表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/183

練習

維月は、維心から瑤子の窮地を知り、わざわざ瑤子だけを龍の宮へと呼び寄せた。

もし来られぬのならこちらから出向いても良い、と維月が書いて送ったので、いくら椿でもそれを止める事は出来なかったようだ。

瑤子は、問題なく龍の宮へとやって来た。

そして、驚いた。

瑤子は、それはそれは美しく、匂い立つとはこの事かと思うほどに、美しい女神だったのだ。

その上、どこまでも慎ましく淑やかで控えめで、これぞまさに上位の宮の妃、といった風情で、迎えた臣下も軒並み見とれていた。

そんな女神なので、礼儀も完璧で、深々と維月に頭を下げて挨拶をした。

「瑤子様。お会いできて嬉しく思いますわ。」

維月が言うと、瑤子は顔を上げた。

「龍王妃様には、この度お招き頂きましてありがとうございます。我は拙いのですけれど、ご合奏に加わらせて頂けると聞いて大変に光栄に思うておりまする。」

実は皆あなたと演奏が聞きたいのよ。

維月は内心思ったが、微笑んで頷いた。

「我も王にご指南頂いて、まだ日も浅く心もとないのですわ。助けて頂けたらと思うておりまする。」と、裾を蹴り捌いた。「こちらへ。当日ご一緒の、晶子様、舞子様、それに千子様もお呼びしておりますの。」

綾だけ呼べなかったけれど。

維月は思っていた。綾を呼ぶと、椿がまた割り込んで来るだろうからだ。

瑤子はそれで分かったのかは分からないが、頷いて、維月に従って、胡弓が入っているだろう包みを捧げ持つ侍女達を後ろに、歩いて行った。


奥宮近くの応接間に畳を敷いて、そこに座って各々の担当楽器を前に待っていた皆が、維月が入って来たのを見て、慌てて立ち上がろうとする。

維月は、手を上げた。

「そのまま。」と、瑤子を振り返った。「駿様の妃であられる、北西の獅子の王、宇州様の皇女瑤子様でいらっしゃいます。」

瑤子は、また深々と頭を下げた。

「皆様、よろしくお願いいたします。」

皆が、あまりに美しいので口も利けないでいる中、弓維が言った。

「我は、この宮の第二皇女、弓維でございます。この度はようこそお越しくださいました、瑤子様。」

その声に、ハッとしたように皆が皆、瑤子に挨拶を述べる。

そして、やっと座れると、維月は中央にある十七弦の琴の前に、侍女達に手伝われて、やっと座った。

「瑤子様はこちらへ。」

千子が、声を掛けた。楽器によって場所が決められているのだ。

瑤子は、心持ちうきうきとした足取りでそこへ収まり、侍女に渡された胡弓を、愛おしげに手にした。

そして、維月は言った。

「では、始めから。分からなくなった時は、ご遠慮なく止めてくださいませね。」

そうして、爪を手にすると、維月は、戦闘態勢に入った。何しろ、琴と向き合うには体力がいるのだ。

そして、維月が最初のパートを掻き鳴らすのを待ち、皆がそれに合わせて、演奏を開始した。


それから二時間ほど、練習を終えて、応接室には椅子とテーブルが戻されて、侍女達が茶を運んで来た。

それを飲みながらの談笑となった時、維月は言った。

「誠に瑤子様の胡弓の素晴らしいこと。」維月は、本当にそう思っていた。「独奏のところでは、思わず聞き惚れて危うく己の演奏を忘れてしまうところでしたわ。あの物悲しい中に癒しのある音色は、なかなかに出せるものではありませぬ。我はとちらぬようにとそればかりで、あのようにはとてもとても…。」

瑤子は、恐縮して下を向いた。

「そのような…。龍王妃様にも時々にハッとするような良い音が混じって、お心の大きさを思わせるおおらかな音色でございましたわ。あちらの大陸にも、あのような音が出せる者はそう居りませぬ。」

維心様の音色を真似るのに精一杯で、とにかく必死なんだけどね。

維月は、内心思っていた。

「胡弓はあちらで父王様から習われたのですか?本当に素晴らしかったわ。」

晶子が言うのに、瑤子は答えた。

「父は胡弓より十七弦の方で。胡弓は幼い頃より母に習いました。箏も…とても懐かしいこと。」

瑤子の母は英才教育された女神だと聞いている。

ならば、そちらも相当の腕前なのだろう。

さて、そろそろ衣装が重くてつらくなって来た。

「誠に本日は有意義でありました。」維月は、カップを置いて言った。「次は宴の席になりそうですが、皆様には気をお楽になさって、楽しむ事をお考えになって当日をお迎えくださいませ。」

