真実
侍女の一人が進み出た。それは、長く仕えている元は椿の侍女であった、成瀬だった。
「はい。鳥の宮の侍女が、退出しようとしておる我らに、近道をと連れて参ったのですわ。そこであのような事に。我らも、一瞬の事で何が起こったのか分かりませんでした。」
椿は、淡々と続けた。
「異なこと。北へと向かうのを主らが分からぬはずなどないでしょう。近道と申すなら、一度主回廊に出て東へ参らねばならぬはず。北は反対側で何もないわ。なぜに黙ってついて参ったのですか。」
成瀬は、椿の強い様に怯えて下を向いたが、震える声で答えた。
「それは我らの責でありまする。鳥の宮の侍女が申すのに、否とは申せませぬし…あちらに新しい道でも出来たのかと思い、つい…。」
椿は、更に続けた。
「鳥の宮の侍女とは懇意であるわね。常磐とかいう名であったとか。我も知らぬけれど、主らは知っておったの?」
成瀬は、首を振った。
「いえ、見たこともない侍女でありました。新しい侍女であるのかと…。」
椿は、ムッツリと言った。
「そう。ということは、あなた達は知らぬ侍女が申すことを鵜呑みにして、北などに有るかもしれない近道を行く事を選んだと言うのね。己の主人を連れて参るというのに、そんな事を許すなど何と愚かな侍女であることか。そのような者達を、奥に置くわけには行きませぬ。」
すると、脇に居た今も椿付きの侍女である、大江が慌てて言った。
「あのような宴の後で、別の宮の中判断を誤っただけでありますわ!椿様であられたら、そのような者について参る事を許されなかったでしょう。瑤子様にも責がおありなのではありませぬか?」
椿は、大江を睨んだ。
「そう。あなたもなのね。」と、言った。「騮!」
騮が、脇の仕切り布の間から出て来た。椿は言った。
「聞いておったでしょう。恐らくは皆が皆、何かを知っておるはず。問い質して王にご報告を。」
騮は、頭を下げた。
「は。母上。」
軍神達がわらわらと入って来る。
成瀬が、必死に叫んだ。
「お待ちくださいませ!我らは何も知りませぬ!椿様!」
しかし、椿は険しい顔で言った。
「何も知らぬかは王がお戻りになる前に、皇子達が記憶を読んで知ることでしょう。何もないなら戻してやれる。参りなさい。」
侍女達は、軍神に引っ立てられて行った。
椿は、己の侍女のことに、誠に何も無ければどれ程に良いか、と頭を痛めていた。
駿は、月の宮に瑤子を預けて帰路についていた。
瑤子は、腹の子を失った事でかなり憔悴しており、駿も楽しみにしていたのでそれは残念だったのだが、それを表に出して、言うことも出来なくなった。
焔は、己の妃を何とかしろという。
だが、駿はどうしてもし椿がやったとは思えなかった。
椿は、気は強いがこれまでそれに何度助けられて来たか分からない。いつも潔い性質で、こちらに怒っていても、一度許すと言ったらケロッとしていた。
瑤子を娶ることになった、と伝えた時にも、覚悟はしていたので心おきなく、とあっさりとしていたものだった。
なので、瑤子が来てからの不機嫌さには、どうにも納得がいかなかった。
侍女達が瑤子の事で機嫌が悪いと言っていたのでそうなのかと思い込んでいたのだが、椿本人の口からそれを聞いたことは、一度も無かった。
駿は、椿を信じていたのだ。ことこんなことになっても、どうしても椿を疑えないのには、そんな訳があったのだ。
瑤子は、月の宮に着いた頃から目に見えて表情が明るくなった。
あの清浄な気の中に入ると、心の痛みもたちどころに癒されると聞いていたが、駿自身も同じようにそれで冷静になれたので、本当だったと思った。
騮が知らせて来た通り、後は蒼に任せて、大陸から連れて来ていた三条一人を共に、置いて来た。
あの場所で蒼に預かってもらっている間に、心は重いが椿としっかり話し合っておこうと思っていた。
宮へと到着すると、椿は出迎えていなかった。
代わりに、騮と騅が並んで立っていて、駿を出迎えた。
「…母はどうした。」
騮が、それに答える。
「母上には父上が全てを聞いてから改めてお話をと申されておりまする。」
駿は、それを聞いてギクリと顔を凍らせた。もしかして、騮と騅が椿を問い質して何か分かったのか。
「…では、話を聞こう。何か分かったか。」
騮は、頷く。
「はい。お話致します。奥へ参りましょう。」
駿は、騮にそう言われて、黙っている騅と共に、置くの居間へと足を進めた。
奥へと着くと、いつもうるさいほど感じる侍女達の気がしない。人払いをしているのは確かだった。
「…何が分かった。」
駿が、正面の椅子へと座り、聞きたいような聞きたくないような複雑な気持ちのまま、言った。騮と騅は顔を見合わせたが、騮が言った。
「はい。まず、これを。」騮は、懐から透明の玉を幾つも取り出した。「母上のご命令で、我と騅が侍女達から集めました記憶の玉でございます。」
駿は、それを見つめた。椿が命じた?
「椿が?侍女が何だ。」
騮は、頷いてその玉を目の前の小さなテーブルの上に置いた。
「何分量が多いので、二人で手分けして全て確認致しました。結論から申しますと、これは全て、侍女達が画策したものでありました。」
駿は、仰天した顔をした。侍女が…?!
