婚姻
その夜、維心が宴の席を終えて居間へと戻って来ると、寝間着姿の維月がそこで、待っていた。
維月の姿を見てホッとした維心は、微笑んで手を差し出した。
「今帰った。いつもなら先に奥へ入っておるのに、起きて待っておってくれたのか?」
維月は、頷いた。
「はい。」と、真剣な顔をした。「本日は、どのようなお話をなさいましたでしょうか。」
維心は、何やら維月が真剣なので何事かと思ったが、袿を脱いで着替えさせられながら、答えた。
「本日は、何やら炎嘉や焔、志心が、駿と公明に説教を垂れておったわ。というのも、妃がどうのとその愚痴があったし、それに…主、この前の前練習の時、瑤子も呼んだよの?」
維月は、頷く。
「はい。ですがお加減がお悪いのだと椿殿が言うておられて。綾様も、一度聞いておきたかったのに、と残念がられておりました。」
維心は、維月に寝間着を着せ掛けられてそれに手を通しながら、言った。
「偽りぞ。」
維月は、驚いた顔をした。
「え?それは…瑤子様は来たくなかったということでしょうか。」
維心は、首を振った。
「瑤子ではない。椿ぞ。椿が己の母親が来るから己が参ると言い出して、瑤子を来させなかったのだ。身籠っておって具合は悪かったらしいが、そんなもの、主も知っておる通り、王が気を調整してやればすぐ治る。宮でも夜に練習することを駿が許しておるらしいが、椿が夜通し弾き散らかされては休めぬとか申してさせぬようだ。瑤子は椿に遠慮して、もう来月が楽の宴であるのに胡弓に触れることも出来ぬのだと聞いた。」
維月は、茫然とした。ということは、椿は瑤子をいじめているということだ。
「…困りましたこと。」維月は、真面目な顔で言った。「ことこうなってしもうたら…椿殿の性質は、我らよう知っておるはずですわ。」
…陽蘭か。
維心は、息をついた。そうだった、あれの元はと言えば陽蘭なのだ。あの激しい性質がそのままに転生していたとしたら、いったいどんな仕打ちをするのか考えただけでも恐ろしい。
何しろ、碧黎を瀬利に襲わせたような性質の持ち主なのだ。
きれいさっぱり忘れていたとしても、根本は変わらないだろう。
「…誠にの。志心は、どこまで本気か分からぬが、どちらかを離縁しろと申しておった。公明も千夜の扱いに困っておるようであったし、誠ここのところ、妃の問題が多いものよ。」
維月は、維心を着付けて、顔を上げた。
「え、千夜殿でございますか?問題なく過ごしておると思うておりましたが。」
維心は、維月を奥へといざないながら、答えた。
「高晶と詩織の子であったろう。宮のためとはいえ、二人を殺した高瑞が許せぬのだ。なので、公明も筝を良くするらしいのだが、宴に行くことを渋るらしい。行くなら共に行きたいとか申すのに、己は楽が何一つ出来ぬから、余計に此度の催しは参加して欲しくないようでの。」
維月は、確かに千夜には楽は教えていなかったが、と思っていた。高晶が、それを好まないのだと千夜から聞いていたし、それに自分も維心に教えてもらっている身で、とても誰かに教えられるレベルだとは思っていなかったからだ。
「…御父上が楽を好まぬからしなくても良いのだと私は聞いておりました。なので弓維がそれをしておる間も、庭へ出ておったりして。それにしても…少々、我がままでございますわね。こちらで教えた事とは違ったご対応であるように思いまする。」
維心は、奥の寝台へと座りながら、頷く。
「そうよな。我もそう思うたが、嫁いだからには後は公明の手腕。育てられぬなら里へ帰せとこれも志心が申しておったのだがの。もう、他の宮の妃がどうのと、巻き込まれるのは懲り懲りよ。」
維心は、維月と共に寝台に横になろうとしたが、そこで維月が言った。
「あの、お話がありますの。」
維心は、驚いた顔をした。
「何ぞ?今の話しでは無いのか。」
維月は、ブンブンと首を振った。
「いいえ。あの、冷静に聞いて頂いてよろしいでしょうか。」
維心は、む、と眉を寄せる。
「…主絡みではなかろうな。」
維月は、首を振った。
「違いまする。」
維心は、ほっと力を抜いた。
「ならば、申せ。」
維月は、背筋を伸ばして、そうして、じっと維心を見上げて、言った。
「弓維が、婚姻の相手を決めましてございます。」
維心は、一気に眉を跳ね上げた。弓維の婚姻の相手っ?