とはいえ、それが無理なのは知っている。

皆は立ち上がって一斉に頭を下げた。

そうして退出しようとする中で、維月はふと、立ち止まって瑤子を見た。

「そうでしたわ、瑤子様。」瑤子は振り返る。維月は続けた。「王が胡弓ならばこれをと、我が宮に有りました物を出させておられますの。帰られる前にこちらへお寄りくださいませ。」

瑤子は驚いた顔をしたが、断る事は出来ない。

なので、退出していく皆を後目に、維月に従って更に奥へと歩いて行った。


奥宮の居間まで来てしまった瑤子は、大変に恐縮した。ここは、余程仲が良い友でなければ、なかなかに入ることを許される場所ではないからだ。

だが、維月がいざなっているのに、足を止めることも憚られる。

瑤子は、恐縮しながらも、粛々と歩いて居間の中へと足を踏み入れた。瑤子の侍女達は、そこから入れないので必然的に扉の前の回廊で、控えていることになった。

「まあ…。」

瑤子は、広く美しいその居間の、珍しい石の色と柱の彫刻、天井の彫刻、そして、何より大きく南に開いた窓から見える、美しい庭に目が釘付けになった。

「どうぞ、お掛けになって。」維月は、傍の椅子を勧めた。「王は只今宮の会合にいらっしゃっておるので、お戻りになりませぬ。何より王が、こちらに持って来させておりますの。」

見ると、傍の大きな大理石のテーブルの上に、布に包まれた何かが置かれてあった。

維月が、侍女に頷き掛けると、侍女が進み出てその包みを開き、瑤子に恭しく差し出した。

「どうぞ、御覧になって。王が昔、宮へと献上された物を大切に置いておられたということですわ。宮ではこれをもとに、職人が幾つか胡弓を作っておるので、王はそちらを弾かれるので、これは瑤子様に、と。」

瑤子は、その胡弓の美しい塗りの腹をそっと撫でた。

これは、貝だろうか。光を受けて七色に光る、美しい貝が表装されてあって、本体にも音を損なわぬようにと細かい彫刻が施されてあり、桃の実やら花やらが首の所にも巻き付くように見えた。

「…このように美しい胡弓は初めて見ますわ。」瑤子は、恐る恐る、それを抱いて言った。「龍王様に献上されるほどの物ですから、それは手の掛かったものでしょう。このように素晴らしい物を、我などが戴いてしまってよろしいのでしょうか。」

維月は、微笑んで頷いた。

「駿様から、瑤子様には大変に良い音を出されるのだと王が聞き知って来られて。」維月は、労わるように言った。「ならば獅子の宮でこれを弾いて欲しいと、王からのご厚意ですわ。どうぞお受けくださいませ。」

龍王から下賜されたものを、弾かぬという選択肢はない。

つまりは、龍王が弾けと言っているのに、宮でそれを禁じる事など、他の誰も出来る事ではなかった。

…もしかして、龍王様は駿様から我が宮で胡弓を弾くことが出来ぬ事を聞かれて…?

瑤子は、そう思ったが、それを口に出さずに、維月に頭を下げた。

「有難く頂戴致しまする。このようなお気遣いを、どうぞ龍王様に、我から心より御礼を申し上げておりましたことをお伝えくださいませ。」

維月は、頷いた。

「よろしいのですよ。伝えておきまする。では、次は鳥の宮でお会い致しましょう。」

維月が言うと、瑤子は立ち上がって深々と頭を下げた。

「はい。御前失礼致しまする。」

維月の侍女が、再びその胡弓を包み、それを捧げ持って瑤子について外へ出る。

そして、それを瑤子の侍女に手渡すと、瑤子の侍女は驚いた顔をしていたが、横は薄っすらと涙ぐみながら微笑みかけ、そして維月にまた頭を下げて、そうしてそこを、退出して行ったのだった。

維月は、これで椿に瑤子が胡弓を弾くのを阻止することは出来ない、と、目を鋭くしていたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