「侍女がと?!まさか…あの、瑤子につけておった侍女達か。」
騮は、首を振った。
「正確にはそれだけではありませぬ。母上付の侍女も手を貸しておりました。」
駿は、険しい顔で怒りを表しながら、言った。
「侍女ごときがなぜにそのような事を。あれらは長く仕えて椿に教育された者達ではなかったか。」
騮は、騅を見る。騅は、言った。
「だからこそでございます。我らも幼い頃から見知った者で、母上と同じように信頼しておりました。ですが、あれらがあのような事を謀ったのは、瑤子殿の侍女に選定されたからなのです。」
駿は、目を見開いた。瑤子の侍女が、嫌だったと申すか。
「瑤子は、大人しい性質で侍女につらく当たる事も無い女ぞ。不満などあるはずはあるまいが。」
騅は、騮を見た。騮が答える。
「…どうやら、あれらは母上の侍女としての己を誇りに思うておったようです。瑤子殿は、確かに淑やかで王にとって申し分ない妃であられますが、あれらは母上の明るく潔い性質に慣れており、また、母上が細かい事を気にせぬのに対して、瑤子殿は侍女達に対して、かなり言語統制も敷いて厳しくしておられたようで。茶器が触れ合う音すら咎められ、私語も厳禁。確かに上位の王妃はそのようなので、瑤子殿は間違っておられませぬ。侍女の質は妃の質と同義と言われておるので、そういう躾はどこの宮でもあるもの。母上は公の礼儀を完璧にしておれば、お傍で共に茶を嗜んだり、話したりと友のように接するかたです。侍女達は、そちらへ戻りたいと思うたようで、瑤子様さえ居なければと、ああして嫌がらせの限りを尽くしておったようで。」
椿は知らぬのか。
駿は、ホッとして力の抜けるのを感じた。やはり、自分が信じていた椿は、椿だったのだ。
「…だが…椿は機嫌を悪くしておって、我も当たられたりしたが、あれは?」
騅が、それに頷く。
「あれは、母上が侍女を通して何度も瑤子殿に話をしようと打診しておるのに、瑤子殿が断っておって、全く交流出来なかったからでございます。実際は、侍女達が間で申し合わせ、それを瑤子殿に伝えずに居たからでありました。他にも、母上には瑤子殿があちらでこのように悪く言っている、と申し、瑤子殿にはそういった軽口すら許されておらぬので、ただ持って来られた百合を折ってみたり、胡弓の音がうるさいと母上が言っている、と伝えたりと様々な嫌がらせを。終いには、お祖母様からのお文も先に確認し、お祖母様が胡弓を聞きたいから打診して欲しい、というて来ておるのにも、己らで勝手に代筆の文で断りを。母上は、元よりそのようなことをお考えではなかったのです。父上は、母上が十七弦をお祖母様に教わっておるのを、ご存知ないでしょう。」
駿は、茫然とそれを聞いていた。椿は楽にはからっきしなのだと…。
「…知らぬ。そんな音を宮で聞くことも無いし…。」
「瑤子殿と交流なさろうときっかけを探ってらしたのです。」騮が、苦々しい顔で言った。「我らも知らなんだ。父上が瑤子殿を連れてこちらを出発なされた後、隠れて練習なさっており知りました。父上には内緒だと仰って…瑤子殿と合奏をして、驚かせようと思うておるとか。我は、母上のご性質を知っておったはずなのに。誠、ご信用せなんだことを、心より悔みましてございます。」
騅も、涙目になって言った。
「母上は何もご存知ではなかった。我に記憶を取れと仰って、せねば我も同罪と殺せば良いとまで仰るので、やむおえず記憶の玉の複製を取らせて頂きました。その中の一つが、それの中にございます。誠に…母上は、最初から瑤子殿と上手くやろうと思うておられたのに。全て阻まれ、父上に席を設けて欲しいと仰っておるのに、父上はそれをなさらなかったのでしょう。」
騅は、駿を責めているようだった。
言われてみれば、そうなのだ。椿は、なかなかに時間を取ってくれない瑤子に、ならば駿から言ってもらって話をしようと考えて、駿に訴えていたのだ。それなのに、侍女達が話すことを鵜吞みにして、瑤子が委縮してしまうだろうとのらりくらりとそれを避けた。だから余計に、椿はイライラとしていたのだ。
我のせいか。
駿は、肩を落とした。椿を信じていると言いながら、どこかで信じてなかった。瑤子を守ることばかり考えて、椿を瑤子から遠ざけた。そしてますます、事態は悪化し侍女のやりたい放題になり、今回のような事態を招いてしまったのだ。
「…椿と話さねば。」駿は、項垂れて言った。「そんなはずはないと思いながら、我はあれを信じ切れておらなんだ。」
騮も、それには神妙に頷いた。
「我も、騅もでございます。母上の事をご信頼して差し上げられなかった。侍女達は、此度瑤子殿がお子を産んだらいよいよこの宮に居座ってしまうと懸念して、母上のもとへ戻りたさにあの事件を起こした。瑤子殿が顔の知らない侍女を一人、紛れさせておき、それに鳥の宮の侍女のふりをさせて北へと誘導し、それが灯りを消して倒れるのを合図に、皆が気を失ったふりをする。そうして、逃げようとなさった瑤子殿の足を掴み、転倒させたのです。三条と瑤子殿だけが気を失わなかったのは、そのためでした。思惑通り、瑤子殿は子を失い、己らは椿のもとへと戻って来れた。しかし、その事で母上がいよいよ気取られ、我にも聞いておるようにとお傍に置いて、あれらに問い質されてことは発覚致しました。父上、母上とお話をなさってください。」
駿は、頷いた。この宮の一番の功労者であった椿を疑い、回りが何を言っても庇ってやらなかった自分を、椿は許してくれるだろうか。
駿は、暗い気持ちのまま、椿を呼ぶように言った。
騮と騅は、遠慮してそこを出て行った。




