再び
弓維は、高瑞と会っていた。
まだ維心に婚姻の申し込みは出来ていないのだが、実は明日の朝、龍王を控えの間へと訪ねて、そこで直接頼もうと思ったのだ。
弓維は、そこで維心と維月と共に、待っているようにすることにした。
「なぜに知っておると言われたら、正直に文を取り交わしておったとお答えしますから。高瑞様には、我を気遣って偽りなど仰らなくてよろしいです。あの、お父様はとても鋭いので、少しでも不穏な色を見たらそれで否と仰るので…。」
高瑞は、何度も頷く。
「正直に参らねばならぬという事よな。分かっておる。必要とあれば、いろいろお話するつもりでおる。今は、過去の事も話せる気がするのだ。」
弓維は、気遣わし気に高瑞を見た。
「ご無理はなさらないでくださいませ。きっと、お母様は分かってくださいます。お父様のことは、きっとお母様がなんとか…。」
結局母頼みになってしまう。
弓維は思って不安になった。やはり、先に母に話しておいた方が良かっただろうか。
しかし、高瑞は言った。
「そのように案じるでない。もし明日良い返事がもらえなくとも、我が時を掛けてご説得しようと思うておるから。ゆえ、明日もし駄目でも気を落とすでないぞ。普通、龍王の皇女を戴くのに、何の根回しもなくいきなり言うていきなり娶るなど無理なのだ。分かったの?」
弓維は、頷きながらも、やっぱり母に言っておけばと悔やんだ。だが、今から行くわけにはいかない。母は今父と一緒だろうし、邪魔をしたら父が怒るだろうからだ。
「ああ…宴の時に言うておったら良かったですわ。でも、皆様の合奏にすっかり呆けてしもうて、そんな事に頭が回らなくて…。我の責ですの…。高瑞様の筝の音が耳についてしもうて…本当に優し気であって、安心するような…。」
高瑞は、苦笑した。
「主が気に入ったのなら良かったことよ。あのように名手ばかりの中で弾くのは我も気が退けたのだがの。主も、良い音であったぞ。大変に愛らしい中に艶も感じて。我とて、主の音ばかり追っておったわ。」
弓維は、ぽ、と顔を赤くした。
「ま、まあ…。嬉しいですわ…。いつか、共に合奏出来たらと思います。」
高瑞は、頷いて弓維の頭を撫でた。
「ではの。明日のためにも長くは出ておってはならぬ。」
「はい。」弓維は、嬉しそうに高瑞を見上げて、その手にそっと触れた。「また、明日。」
そうして、ササッと廊下に出る。
すると、弁えている侍女がサッと弓維に中が透けないベールを被せ、辺りを見回してから、手を引いて部屋へと戻って行く。
高瑞はその後ろ姿を見送りながら、長期戦になることを覚悟して、まずは第一歩だと決意を新たにしていた。
維心が部屋へと帰って来ると、維月が心配そうに出て来て、言った。
「維心様、お帰りなさいませ。いかがでしたか?」
維心は、ため息をついて額飾りに手をかけて外しながら、答えた。
「瑤子が北の庭の沿っておる回廊の所で、侍女達と共に倒れておったのだ。」
維月は、維心の着替えを手伝おうとしているところだったが、え、と手を止めた。
「えええ?!それ…それは、大丈夫でしたの?!」
維心は、維月に着物を脱がされながら、頷いた。
「とりあえずはの。三条と申す侍女以外、皆が回廊の上に倒れておったらしい。瑤子は回廊から落ちて下で倒れておったそうな。気を失っておったが、治癒の鳥が治癒の対へと運んで行った。」
維月は、カタカタと震えて来る手で維心を着付けながら、言った。
「なぜに…北の回廊などに。」
反対方向なのに。
維月が震えているのを感じて、維心はその手を握った。
「落ち着かぬか。腹の子のことは分からぬが、これはどう考えてもおかしいのだ。皆が気を失い、残っていたのは若い侍女一人。拐いたければいくらでも拐えたし、殺したければもっと容易であったろう。なのにそれをせず、ただ皆が皆、気を失っておっただけ。獅子の宮への何某かと考えたとしても、駿は敵を作らぬ性質であるし、瑤子の腹の子は男で女でも、例え命を落としても宮は動じる事がない。皇子が二人も居るからの。つまりは腹の子を狙った訳でもない。目的が見えぬのよ。」
維月は維心を着替えさせ終えて、共に椅子へと腰掛けた。
「…顔を知らぬ誰かが、瑤子様をあちらへ誘導したものの、お人違いであったので何もせずに去ったとか?」
維心は、首を振った。
「あの場に近道だと誘導した女は、鳥の宮の侍女だと言うていたらしい。主はここの侍女とは面識があって知らぬ侍女には警戒するし、そもそもこの宮を知っておるから騙されぬ。他の妃や皇女も本人が知らぬでも侍女が度々訪れておるからここを知っておる。そんな甘言に騙されるのは瑤子しか居らぬ。ここを知らぬからな。それを知っておる者の犯行としか考えられぬから、最初から瑤子を狙っていたと我らは判断した。」
維月は、眉を寄せた。
「それは獅子の宮の侍女とて同じですわ。私が見知っておる慣れた侍女達でありました。」
維心は、じっと維月を見つめた。
「ならばその侍女達も噛んでおったらどうよ?」
維月は、首を振った。