「待たぬか、そんな事は今朝は申しておらなんだの。」
維月は、頷いた。
「それは、今朝はまだ決まっておらなんだからでございます。とにかく、順を追って話しますわ。」
維月は、全く知らなかったのだが、十六夜から呼ばれて月から弓維が宮を抜け出して北の庭へと出て行くのを見たこと、そこで高瑞と話していたこと、その内容、そして、長く二人は文を取り交わして交流していたらしいこと、を、掻い摘んで話した。
「高瑞か。」維心は、眉を寄せる。「とは申せ、あれが思うようにはならぬがの。龍であるから。」
維月は、それに頷く。
「それも、高瑞様は高湊殿が居るから問題ない、と。正妃としてお迎えなさるとおっしゃっておいででした。それに、弓維はもはや高瑞様と添い遂げられるなら、他に妃が居ても良いと思うと己で申しておりました。それほどに、あの子は高瑞様を慕っておるのですわ。」
維心は、困ったように顔をしかめながら、考えた。なるほど、弓維は目が高いのだ。高瑞は、確かにかなり出来る神。苦労もしているので、あの若さで考えられない落ち着きと威厳がある。
それに、歳も良い感じに釣り合うし、何より弓維自身が高瑞が良いと言っているのだ。
「まあ…それほど申すなら、弓維さえ良いなら別に我は反対などせぬがの。高湊の件はもう知っておるし、宮の格も釣り合う。跡継ぎの件だけ解決できるなら、何も問題はない。生まれた子はこっちで引き取ることになろうがの。龍であるし。」
維月は、何度も頷いた。
「ならば、反対はせぬでおってくださいますか?私は、それを案じて起きて待っておりましたの。」
維心は、首を振った。
「反対などせぬ。良かったのではないのか。弓維が嫁ぎたい場所が見つかって。」
維月は、何やら構えていたのを、ホッと肩の力を抜いた。
「まあ…良かったこと。」と、窓の方を見た。「十六夜、維心様がいいって。」
維心が驚いていると、十六夜の声が答えた。
《やけに物分かりが良いじゃねぇか維心。ま、ホッとしたよ。マジで苦労してるし不幸だったからさ、あいつには幸せになって欲しいじゃねぇか。弓維があれだけ好きなんだから、あいつら二人で幸福になるよ。》
あれだけとはどれだけなのだろう。
維心は思ったが、ブスッと機嫌を悪くして、言った。
「何ぞ、二人で。我が何でもかんでも反対すると思うてか。気分が悪いわ。」
維月が、慌てて言った。
「違うのですわ、また何か神世の柵とかあったらどうしようと、十六夜と案じておりましたの。また、高瑞様から正式にお話が来るかと思いまする。本日は、話して婚姻を約しただけで、ちゃんと奥へと返してくださったので。あのかたは、しっかりと礼儀を弁えたかたですのね。」
維心は、寝台に横になりながら、答えた。
「あれだけ礼儀のせいで大変な事になったのを見ておるのに、あれが違えるはずはないわ。それより、もう寝るぞ、維月。十六夜も、主も十七弦が弾けるなら楽の宴に来い。」
十六夜は、からかうように言った。
《やーなこった!オレは見世物にはならねぇよ。》
我だってなりたくないわ。
維心はそう思ったが、維月と共に寝台に横になり、その日は維月を抱きしめて、眠りについたのだった。




