿に失礼に当たりまする。母上が、最後に仰られた事を思い出してください。瑤子殿を、しっかりお世話せねば宇洲殿にもどう言い訳なさるのですか。」
駿は、そんな騮の手を振り払った。
「うるさい!我は、椿さえ居ったら何も要らなんだのに!」
駿はそう言いながら、窓から飛び出して行った。
「父上!」
ならばなぜに大陸から妃を迎えたのよ。
騮は、心の中でそう思いながら、間違いなく賢い王であったのに、これほど迷走する父に、女と申すのは、ようよう考えて娶らねばならぬ、と心から思った。