「そのような!あの者達はよく龍の宮にも来ておったのですわ。椿殿と共に…」
言ってから、維月はハッとした顔をした。椿…そう、椿の侍女だった。あの宮には妃が椿しか居なかったので、いつも入れ替りでいろいろな侍女が来ていたのだ。もしかして…。
「…まさか、椿殿が…?」
維心は、フッと肩で息をついて、頷く。
「大方そうではないかと焔が言うておったわ。あれは前世かなり宮の中で嫌なものを見ていたようでの。暗い顔をしておった。状況からそうであろうが、証拠がない。侍女達も口を割らぬだろう。あやつらは倒れておったらしいが、当て身を食らわされたにしては人影を見ておらぬし、気を放たれたとしても気の残照がなかった。もう時が経ち場所を移動しておるから、それも証明出来ぬ。なので、あれらが倒れたふりをしておったとも言えぬ。が…瑤子が連れて来ていた侍女だけが襲われておらぬのもおかしな話よ。」
維月は、黙りこんだ。後宮の争いは凄まじいのだと聞く。綾ですらもううんざりだと言っていた。維月なら、おとなしくはないのでやり返したり証拠を掴んで維心に言い付けたりしただろうが、あいにく神世の女達はそこまで強くはない。強い者でも陰険な事をやり返し、お互いに牽制し合っているようだ。弱い者は、心労で死んでしまうこともあるのだという。
「…綾様が、本日気取られて。」維月は、言った。「合奏の後の事ですわ。綾様は瑤子様の胡弓を聞きたいと言うておったのに、椿殿は断られたと伝えていたようで。瑤子様はそれを知らぬで、綾様は気取られましたの。何とかする、と仰っていましたわ。女は穏やかな者が勝つのだと。手遅れにならぬうちに…と。」
維心は、それを聴いてあきらめたように言った。
「もう手遅れやもしれぬの。駿は信じとうないようだったが、状況的にあれは椿の差し金であろう。宮に置いて皇子達に見張らせておるらしいが、侍女が噛んでおるなら阻止するのは難しい。瑤子の腹の子は…どうであろうな。明日になれば分かろうが。」
維月は、甘かった、と思った。あれは母。前世は母の陽蘭なのだ。あの激しい気質が今生良い方に出ていて、このまま生涯幸福に暮らして行くのかと見守っていたのに、こんなことになろうとは。
「…困りましたわ。瑤子様を守らなければ。とはいえ、外から出来る事には限りがありまする。私が気に入ったとか申して、しばらく龍の宮に連れて参る事は出来ましょうか。」
維心は、困ったように首を振った。
「他の宮の妃を長く宮に留め置く事は出来ぬな。しばし…そうであるな、体を悪くして療養のために月の宮に、などならいけるやも。あそこは神世の桃源郷ぞ。病を得ていても寿命が延びる場所。あそこなら駿が通う形でしばらく置く事は出来よう。」
維月は、頷いて立ち上がった。
「では、蒼に言うて参りますわ!」
もう出て行こうとする維月に、維心は慌てて言った。
「待たぬか、あれはもう寝ておるわ。騒ぎを気取ってもおらぬようで、見に来ておらなんだ。明日、駿にも意向を聞いてから決めるのだ。もう夜中ぞ。」
維月は、月を見上げた。十六夜…。
《なんだ?》
呼んでいないのに、十六夜が返事をした。
維心が、びっくりして言った。
「呼んでおらぬというに!何ぞ、見ておったか?」
十六夜は答えた。
《見てたよ。みんな主回廊の方に行くのに、瑤子だけ離れてくからなんでだろって思ってな。》
維心は、身を乗り出した。
「見ておったなら早く言わぬか。して?誰か見たか。」
十六夜の声は無表情に答えた。
《さあな。オレには誰も見えなかった。それだけだ。》
言える事と言えない事がある。
十六夜も維月も、月から見えた事をどこまで言っても良いのか、まだ判断はつかないので、最近の十六夜は聞かないと、しかも言えると判断した事しか言わない。
維月は常に見ているわけではないので、見ようと思わなければ見えなかった。
「…やはりか。」
維心は、考え込むような顔をする。
維月は、空を見上げた。
「お母様の良くない性質が心配なの、十六夜。もしかしたらって思ってしまって、もしそうならこれからどうなるのか…。」
下を向く維月に、十六夜はため息をついた。
《…腹の子は助からなかった。》息を飲む維月に、十六夜は続けた。《駿がどうするのか分からねぇが、怒ってるのは確かだ。瑤子は意識を取り戻して、申し訳ないって駿にひたすらに謝ってるよ。瑤子はまだ、どうしてこうなったか知らねぇ。駿も言わねぇしな。だが、駿はまだ椿がやったかどうか半信半疑だ。今のお前の話だと、綾が何とかするってんだろ?それに期待するしかねぇんじゃねぇか。証拠もねぇし、状況証拠だけなんだろ?消去法ってやつで。椿じゃねぇかもしれねぇしな。とにかく、お前は黙ってろ。蒼にはオレが話しとく。月の宮に来させるならそれでもいいんじゃねぇか。》
維月は頷いたが、瑤子の気持ちを思うと居たたまれなかった。まさか、こんなことになるなんて…。
維心が、労るように肩を抱く。
維月は、維心の胸に顔を埋めて、自分の無力さに涙を流した。




